日没の狭間で
柵に囲われた牧草地帯とそこでくつろぐ牛たちの姿に、エーリアは「わぁっ」と声を上げた。
「そういえば牛を見るのも初めてだっけ?」
「生きてるのはそうだね。首だけとかお肉になったのはよく見るけど」
「そりゃ感動もするか」
「なんだかすごいのんびりしてるね。もっと小屋の中でずっと牛乳を搾られてるのかと思ってたよ」
「なかなかのディストピアだな。けど牛乳って牛のストレスとかで出る量も味も変わるらしいぞ。のんびりと放牧させたほうがいい乳が手に入るそうだ」
「そうなんだ」
柵の間に通る道を進んでいくと、小屋が数件建つ広場に到着した。
商店や受付、食事処などが集まっているようだ。
機械的な道具はないが、現代の牧場とさほど変わらない風景が広がっている。
「受付はあっちみたいだよ」
「時間的にもちょうどいいな」
案内板に従って受付のある建物に。そこで体験の受付を済ませる。
俺たち以外にも何組かのグループが来ており、集団で乳しぼりの体験などを行うようだ。
しばらく待つと、担当者が俺たちを牛舎へと誘導する。
「ちょっと臭いね」
「まあ牛の糞尿もあるだろうからな。けどこれを毎日交換してるって大変だよな」
「確かに。畑の比じゃないかも」
水槽の掃除をやり始めてから、生き物の世話の大変さが分かったし、エーリアはもともと畑の面倒を見ているせいかそういった苦労はよく分かっている。
用意された牛は二頭。二つのグループに別れ、指導員の説明を聞きながら順番に乳しぼりの体験を行う。
ギュッと絞るたびに勢いよく出るミルクに、体験した人は驚きの声を上げていた。
そして俺とエーリアの順番が回ってくる。
「うわぁ、すごい! いっぱい出た!」
そうだね、いっぱい出てるね。
「あ、こうやって上下にやればいいだね。コツ掴んできたかも。いっぱい搾っちゃうんだから!」
いっぱい搾り取られちゃうそうだ。
なんだろう。乳しぼりの体験なのに変な意味に聞こえてくる……これは俺が邪だからか? 違うよな? 周りの男連中もちょっと照れてるもんな?
「ふぅ、面白かった」
「興味深い体験だったな」
一時間ほどの体験会が終了し、俺たちは牧場に併設されたカフェで一息ついていた。
もちろん注文したのはミルクだ。搾りたてを冷やしたミルクは、普通に買うものよりも格段に美味しい。この世界じゃ殺菌とかしてないはずだし、何の違いがあるんだろうか。
ちなみに、自分たちが搾ったミルクは瓶詰にしてお土産にしてくれるらしい。帰り際にもらえるのだとか。
「この後はどうする? お土産見に行くか? それとももう少し牧場を散策してみるか?」
「馬や羊もいるんだよね?」
「牛ほどじゃないけどいるみたいだぞ」
「じゃあそっちも見てみたいな」
ということで、俺たちはもう少し牧場を散策してみることにした。
牛たちとは違う柵に囲われた一帯で、最初に羊の群れを発見する。だが、エーリア的には少しがっかりな光景だったようだな。
「思ってたイメージと違う」
「まあ毛が剃られた後だとな」
もっと羊毛に包まれた姿の羊を見たかったようだが、ここにいたのはちょうど毛刈りを終えた後の羊たちだった。
のんきに草を食んでいるが、地肌が見えている羊たちは少しグロテスクだ。
「もっともこもこでふわふわな子だと思ってたのに」
「毛があってもふわふわじゃないけどな」
「そうなの?」
「油でべたべたらしいぞ。それを何回も洗って油を落としてようやく店で見るような柔らかい羊毛になるらしい」
「へぇ、野菜みたいに収穫してすぐ食べるみたいにはいかないんだね」
まあ生き物が絡むと簡単にはいかないよなぁ。
「こういう広い原っぱにお弁当持ってきて食べるのもおいしいかも」
「確かにそれもいいな。ピクニック気分か」
「そうそう。ここからなら見晴らしもいいしね」
小高い丘を上ってきたところに作られているこの牧場からは、王都の風景を一望することができる。
大きな壁のさらに上から王都を眺めると、その広さときっちり別れた区画がはっきりと分かるのだ。
「あの辺りが私たちの家だよね」
「ああ。やっぱり貧しいところだよな」
貧民街はことさらはっきり分かる。露天などの出店がなく、道が狭い上にどこか汚れた印象がある。建物の屋根も古いものばかりで色が剥げてしまっている。
見る人が見れば、景観を阻害する要因と取られてもおかしくない景色だ。
「でも今の孤児院は、こういう所に来れるぐらいには余裕ができたよ」
「そうだな。今は安定もしてるし、貯蓄も増えてきてる。けど、貧民街である以上いつなにが起きるか分からない」
貧民街で一番怖いのは、物取りや恐喝ではなく集団による暴動だ。
それが一度発生してしまえば、貧民街の浄化作戦が始まってしまう。一斉になだれ込んできた衛兵たちによって、怪しい連中はまとめて殺されかねないのだ。
そこに俺たちが含まれないとも限らない。
「できればみんなで孤児院から移動できればいいんだけど」
「難しいな。そもそもシスターはあの孤児院に派遣されてる身分だ」
そして孤児院を移設するとなれば当然教会からの許可がいる。だがそもそも、あの孤児院は貧民街の子供の救済として建てられた孤児院だ。それを貧民街の外に移設するのであれば本末転倒。教会から許可が下りることはないだろう。
「けど不安を取り除く方法がないわけじゃない」
「どうするの?」
「あの辺り一帯を貧民街でなくせばいい。大通りから孤児院まではそこまで距離もないし、孤児院周辺までを活気づかせて平民地区の一部レベルまで活気づかせれば自然と危険からは遠ざけられるはずだ」
廃墟を撤去したりリフォームするなりして新店舗を移設、人通りを多くすることで強制的に貧民街という枠組みから地域ごと外れる荒業だ。まあ、かなりの労力が必要にはなるが、できない手ではない。現状でも王都のキャパシティーは限界を迎えつつある。
ゲームの設定的な問題か、王都は貧民街を除いて隅々まで店舗と家屋が立ち並んでおり、拡張性が限界に達しているのだ。だが、外へ広げるにも新たな壁が必要になるため容易なことではない。
残るはキャパシティーに余裕がある貧民街の再開発というわけだ。
「貧民街の余裕を求める人間は必ずいる。そいつらを取り込んで治安を回復させれば教会の許可は必要ない」
「すごいね。貧民街を貧民街じゃなくするなんて、考えたこともなかったよ」
「あの辺りも、慣れればなんだかんだ住み心地がいいからな。いずれ引っ越すにしても、残された連中のために何か残しておきたいと思うもんだ」
「お世話になった孤児院だもんね」
「ま、まだまだ夢物語だけどな」
「きっとノクトならできるよ」
そうだな。そのための下準備は徐々に整いつつあるからな。
「あ、見て麓に豪華な馬車が止まってる」
「馬車? 貴族でも来てるのか?」
けど貴族が牧場に体験なんか来るはずないし、馬の購入とかか?
上から見る馬車は確かに豪華なものであり、六人は優に乗れそうなサイズがある。
お使いならばわざわざあんな馬車使わないし、貴族の誰かが来ているのは間違いないだろう。と、ふと嫌な予感がした。
そしてその馬車をよく観察してみる。
上からの視点のせいで、馬車の横に書かれている家紋は見えない。しかし、馬が横を向いた際に、チラリと馬の背にかけられた布を見ることができた。
「ふむ、なるほど」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。そろそろお土産見に行こうぜ」
「そうだね。美味しいチーズがなくなっちゃうかも」
そして俺たちは、牧場の散策を切り上げ土産屋へと向かったのだった。
土産屋でエーリアが物色する中、俺は少しトイレと言って店を抜け出した。
そして店先からめぼしい場所を探してみれば、あっさりと見つかった。というか、かなり大所帯で全然隠れられていない。
「お前ら何してんだ」
「あ、あはは」
「まあバレるよな」
「馬を飼おうと思って」
「ちょっと焼肉が食べたくなったのよ」
上からビーレスト、ディアス、イーレン、カトレアである。
イーレンとカトレアはもう少し隠そうとする努力をしろ。家で馬が飼えるわけないし、ここの牧場は食肉加工はやってねぇ!
「とりあえずなんとなく理由は分かるが帰れ。普通にウゼェ」
「ま、しかたがないわね。バレちゃった以上はお邪魔になっちゃうだろうし」
「しかし第二第三の私が……」
「いてたまるか。ビーレスト、ディアス、頼むぞ」
「僕たちに彼女たちの制御は無理だよ……」
「女が三人集まると無敵って字になるんだぞ」
「なるか馬鹿。とにかく頼んだからな」
「ういっす」「やれるだけやるよ……」
バカ五人組に軽く説教をして速足でエーリアの元へと戻る。せっかくデートだ。のぞき見なんて無粋なことをされて興をそがれるなんてまっぴらだ。せめて気づかれないようにやれよ。なんで麓にガッツリ馬車止めてるんだよ。
「お帰り」
「悪いな。少し混んでた。なにか選んだ?」
「いくつかピックアップしたよ。味見もできるみたいだから、ノクトにも味見してもらおうと思って」
「へぇ。そりゃ楽しみだ」
そして俺たちはひとしきりのお土産を選んだあと、両手に袋を抱え牧場を後にするのだった。
最後にやってきたのは、王都の観光名所の一つであり、最も人気のあるスポットだ。
時計塔。
王都中に時を告げるこの鐘の塔には、展望台がある。元は監視塔として使われていたものらしいが、今では敵がここまで攻めてくるようなことなどあるはずもなく、観光用として公開されている。
夕方のこの時間になると、この展望台は恋人たちによって占領される。俺たちもその中の一グループになってるわけだから人のことは言えないけどな。
この時計塔にはジンクスがあるらしく、ここで夕陽が沈むのを見たカップルは幸せになれるそうだ。一体何組のカップルがここで夕陽を見てから別れたんでしょうねぇ。
そんな邪悪な感情を抱きつつも、夕陽を眺めながら隣に立つエーリアと手をつなぐ。
「きれー」
エーリアは夕陽に魅了されていた。ちょうど地平線へと消えていく夕陽は、台地に一本の赤い線を描き、その姿をゆっくりと隠していっている。
その雄大な光景に、俺も魅了されていた。
日本にいたら地平に沈む夕日なんて絶対に生では見られない光景だ。
「こんな景色があったんだな」
「今日はありがとね」
「なんだ、急に」
「沢山お願い聞いてもらっちゃったし、色々と買ってもらっちゃった。私、こんなに幸せを感じたこと初めてかもしれない。今日が終わらなければってそう感じるたびに何度も思っちゃったよ」
「これからは飽きるぐらいに付き合ってやるさ。色々と余裕も出てきた。計画は続けていくけど、前ほど忙しく走り回る必要はなくなりそうだしな」
「えへへ、うれしいなぁ」
エーリアがこちらへともたれ掛かってくる。もうほとんど夕陽は沈み、あとは空に映るわずかな明るさが残るのみ。
もうエーリアの顔すらはっきり見るのは難しくなってきた。
そこではたと気づく。
なるほど、ここが有名な恋人のためのスポットなのはそういう理由か。
夕陽に慣れた目は、沈んだ直後の闇に慣れていない。
見えるのは隣の恋人のみ。となれば、やることは一つだ。
「っん」
肩を抱き寄せ、唇を重ねる。
周りにはたくさんの人がいるのに、見えていない。その一瞬だけに行える恋人との行為。
これがきっと、この展望台のジンクスの由来。
「幸せになろうな」
「うん」
そして俺たちはもう一度、唇を重ね合わせるのだった。




