プロローグの裏側
き、緊張した……
初めての明確な悪意を向けてくる敵。そしてそんな相手に対して放った容易に人一人の命を奪えるだけの威力を持つ攻撃魔法。
どちらも私の心臓をバクバクと高鳴らせ、それは男たちが逃げた今も落ち着くことはない。
ゲームシナリオ通りに行動すれば、あまりにおかしな行動をしない限りはその通りに進むみたいなんだけど、やっぱり怖いものは怖い。
ふぅーっと大きく息を吐いて、心を落ち着ける。まだイベントは終わっていない。ここからちゃんとアフターケアをしないとシュヴァルツ君の闇落ちルートに入っちゃう。
「二人とも、大丈夫だった?」
「危ないところを助けていただきありがとうございます」
「あ、ありがとう……ございます」
二人組みの少女の方、セラちゃんはボロボロと涙をこぼしながらもなんとか私にお礼を告げる。この辺りちゃんと教育された貴族の子女よねぇ。そしてそんなセラちゃんを胸に抱きしめて頭をよしよしとなでるシュヴァルツ君。六歳ながらにすでに勝者のムーブが見て取れるわ。
「それにしても、なんでこんなところに入りこんじゃったの? 私たちみたいな子供が路地に入るなんて自殺行為よ?」
「それが、そろそろ帰ろうというところでそこの曲がり角の商店にいたおじさんがこの路地を行けば貴族街への近道だと」
「あー、なるほどね。シェナ、聞いてたわね?」
私が振り返れば、そこにはいつの間にかメイドが立っていた。私の護衛兼不本意なことにお目付け役の武闘派メイドさんだ。私の方針で基本的には隠れて護衛してもらってるけど、こうやって呼べばいつの間にか背後に控えていてくれる。
「はい、すでにルーテを捕縛に向かわせております。それはさて置き」
スパンッとキレのいい音が路地裏に響き渡る。
「いっっったい!」
「お嬢様、このような危ないことをする場合は即座にお呼びくださいませといつも申しているではありませんか」
「しかたがなかったのよ。ここは私が助けないと意味なかったの。それよりもせめて他人の前でハリセン出すのはやめてもらえる? 二人が驚いていてるでしょ」
シュヴァルツ君とセラちゃんは主をハリセンで叩くメイドの姿にぽかんと口を開けて固まっている。その表情はなかなか面白い。
まあ普通なら不敬罪で極刑ものだしね。けど残念ながら私が昔からいろいろやらかしすぎて、お父様が実力行使の許可を出してしまっているのである。それだけシェナが信頼されているということでもあるのだけど、それでいいのか侯爵家。
「お嬢様が暴走しなければいいだけでは?」
「こほんっ。それはともかく、二人を屋敷まで送ってあげて頂戴。どうせまだ何人かいるんでしょ?」
「承知しました。セネラ、お二人の護衛をお願いします」
「承知しました。ではお二方こちらへどうぞ。馬車で屋敷までお送りいたします」
馬車まで準備しているは、さすが我が家の有能メイド隊。
「あ、あの。お名前を! 必ずお礼をいたします!」
「あら、気にしなくていいのよ? あ、でも名前は知っていても損はないわね。私はカトレア。カトレア・フォン・レヴァリエよ」
「レヴァリエ侯爵家!? こ、これは失礼しました。自分はシュヴァルツ・フォン・アーナムと申します。こっちは幼馴染のセラです。ほらセラ、挨拶を」
「せ、セラ・フォン・チャイカです。よろしくお願いいたします」
「あら、アーナム卿とチャイカ卿の子だったのね」
知ってたけど。
「ならまた会う機会があるかもしれないわね。その時を楽しみにしているわ。シェナ、行くわよ」
「はい、お嬢様」
私は格好つけてさっそうと路地裏を後にする。
その先には馬車が待っていて、乗りこもうとしたら何故かシェナに止められた。
「どうしたの?」
「お嬢様、こちらの馬車はお二人をお送りするための物です。お嬢様はそのまま徒歩でお戻りください」
「んなっ!?」
しかもその姿をセネラが馬車へと連れてきた二人に見られてしまった……
二人の視線が凄い悪いことをした見たいになっちゃってるじゃない!
「やっぱり僕たち歩いて戻りますので」
「いいの! 一度言った言葉を違える気はないわ! あなたたちはちゃんと屋敷まで送られて行きなさい! シェナ、私たちは市場で夜ご飯の材料を買って帰るわよ!」
「お嬢様、夕食の材料は厳選された物がすでに屋敷に運び込まれていると思いますが」
「私が食べたいものを買って帰るのよ! ついてきなさい!」
「はぁ……」
こら、使用人が堂々とため息なんか吐くな!
というか、いつも!いつも! どうしてこうも最後が締まらないのかしら!!
◇
もう! もう! もう!!
鬱憤を晴らすかのように、市場を散策する。果物、野菜、魚、王都にはいろいろな食材が集まる。比較的海も近いため、魚も鮮度がいいものが送られてくるのだ。まあ、それでも現代に比べちゃうとちょっとという感じだけど、そもそもこの地域じゃ生魚は食べないしね。メインはスープの具材であり、魚が形を保ったまま出てくることすら珍しいのだ。あまり気にする必要もないのだろう。
けどやっぱり食事として一番多いのは肉だ。この市場にもいくつもの肉屋が並び、しのぎを削っている。
私はそのうちの一軒に注目した。
店頭の一番目立つところに堂々と豚の頭を飾り、軒先からは暖簾のように鶏がつるされている。
来るものを拒むような風体。しかしそこからは甘辛く香ばしい匂いが漂ってくるのだ。
「くんくん、この匂いおいしそうじゃない」
「え、あそこ入るんですか?」
シェナも素で嫌がっているが、ああいうお店ほど意外とおいしいものがあるのよ。私は私の嗅覚を信じるわ! そして乙女の勘をね!
「たのもーう!」
「いらっしゃい。うちを選ぶとはいい鼻してるねぇ」
「この甘辛い匂いは串焼きよね?」
「おうよ。特製タレの自慢の一品だ。よかったら買ってってくれよ」
肉屋は自分の店の肉の良さを証明するために、店舗の隅で切れ端などを使って串焼きを安く提供していることが多い。この店もその慣例に違わず店の隅で串焼きを作っていた。
「一本もらう――いえ、二本頂戴。シェナ、あなたも味見してみなさい」
「まいど」
串焼きを受け取り、さっそく一口。想像通りの甘辛タレだが、想像以上にピリッと舌を刺す刺激に驚いた。だが、辛すぎるというほどでもなくこの刺激が食欲をそそる。前世だったらきっと片手にはビールが握りしめられていたに違いない味だ。肉自体もしっかりと処理ができているのか臭みもない。
この肉屋やはり当たりだ。
「どうシェナ。私の勘は」
「悔しいですが美味しいですね。何か買っていかれるので?」
「そうね、かいた恥を食べて払拭。なにかガッツリ行きたいのよね」
「ならリブやロースなんてどうだ? 脂身は少なめだがしっかりと肉の味を感じられる部分だ。焼くだけでもいいが、大きめのブロックをほろほろになるまで煮込んで大口で頬張ると至福だぜ」
「それもいいわねぇ」
ビーフシチューやスペアリブなんかは食べたって感じになるわよね。けど今から作ると時間がかかっちゃうし、今回はステーキにしましょう。
部位は――そうね
「肩ロースを五キロちょうだい」
「まいど、持ってくるからちょっと待ってな」
店員が店の奥へと肉を取りに行く。この世界、まだ冷蔵ケースなんてものはないから、店先に並ぶのは塩漬けかジャーキー。欲しい生の部位があるなら、店の壁に飾られている一覧を見て注文するのだ。
「肩ロースって結構固い部位ですよね? 私あんまり固い肉は得意ではないですよねぇ」
メイドのくせにそんなことをいうシェナだが、まあ彼女も貴族の端くれだしね。肩ロースなんてあんまり食べない部位かしら。
「ふふ、安心しなさい。サーロインもびっくりの柔らかジューシーステーキに変貌させてあげるから」
「と、いうことは今日はお嬢様が厨房に立つので?」
「ええ、好きな厚みに切ったステーキ。素敵じゃない?」
「今日のお夕飯は楽しくなりそうですね」
最初は私が厨房に入ろうとするのも拒んでいた家族やメイドたちだったけど、私の料理やデザートを食べればいちころよね。現代の食事、この世界の人たちからすれば魔法みたいだって話しだし。
お母さまも私の作るケーキでお茶会が楽しいと喜んでいたわ。貴族のお茶会なんてマウントの取り合いだろうに、何が楽しいのか私には理解できないけど。
私は庭で本でも読みながらゆっくりお茶するのが好きなのよねぇ。
「待たせたな。肩ロース五キロだ。確認してくれ」
ドンっとカウンターに置かれた肉のブロックを確かめる。
しっかりとした綺麗な赤身。これならいいステーキが焼けそうだわ。
「大丈夫そうね。シェナ」
「はい、お代は私が」
「まいど」
シェナが会計を終え、包まれた肉塊をもって店を出る。
「いい買い物をしたわ」
残っている串焼きを齧りつつ、満足気に市場を歩く。
すると正面から子供たちに囲まれたシスターが歩いてくるのが見えた。
なんでもない風景だが、私はふと子供たちの血色がいいのに気づく。
すれ違った後に振り返った私を見てシェナが首をかしげる。
「どうかいたしましたか?」
「さっきの子」
「ああ、おそらく近くの孤児院の子でしょうね」
でなければシスターと一緒に買い物をするなどということはない。
やはり私の違和感は間違っていなかった。
「今まで見てきた子たちと違って、すごく血色がよかったわ。ちゃんと食べられている証拠よね?」
「そういえばそうでしたね。お嬢様の働きが功を奏したのでは?」
これまでも何度か孤児院を回って寄付などを行ってきたことがある。けど、根本的な解決はできていないと思ったのだけど、私に感化されてほかの貴族が動いたのだろうか? そうであればいいのだけど。
「それよりもこのお肉、どのように調理するのですか? 他に必要なものがあれば買わなければ」
「それは大丈夫よ。あとは玉ねぎとナシかリンゴがあれば大丈夫だから」
「では戻りましょう。そろそろ門限も迫っております」
「そうね」
さっきすれ違った孤児たちのことなどすぐに頭の片隅へと追いやられ、私たちは屋敷へと戻るのだった。
ちなみに、作った五センチ厚の立つシャリアピンスステーキは三口食べた時点でお腹いっぱいになってしまった。まあ、その後下げ渡された使用人たちには大好評だったらしいからいいんだけどね。せめて一人前食べられるぐらいの胃袋は欲しいわ――