未来を見据えて
夕食を終えた俺は、片づけを任せ一足先に自室へと戻ってきていた。
さて、本格的に計画を立てるとしよう。
そのために必要なのは、令嬢が何を求めるかということだ。そこから逆算して学ぶもの、先行投資するものを決めていかなければならない。
あの小説に関して、俺はそこまできっちりと何をいつやったかまでは覚えていない。そりゃ無理に押し付けられて読んだ本なんて内容が曖昧になるのも仕方がないだろう。
ただ思い出せるのは、令嬢が本格的に動き始めるのは中等部に入ってからということ。それまでは屋敷内や貴族間でのやり取りが主だった。初等部の卒業までを幼年期と表現してもいいかもしれない。
そして中等部に入学してから彼女は本格的に動き出す。世界が広がったからか化粧の販売や輸出入向け商店とのコネクションの構築などを行っている。これは高等部編の戦争に備えてのことだろう。
そして高等部に入学してからは王都を出ることも多くなり、他領での農業試験や化学実験、医療改革、そして戦争へと巻き込まれていくのが大まかな流れだ。
俺が狙うのはこの中等部での動きだ。令嬢の化粧販売に食い込み、同時に国外の情報を得るための商店か貴族あたりとのコネクションの構築。できることならば農業試験所や化学実験室などの設備投資も行っておきたい。
孤児院の維持も考えると、外に出せるのは三人が限界だな。今後孤児が増える可能性もあるが、一からの教育を考えると間に合わない可能性もある。
農業や化学なんかは最悪孤児院でもできる。問題は商業、情報、医療の三つ。その専門分野に孤児たちを送り込めれば自然と頭角を現すことはできるはずだ。
後は誰を送り込むかだな。まあこれはいろいろ基礎を勉強させて好きそうな分野に振ってやるのがいいだろう。嫌いな分野に強引に送り込んだっていい結果なんて出せやしないだろうし。
ちなみに俺自身は悪役令嬢の傍に接近して孤児たちと令嬢の繋ぎになる予定だ。そのためには中等部の編入試験に合格しなければならない。しかも授業料なんて払えないから奨学金制度を使うために優秀な成績を取らないと。前世チートがないとはいえ、多少のアドバンテージはある。それを上手く活かして立ち回っていこう。
と、計画の輪郭がなんとなく見えてきたところで、扉がノックされた。
「はいはい」
扉を開けると、そこに立っていたのはエーリアだった。手にはカットされたリンゴの並んだ木皿がある。
「リンゴ切ったの。よかったら食べない?」
「ありがと」
「ちょっと入ってもいいかな?」
「? ああ、どうぞ」
招き入れたエーリアは少しきょろきょろと部屋を見まわした後にベッドへと腰かける。
俺は椅子に座りながら訪ねた。
「どうしたんだ?」
「それはこっちのセリフ。今日のノクト、なんだかピリピリしてたよ。朝はそんなことなかったのに、出かけている間に何かあったの?」
「特に何もなかったぞ」
「うそ。ノクトうそ吐くときは右上を見る癖があるもん」
「ダウト。俺にそんな癖はない」
「むぅ……」
典型的なひっかけだが、俺には通用しないぞ。なにせ視線はリンゴに固定していたからな。
「でも分かるもん。ずっと一緒に暮らしてたんだから、いつもと雰囲気が違うことぐらい分かるもん」
嘘が見破られたからか、それとも俺が隠しごとを話さないからか、エーリアの目じりに涙が溜まってくる。
だがここが俺の知っている物語の中だということが確定したなんて話をしても信じてもらえる……かもしれないが意味がないしなぁ。まあもう一つの理由を話すか?
「あー、悪かった悪かった。隠し事してたのは謝るよ」
「じゃあ何隠してるの」
「隠しているというより、今後について考えてた」
「今後? ずっと一緒に暮らさないの?」
「それにしたって金はいる。いつまでもシスターが稼いでくれるわけじゃないし、もしかしたら仲間が増えるかもしれない。だから俺たちもちゃんと食べていけるだけの仕事を見つけないといけない」
「それでピリピリしてたの?」
「まあな」
「ノクトはいつも私たちのためにいろいろ考えてくれるね。私たちがこうやって今お腹いっぱいに食べられるようになったのもノクトのおかげだもん。私たちみんなノクトには感謝してるんだよ。シスターもノクトは凄い子だっていっぱい褒めてたもん」
「そんなことはないさ。俺は俺が欲しいもののために頑張ってるだけだ」
俺は俺が生き残るために必要なことをしているだけだ。そのためにエーリア達を利用しているに過ぎない。それなのにこんな風に尊敬されてもかえって俺自身が醜く見えてしまう。
「それがいいんだよ。ノクトが必要としていることって、きっと私たちにも必要なことだもん。だから最初も、みんなでノクトのマネを始めたんだよ?」
「そんなこと考えてたのか」
「私たちもずっとお腹がすいてたしね。死に物狂いってやつ? だからもし私たちの力が必要な時はいつでも言ってね。私たちはノクトのためならなんだってできちゃうんだから。あ、でも犯罪とかはダメだよ。シスターに怒られちゃうから」
「くくっ、そうだな。犯罪はダメだな」
指を手立てて、どこで知ったのだか「めっ!」と言うエーリアに思わず苦笑する。
だがエーリア達の申し出はありがたい。これは俺一人では絶対にできない計画だから。
「なら相談したいことがある。明日みんなを集めて話したいんだけど大丈夫かな?」
「うん。みんなに伝えておくね」
「頼む」
エーリアはリンゴを一欠けら手に取ると、口に咥えて部屋を出ていった。
俺もリンゴを齧る。現代のような甘さのない、少しパサパサとしたリンゴだ。はっきり言ってしまえばまずいリンゴだが、心の中はなんとなく満たされているような気がした。
◇
翌日、俺はみんなが集まった食堂で俺の考えを伝えた。現状の不安定さ、将来的な問題、そして俺個人の欲。転生や物語にかかわること以外はほぼすべて話したといってもいいだろう。
シスターを合わせた七人は、それをじっと聞いていてくれた。シスターなどは将来的な問題に関してはうんうんとうなずいていたほどだ。だから感触としては悪くないはずである。
「結論とすると、今日から一年の間でお前らにはこの教科書の中身をすべて理解してもらうってことだ。その上で適正がありそうな奴を商人なんかにして収入の安定化を図りたいと考えてる」
「そんな風に丁寧に説明されると、嫌だなんて言ってられない状態だってのは嫌でも分かっちゃうね」
「俺ももっと遊びたいんだけどな」
「しかたねぇよ。けど成功すればもっと美味い飯が食えるんだろ!」
「僕は引きこもってるだけだし、あんまり生活は変わらないかも。まあ勉強は嫌いじゃないからいいよ」
男子連中は肯定的な意見が多いか。女子は――
「昨日聞いてた話だよね。もちろん私は全力で協力するよ!」
「私もいいよ。体小っちゃくても勉強には関係ないし」
まあ肯定だな。そしてシスターは――
「ノクト君がそこまで考えていてくれたのはとてもありがたいことですね。私もいつまでも生きていられるわけではありませんし、残していくあなたたちのことが気になってしまっては安らかに神の身元へと旅立てません。ノクト君には是非ともこの子達の導師になってあげてください」
「導師なんて大げさだな。それにシスターだって後二十年は固いでしょ」
この世界、平均寿命は五十前後になるのだが、魔法を使えるものたちだけに限るとその寿命は途端に八十近くまで跳ね上がる。選ばれた存在だからなのか、それとも魔法を使えることが何か関係しているのかは知らないが、シスターが一般人の平均寿命で死ぬとは思えないしな。
「ふふ、では皆さんの成長をしっかりと見届けさせてもらいますよ。ちゃんと一人立ちしてくださいね」
「えー、私ノクトと一緒に暮らしたい!」
エーリアの言葉に「俺も!」「私も!」とほかの子供たちも続く。
シスターは頬に手を当ててあらあらと困ったように微笑んだ。
「これは別の意味で心配になってしまいますね」
「年取れば勝手に独り立ちするさ」
「だといいですね」
おい、孤児院がシェアハウスになるなんて御免だぞ。
ある程度資金が溜まったら、適当に部屋を借りて俺が早めに独り立ちするのも考えておいたほうがいいかもしれない。
そんなことを思いながら、さっそく俺たちは第一回の授業へと入っていくのだった。