満足にはまだほど遠く
孤児院へと戻ってくると、ちょうど洗濯物を取り込んでいたエーリアがいた。
水色の髪を三つ編みにした快活な少女だ。孤児院の中ではまとめ役というか母親役をやっている。
「ノクト、お帰り。どこ行ってたの?」
「ただいま。ちょっと確認したいことがあってな。他の皆は?」
時間的には夕方近い。そろそろ十七時の鐘が鳴らされるころだろう。これぐらいならほかの連中も戻ってきていてもおかしくないはずだが。
「イーレンとエフクルスは部屋にいると思うよ。他の三人は遊びに行ってる。そろそろ戻ってくるんじゃない? シスターは内職分を換金しに行ってる」
「そっか。なにか手伝おうか?」
「取り込みはもう終わってるから大丈夫だよ。あとは畳むだけだし」
「ならそっち手伝うよ」
「さてはシスターの下着目当てだな~、ノクトのむっつり」
エーリア。孤児院の母親役なのだが、どちらかというとマセガキ感が出てきてしまっている。どうしてこうなったのか。家事をやり始めてから途端に耳年増になったし、俺のせいなのか? いや、女子の成長は速いっていうしきっとそれのせいだろう。
「んな訳あるか。むしろお前の下着目当てだ」
「んなっ!?」
耳年増なマセガキなだけあって、エーリアはかなり初心だ。だからこうやって言い返してやるととたんに顔を真っ赤にして固まるからな。精神だけは二十超えてる俺に勝とうなんてまだまだ早いよ。
「わ、私の下着が欲しいなら、別に見せてあげなくも……ない……けど――」
「はいはい、ガキの下着なんざ興味ないし、そもそもぼろ布だろうが。シスター帰ってきたら料理の準備だろうしさっさと片づけるぞ」
「むぅ……」
頬を膨らませるエーリアを笑いながら、洗濯物を畳んで持ち主ごとに分別していく。
それが終わるころになるとちょうどシスターが帰ってきた。同時に賑やかな声も聞こえてくる。どうやら遊びに行っていた連中と一緒に帰ってきたようだ。
ただいまぁ!っと元気な声が室内に響き渡り、どたどたと足音が駆けてくる。バタンと勢いよく扉が開かれ、三人のガキどもが入ってきた。
「お前ら、先に手洗ってこい」
「「「はーい!」」」
とりあえずうるさいガキどもを排除してシスターを迎える。
「シスター、お帰りなさい」
「お帰り、シスター」
シスターは四十を超えたおばさんだ。物腰が柔らかく、貧民街の荒くれものからすればいい獲物のようにも見えるが、その実あの悪役令嬢のように魔法も使える選ばれた存在である。おかげでこの孤児院が襲撃されずに済んでいるというわけだ。昔は荒れていたなんて話も聞くが、今の様子からはとんと想像もできない。
「ノクト君にエーリアさん、ただいま戻りました。洗濯物取り込んでおいてくれて、ありがとうございます」
「シスターこそ換金お疲れ様。重くなかった?」
「あの子たちが手伝ってくれたからね」
ガキどもも一応は手伝いをしていたようだ。
「ではあまり遅くなる前にお料理をしてしまいましょうね。エーリアさん、手伝ってくれますか?」
「もちろん」
「ノクト君はイーレンさんとエフクルス君を呼んできてもらえますか?」
「分かった」
うちの台所は狭いからな。子供交じりでも三人も並ぶと邪魔になる。
料理の手伝いはエーリアに任せ、俺は言われた通り二人を呼びに行くことにした。
孤児院の二階に上がり、まずはエフクルスの部屋へ。そこからはシャッシャッと何かを削る音が聞こえてくる。
扉をノックすると小さく「どうぞ」と声が返ってきた。
扉を開けると木の匂いが漂ってくる。学校の図工室みたいな匂いだ。床一面には削った木くずが散乱しており、テーブルには木製の皿が積み上げられていた。
そして部屋の中心には俺よりも小柄な金髪の少年。猫背のまま背中を向けて真剣に手元を注視している。
俺は部屋の中には入らずに、その場から声をかける。だって木くず踏むと痛いし。
「シスター帰ってきたからご飯にするぞ」
「分かった。ノクト、これ今日できたお皿」
エフクルスは作りかけの木工を床に置くと、テーブルの皿をもって部屋から出てくる。
そのうちの一枚を受け取り指でなぞる。磨き上げられすべすべとした木肌は触っていても気持ちがいい。曲線も滑らかでありいびつさは見られない。
「ほんといい出来だな。将来は芸術家か?」
「食べていけるならそれもいいかもね。とりあえずこれも売れるでしょ?」
エフクルスは人見知りだ。というより引きこもりだ。孤児院でそんなことをすれば普通は即座にたたき出されるのだが、エフクルスには手先の器用さがあった。俺がそれを見込んで木工の皿やフォーク、ちょっとした小物なんかを作ってもらっているのだ。それを売って得た金を食費に回していることでエフクルスはここでの立場を得ている。
「おう、しっかり売りさばいてやるよ。明日仕上げの油ぬっちまうからいつものところに置いといてくれ。俺はイーレンを起こしに行かないといけない」
「分かった」
ちょっと危うい足取りで階段を下りていくエフクルスを見送りとなりの部屋の扉をたたく。――返事はない。
扉を開ければカーテンは閉められ部屋は暗くなっており、ベッドの中ではすやすやと寝息が聞こえてくる。
「イーレン、こんな時間に寝てるとまた眠れなくなるぞ」
布団を頭までかぶりすやすやと眠るイーレンを揺する。すると「むむぅ」と小さな声が聞こえ抵抗が強くなった。
「おい、もう晩飯の時間だって」
布団をはごうとするが、がっしりと掴まれた布団は剥がれない。こりゃ起きてるな。
こいつもエーリアに影響されたのか少しマセてるからな。何を仕掛けてくるか。
とりあえず俺も腹が減ってるし、さっさと済ませたいので思いっきり布団をはぎ取った。
「いやん、お兄ちゃんのエッチ」
「ぶっ飛ばすぞ」
茶髪をベッドに広げた、下着姿の少女――というより体系的には幼女だな。うちの中でも一番小柄な少女がイーレンだ。
こいつは別に引きこもりというわけでもなく、普通に早朝から仕事をしてくれている。畑の水やりや雑草抜きなんかをだ。ただ小柄で体力がないからか、よく昼寝をしているのだ。
とりあえずベッドの足元に隠してあった服を投げつけ、さっさと降りてくるように告げた。
「もうちょっといい反応が欲しいなぁ」
「そうして欲しけりゃ十年後に期待しろ」
「十年でおっきくなるかな?」
イーレンの手が自然と自分の胸に伸びていた。五歳にも満たないので当然まっ平だ。
「大きくしたけりゃしっかり食べろ」
「むぅ……いばらの道のり」
もぞもぞと服を着こんだイーレンと共に下へと降りる。そこではビーレスト、シーク、ディアスの男子三人組がテーブルの準備を進めていた。
「お前ら今日は何してたんだ?」
「近くの森行って、木の実とかキノコとか山菜とか採ってたんだ」
元気いっぱいに答えたのはシークだ。ディアスと同い年で俺とビーレストとは一つ下だ。完全に弟分って感じだな。二人は年も同じだし、ここに来た時期も近いということでよく一緒に行動している。そのまとめ役が一つ上のビーレストだ。
「大丈夫だろうな?」
俺は確認の意味も込めてビーレストを見る。毒キノコで孤児院全滅とかシャレにならないぞ。
それに気づいたのか、ビーレストはこちらを見てうなずいた。
「大丈夫だよ。市場でおっちゃんに食べられるかは確認してもらったし」
「ああ、それでシスターと一緒に帰ってきたのか」
「そうそう。今日の飯は肉もあるんだぜ!」
自分で言ってテンションが上がっているのか、シークとディアスはハイタッチしている。
まあ確かに孤児院で肉は珍しい。あってもすじ肉や細かい切れ端とかだからな。これだけテンションが上がっているということは、しっかりとした肉を買えたということだろう。
「シスター、いいのか?」
「お肉屋さんがおまけしてくれたんですよ。時々お店を手伝ってくれるお礼だそうですよ」
「なら近いうちにまた行くかな」
お礼もかねて挨拶とお手伝い。この辺りのケアをしっかりやっておかないと次につながらない。地道な社会的礼節が俺たちを空腹から守ってくれているのだ。
だが今後は少し手伝う量を減らさないといけないな。ここが物語の世界だと分かった上に、あのイベントが発生した以上物語はすでに動き出している。ヒロインが本格的に動き出す前にこちらの準備を整えておかないと。
準備を終えテーブルに並べられた料理。そのメインはもらった鶏肉を使ったシチューのようだ。
ゴロゴロとした肉の浮かぶシチューに六人は目を輝かせている。だが俺は満たされていなかった。
現代の食用肉を知っているということもあるが、この肉自体も質は悪いものなのだ。おそらく鶏卵が取れなくなった鶏をつぶしたものだろう。脂もなくパサパサとしていて味も薄い。
これで満足出来るはずがない。
服だってそうだ。穴だらけの服を繕って着まわすのは嫌だ。ぼろ布を下着代わりにするのも嫌だ。せめてまともな服が着たいし、女子たちが平民の服をうらやましそうに見ているのを知っている。
俺が目指すのは悠々自適な生活。暖かい家、うまい飯、ほどほどの仕事と余裕のある余暇だ。
そのためにはこいつらにも協力してもらわないといけない。
最低限の教養や現代的な考え方は俺が教えよう。悪役令嬢が本格的に転生知識を外へと発信するのは学園の中等部に入ってからだ。まだ六年以上時間がある。それまでに俺がこいつらを鍛え上げ、蜜の受け皿を完成させて見せる。
俺は決意を固め、固い肉を噛み潰すのだった。




