もう一人の悪役令嬢
心地のいい空間だ。
ふわふわとした綿に包まれたかのように暖かく、いつまでも眠っていたいと思ってしまうような空間。
明るくもなく暗くもない。ここはどこなのだろうか。
まあそんなことはいいか。のんびりしよう。
ここ最近ずっと働き詰めだった。休んでいる時間なんてなくて、来る日も来る日も働いて考えて、それでどうなるんだって思ったりもしたが、結局それ以外やることがなくて――
俺なんでそんな頑張ってたんだっけ?
思い出せない。けど思い出さなくてもいいような気もする。
このまま心地のいい空間でいつまでも過ごせれば、それがきっと一番楽だ。
はぁ……このままゆっくり――
「ノクト!」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
「ノクト!」
うるさいなぁ。ほっといてくれよ。
「ノクト!」
このままでいいじゃないか。
「ノクト!」
もう頑張らなくてもいいじゃないか。
「ノクト!」
もう眠らせてくれよ。
「ノクト!」
誰だよ、そんなに俺を呼ぶのは。
「いい加減起きな、スオウ」
「ねぇさん?」
気づけばすぐ横にねぇさんが立っていた。
「あいつらが待ってんだろ。こんなところで寝てんじゃないよ」
「あいつら」
ねぇさんが指さす先。そこには七つの光。
その光はゆっくりと輪郭を取り、俺の記憶を刺激する。
エーリア、ビーレスト、シーク、ディアス、イーレン、エフクルス、そしてシスター。
思い出してしまったその名前に、思わずため息が出る。
「あの子たち放っておくつもりかい」
「思い出しちまったら、そういう訳にもいかないか」
「じゃあ行ってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」
起き上がり、光たちの方へと向かう。そしてゆっくりと手を伸ばし、光に触れた瞬間――
俺は意識を覚醒させた。
夢と同じ行動をとっていたのだろうか。ベッドから伸ばされた手が視界に入る。その手は柔らかく暖かな感触に包まれていた。
「ノクトォ……」
「おはよう」
俺の手を握っていたのはエーリアだったようだ。
改めて周囲を見渡す。知らない部屋だ。清潔感のあふれる白を基調とした部屋にはカーテンが掛けられ、ベッド一つ分の空間を隔離している。
俺の知る病院に近い作りは、この世界の治療院。いわゆる教会の病院だった。
「みんなぁ! ノクトが、ノクトが起きたぁ!」
エーリアは感極まったように涙しながら部屋の外へと声をかける。すると仕切られていたカーテンが明けられ、わらわらと孤児の仲間たちが集まってくる。その中にはビーレストやディアスの姿もあった。だがその中にイーレンの姿がない。
「イーレンはどうしたんだ?」
不安げに尋ねる。するとみんなはきょとんとしたように顔を合わせると少しだけベッドの足側にずれてカーテンを全開にする。
そこには隣のベッドでこちらを見ているイーレンの姿があった。
「ノクト、おはよう」
「イーレンならノクトよりはよっぽと元気だよ」
「俺たち助けられたんだな? 途中から記憶がないんだが、どうなったのか説明してもらえるか?」
「それは私から説明しますね」
シスターがエーリアと場所を交代して、ベッドサイドの椅子に腰かける。
「火事が起こったという報告が衛兵の詰所に入りまして、それが火の気のない倉庫街だということですぐに誘拐と関係があると判断しました。すぐに消火活動にあたったのですが火の勢いが強く衛兵たちでは中に入れない状態だったんです。そこで私が魔法を使って地下室の真上を破壊しまして、天井からそのまま侵入、魔力が暴走していたイーレンさんと倒れていたノクト君を助けて脱出したんです。イーレンさんの魔力はすでにコントロールできる状態になっていますので安心してください」
俺が最後に見た光は、もしかしたらシスターの突入でできた穴だったのかもしれない。
にしてもシスターもアグレッシブなところあるな。燃えている建物の床をぶち抜いて地下に突入するなんて、普段の温厚な姿からは想像もできない。昔荒れていたというのも、意外と事実なのかも。
「助かりました。シスター、ありがとうございます」
「わが子を助けるのは当然の役目ですからね。さて、寝起きにあまり体力を使うのも問題です。今はまだ横になって静かにしていてください。今お医者様を呼んできますからね」
「はい」
シスターはそういうとみんなを連れて部屋から出ていく。残されたのは、ベッドに横になる俺とイーレンだけだ。
「ノクト、あの時の声聞こえてた。助けてくれてありがと」
「俺も必死だったからな。けどまさかイーレンに魔法の才能があるなんて思わなかった」
「私もびっくり」
「どうするんだ。せっかくの才能だし化学よりも魔法の勉強を優先するか?」
尋ねるとイーレンは首を横に振った。
「魔法は化学と似ていると思う。ふわふわした意識の中でノクトがそう教えてくれた。だからどっちも勉強したい」
「いいね。じゃあ今後はシスターにも魔法を習いながら化学の勉強だな」
「うん。お願いノクト」
「任せろ」
「ノクトさん、おはようございます」
医者が入ってきたため、そこで会話は中断された。
俺は簡単な問診の後に、脈などの検査を受ける。まだ採血などの専門的な医療と呼べるものはこの世界には存在していない。むしろそれを広めるのが悪役令嬢の役目だ。ここにもうまく食い込めないかと画策中である。
そして俺の怪我の中で一番の問題点。左腕の検査が始まる。
医者の指示に合わせて手を閉じたり開いたり……結構な痛みが走った。それにうまく閉じられない。
それを伝えると医者は悩まし気にやはりとつぶやいた。
「君の手は今神経が切られている。自然に治ってくるだろうが、これまでのようにとなると難しいかもしれない」
「やっぱりそうですか」
「まあ私生活なら問題ないと思うから、そこまで気を落とさないようにね。それとしばらくは痛みや痒みが続くと思うけど、あまりいじらないように」
「はい、ありがとうございます」
医者はまた後でと言って部屋から出ていった。
すると再びイーレンが話しかけてくる。
「ごめんね」
「突然どうしたんだ?」
「その手……私をかばって」
「ああ、気にするな。医者も私生活には支障はないって言ってたし」
「でも……」
「どうしても気にするってんなら、しっかり学んでしっかり稼いでくれ。俺が汗水たらして働かなくてもいいようにな」
もともとそれが俺の目的だしな。
「分かった。頑張って稼ぐね」
「なんかすごい悪いやつみたいに聞こえるな、今の俺」
年下に稼がせようとか周りから見ればヒモの中でも上位のクズに位置するぞ。
そしてそんな会話を聞いてしまっていた人物が一人。
「確かに酷い奴みたいに聞こえるから、イーレンも外では言わないようにね」
「ん」
「ビーレスト、何か忘れものか?」
戻ってきたのはビーレスト一人だった。
「ノクト達が助け出された後、イーレンから僕たちのミスで二人を危険な状態に追い込んでしまったことを聞いたんだ。そこでディアスと相談して主犯に対して逆に罠を仕掛けてみた」
「我慢できなくなったってやつか」
「うん。そんな相手ならきっと思い通りに事が進めばおのずと尻尾を見せると思ってね。ノクト達が無事なことを伏せて塞ぎ込むような演技をしたんだ。まるで自分たちのせいでノクト達が死んじゃったみたいにね」
なるほど。相手が思う通りに行ったと思って何かしらの接触を図ってくると考えたわけか。
相手はビーレストかディアスの苦しむ顔が見たくて俺たちを誘拐した。であるならば、苦しむ顔を見た時さらに追い詰めるために何かしらの行動を起こすはず。そう考え、相手を誘い出すために演技をしたということだろう。そしてビーレストがこの場に来たということは、その結果が出たということか。
「相手が分かったんだな」
「うん。僕もディアスも商人の逆恨みを主軸に考えてたんだけど、考えが甘かった。まさか貴族が純粋な嫌悪感からここまでのことをするとは思っていなかったんだ」
純血主義というやつか。孤児からのし上がってきた上に才覚を現し始めていたビーレストに対して嫌悪感を抱いていた貴族がいたということだろう。
「どいつだったんだ」
「結構な大物が釣れたよ。リユール・フォン・リッテンベルト。王家の血すら入っている、学園の中じゃ純血主義筆頭の伯爵令嬢だよ」
こんなところで絡んでくるのか、リユール・フォン・リッテンベルト。
悪役令嬢が転生者として活躍するその陰として生まれた存在。悪役令嬢の代わりに悪役令嬢となり物語を引っ掻き回す役目を与えられた哀れな存在。
小説内の悪役であり、将来外患誘致によって処刑されるもう一人の悪役令嬢。
「なるほど、あいつは俺の敵か」
ストーリー通りに進めるのなら勝手に滅びる存在だが、俺の敵になるというのなら、しっかりと仕返しはさせてもらおう。
とりあえず何も思い浮かばないから、ゆっくり体を休めながら考えさせてもらおうか。




