あふれ出した思いの発露
たぶん四日目が来たぐらいだと思う。
いつものように男が扉を開けた。
瞬間、俺は飛び上がる様に立ち上がり、警戒心マックスで男をにらみつける。イーレンも俺の影に隠れるように移動した。
男の雰囲気が違う。そして手にしているのは料理の入ったトレーではなく剣だ。
「お、いい反応だねぇ」
「あんまりいい雰囲気じゃないね。予想よりだいぶ早くない?」
「あんたらのお仲間が対応を間違えたみたいだな。先方さん、強硬策に出るようだよ。昨日の夜に突然呼び出されてさ。あんたらの首を送り付けてやれってよ」
「マジかよ、先方さんぶっ飛びすぎじゃね?」
「否定はできんな」
もうちょい時間があると思っていたのだが、これは予想外だ。にしてもあいつらが対応を間違えたって何をした? 聞いてた話だといつも通りに過ごしてるって話……うわぁ、そういうことか!
主犯はビーレストかディアスの苦しむ顔が見たくて俺たちを誘拐したんだ。けどあいつらは気丈に振る舞いすぎた。まるで誘拐されたことが堪えていないように振る舞ってしまったせいで、主犯が満足感を得られなかったってことか。
そこまでは考えていなかった。というか最初は何か俺たちを人質に何かを要求するものだと考えていたが、動機は個人的で純粋な恨みかよ。
「ま、そういうことだ。痛くはしないから抵抗しないでもらえると助かるんだが」
「ンなこと言われて、抵抗しない奴はいないって」
「まあそうだよな。じゃあ死んでくれ!」
「イーレン、逃げろ!」
「いい覚悟だ!」
「ノクト!」
俺は突き飛ばすようにイーレンを横へと逃がし男と対峙する。
振り下ろされた剣を転がるように躱す。しかし、それを見越していたかのように男は転がった俺目掛けて剣を突き立ててきた。
もう少し剣術とかの勉強もしておくべきだった。
そんな後悔は今更役に立たず、とっさに伸ばした左手に熱が走る。
「くあっ」
顔の真横に突き刺さる剣先、その切先には血が流れていた。その出どころは、剣が貫通した俺の手のひら。
火花が散るようなとはこのことを言うのだろう。強烈な痛みが左腕から頭のてっぺんへと駆け抜ける。
「抵抗するからそうなる」
「死ぬよかマシだ!」
そうだ。今は生きるか死ぬかの瀬戸際。痛みがどうこうなんて言ってられない。滾れ俺のアドレナリン!
「ああああああああ!」
覚悟を決めて体を起こす。突き刺さった手のひらをさらに奥へと押し込み、剣の鍔を掴んだ。
武器奪っちまえば、首は取れねぇだろ! ああ、でも力入らねぇ!
「そこまでやるかよ。けどこっちも仕事なんでな」
男は冷静に開いた手で俺の胸倉をつかみ持ち上げると、剣を強引に引き抜くとそのまま俺を地面へと叩きつける。
背中を強打した俺は、呼吸すらままならなく、痛みに意識が朦朧としてきた。視界も定まらず、男が剣を逆手にもって突き刺そうとしてくるのがかろうじて見えるぐらいだ。
ああ、これは死んだな。そんな風に理解してしまった。せっかく楽して生きるためにいろいろと準備してきたんだけどな。全部無駄になっちまった。
まあ、あいつらは普通に生活を続けられるだろうし、いっか――
「だめぇぇえええええ!」
消えようとした意識が、その声によって引き戻された。
そして感じるのは、途方もない威圧感。
これは――
動かない体に鞭打って視線だけをその発生源へとむける。そこにいるのは茶髪の少女。その瞳は虹色に輝き、周囲に歪みを生み出していた。
「おいおい、マジかよ」
男すらその威圧感に動けずにいる。
俺はこの現象を知っている。いや、正確には読んだことがあると言うべきか。
魔術師としての覚醒。悪役令嬢が始めて魔法を使えるようになったときの描写とまったく同じだ。感情の発露により閉じ込めらえていた魔力の器の蓋が開き、これまでため込まれていた魔力が一気に放出される。
あふれ出した魔力は周囲に強烈な威圧感を与え、人の筋肉すらも強制的に委縮させてしまう。
熟練の魔術師はこの威圧感を自由に放つことのできる存在だ。シスターが貧民街で恐れられている証拠でもある。
これは生き残る可能性が見えてきた。けど、まだ全然安心できる状況じゃない。
初めて魔術師として覚醒した子供は、魔力の扱い方を知らない。そのため器からあふれ出した大量の魔力が暴走し、周囲に様々な被害をもたらす。
貴族や教会などに所属しているのならば、熟達した魔術師たちが自分たちの魔力で威圧感を相殺し、覚醒者に魔力をコントロールする技術をその場で教えていくのだが、男の反応を見る限りこいつも魔術師ではない。つまりここに、イーレンの魔力を押さえ込むことができる奴はいないのだ。
どうする。このままではイーレン自身も危ない。
「くそっ、魔術師だなんて聞いてねぇぞ」
男は威圧感に支配されながらも腕を動かし、自らの左腕に剣を当て滑らせる。
滴る血と共に、その痛みによって男は強引に支配から逃れるつもりだ。
「くっ、やっぱキツいがやるしかないか」
先に暴走したイーレンを殺すつもりか!
俺にまたがっていた足を動かそうとした瞬間、俺は無事な右手で男のズボンを思いっきりつかむ。こっちは手のひら貫かれた痛みで最初から少しは動けるんだよ。時間ができたおかげで、呼吸や意識も戻ってきたし頭も回り出した。
俺が動けるとは思っていなかったのだろう。男は裾をつかまれその場に転倒する。
「貴様!」
「やらせるわけないだろうが!」
「だったら先にお前を殺すだけだ!」
「イーレン! 火を付けろ!」
敵意が俺に戻った。今しかチャンスはない。
覚醒した魔力に翻弄されてイーレンの意識は曖昧な状況にある。この中でどれだけ俺の言葉が届くか分からないが、これが届かなきゃどっちみち俺らは死ぬだけだ。
「魔力を使え! 魔力は強制的な変化を起こすエネルギーだ!」
「貴様なにを!」
俺の言葉はイーレンに届いていた。
イーレンが腕を振るうと、威圧感の塊が倉庫に積み上げられていた麻袋に触れ、そこから炎が立ち上がる。
悪役令嬢も化学を利用して魔術の反応を調べていた。それを利用してこれまで感覚頼りだった魔術の運用を効率的なものに変え、独自の詠唱を加えることで新たな魔術を生み出していた。
そこに加わるためにイーレンに化学知識を教えていたが、まさかイーレン自身の魔術師になる才能があるとは思わなかったけどな。
「地下だろうが街中で火が起これば衛兵だって気づくだろ! 首さえ取らせなきゃ俺たちの勝ちなんだよ!」
依頼主の目的は、俺たちの首を届けて絶望させることなんだろう? けど子供の体だって人形みたいには簡単に首は外せない。死体の首を落とすのは大人だって一苦労だろう。
その間に衛兵がくれば目的の達成は不可能になるどころか自分が捕まる危険性も跳ね上がる。なら逃げるしかないよなぁ!
「こりゃ依頼失敗か? いや、一人でも死んでりゃ少しは納得してくれるかな?」
男は裾をつかんでいた俺の手を振りほどくと素早く立ち上がる。そして今度は止める間もなく剣が振り下ろされた。
体をねじって急所は外す。また左腕だ。左腕になんか恨みでもあんのか! 動かなくなったら一生呪ってやる!
「ノクトから離れて!!」
イーレンの叫ぶような声と共に火の玉が男へと殺到する。男はその場から素早く逃げると、扉に向かって駆けだした。
「チッ、限界か。ならせめて」
男は部屋から出ると勢いよく扉を閉める。そしてガチャリという音が聞こえた。
あの野郎、鍵掛けやがった。俺たちを閉じ込めてこのまま焼き殺すつもりだ。
「ノクト」
「イーレン! しっかりしろ!」
イーレンは完全に意識を取り戻したわけではない。魔力に翻弄されながら、無意識の中で俺を守ってくれた。
早く魔力をコントロールさせて器の蓋を閉めさせないと、あふれ出した魔力が勝手に周囲を変換し始める。それは何が起こるか分からない現象だ。
助けが来るまで持つか? いや、このままでは持たない。ならせめてあふれ出した魔力に指向性を与えれば。
「イーレン、聞こえるか! 聞こえるな!」
「ノクト……」
「氷で壁を作るぞ! まずは水を集めるんだ。覚えているな? 見えない水はどこにある?」
「水……水は空気中にも」
イーレンの周りに周囲からかき集められた水蒸気が集まり水の玉を生み出す。
よし、こっちの指示は届いている。このまま魔力を使わせていけば、変に暴走することはないはずだ。
「イーレンの集めた水はどんな形をしている?」
「球体」
「安定した形だ。それを魔力を使って変えてみよう。大きなシャボン玉をイメージするんだ。魔力を通して水の形を変えてみて。大きさを広げて薄くしてみよう」
魔法の形は術者のイメージが如実に現れる。火の玉、氷の矢、土の槍、それらは出現させた物質を魔力で術者のイメージに固定させている。
悪役令嬢が使った炎の魔法は、花(鳳仙花)の形をイメージすることで炎の形を指定していた。
だから水をシャボン玉のように膨らませることも可能なはず。
「シャボン玉……シャボン玉」
イーレンはぶつぶつと呟きながらイメージを固定させていく。それに反応するようにして水球はその形を変えていった。
俺たちを覆うように形成させたシャボン玉によって周囲の熱からは遮断される。
だが勢いを増す炎は地下室の天井を焼き、黒い煙を吐き出し続けている。このままだと焼かれはしなくても一酸化炭素中毒で死んでしまうだろう。
だから次の魔法を――
「イーレン、人が吸わないと生きていけないものは?」
「酸素」
「苦しいということは何が多くなっている?」
「二酸化炭素」
「じゃあ二酸化炭素を分解できればどうなる?」
「炭素と酸素ができる。けど無理」
そうだ、本来ならばもっと大がかりな機材や薬品を使わなければ気体である二酸化炭素を分解することはできない。けどそれを可能にするのが魔の法則だ。
「イーレン、魔力は変化そのものだ。イーレンが望めば魔力は変化を強制させる力を持っている。化学式を逆転させることができるんだ。実験をやってみよう!」
「式の逆転……二酸化炭素の分解」
イーレンが頭の中で思い浮かべている、俺が昨日まで教えていた化学式の逆転を起こさせる。
するとイーレンの周囲にポロポロと黒い粒がこぼれだした。
ん? これもしかしてダイヤモンドか?
石炭や木炭は別の物質が混ざっているため、純粋に分解しただけでは生まれないはずだ。しかも分解という工程を魔力が行っているせいで、化合物として変化ができないのかもしれない。しかしダイヤモンドならば単一原子の塊。変化を行う際に強制的にそちらへと変換させた可能性がある。
なんつう錬金術だ。まあ、イメージが分解優先なので、真っ黒なダイヤモンドができてしまっているが。これでは回収しても売れないだろなぁ。
けどいい調子だ。イーレンから放たれていた無差別な圧力は着実に減ってきている。
ただ俺もそろそろ限界かも。
手のひらからは絶えず血が流れ続けている。一時期戻った意識もまたかすみ始めていた。
「ああ、早く助けに来てくれ」
俺はその場に倒れこみ、ぼやけた視界で天井を見上げる。
真っ黒な煙に覆われた天井は何も見えず、薄れゆく意識の中、その先に小さな光が見えたような気がした。
もしかしたらお迎えが来たのか? そんな思考を最後に、俺は意識を手放すのだった。




