二人きりの勉強会
誘拐されてから早三日。
俺たちは仲良くなった!
「おーい、飯持ってきたぞ」
「待ってました!」「待ってた!」
いつもの男がトレーにパンとスープを載せて部屋に入ってくる。
フランクな対応になった男からトレーを受け取り、料理を二人で分けて食べる。
日がな一日暗い倉庫の中に監禁されているせいでやることがない。非常に暇な一日の中で食事というのは唯一の楽しみである。
朝と夜持ってきてくれる食事は、今が何日なのかを知るにも大切なものだ。
固いパンをスープに浸しつつ男に尋ねる。
「このまずいスープはなんとかならんもんかね」
「お前、日に日に態度がデカくなってないか?」
「いやいや、これでもかなり遠慮してるから。けど、まずい飯じゃ生きる気力も出てこないぞ」
「別にいいじゃねぇか。日がなボーっと過ごしてるだけなんだからよ」
「だったら余計に飯ぐらいは楽しませてくれませんかねぇ!」
くず野菜を煮込んだだけのスープにカッチカチのパンだぞ。ただ胃に放り込むだけの料理なんて、貧困にあえいでいた時の孤児院と同じ飯だ。
俺はそれが嫌でいろいろと動いてきたんだから、今回だって当然飯には口を出す。元日本人の飯に対する執着なめんな!
「んなこと言ってもなぁ。俺らが作るんじゃこんな飯が限界だぞ? いつもは外で食ってるし」
「あん! お前らだけ外で美味い飯食ってるのかよ!」
「そりゃ、わざわざ好き好んでこんなもん食うわけねぇし。俺らお尋ね者ってわけでもないからな。普通に町は出歩ける」
「ずっりぃ! なら飯ぐらい俺らに自分で作らせてくれよ!」
「んなことできるわけねぇだろ。ここから出さなきゃいけねぇじゃねえか」
くそっ、こっちには家事手伝いをしていたイーレンがいるんだ。せめて自分たちで作れるんなら、もう少しまともな料理を作れるのに。
まあ仕方がない。今日のところはここら辺で引いといてやるか。この後も会話から情報の入手は続けたい。あんまりしつこく絡んで機嫌を悪くされるのも問題だ。
「じゃあ事件の方はなにか進展あった?」
「衛兵が街中を中心に探し始めたぞ。お前らの死体がみつからなかったり、ほかの町への移動の痕跡がなかったから王都の中で監禁されていると考えたんだろうな」
「あー、大体当たってる感じだね」
「まあな。けどここは簡単には見つかんねぇぞ」
「まあお兄さんプロっぽいもんなぁ」
とりあえず衛兵はまだ探してくれているようだ。おそらくビーレストやディアス達がせっついているおかげだろう。
「それで、主犯は何かしらこっちに要求とかしてるの?」
「いや、雇い主様はしばらくはこのままにするってよ。俺には絶対に見つかるななんて無茶な要求してくるんだぜ」
「ええ……攫うだけ攫って放置とかそれどうなの?」
「なんでも友人を攫われて焦燥感に駆られる顔を眺めたいんだとよ。あんたらどんだけ恨まれてんだ?」
「いや、そんなの知らないし。てか性格悪いねその人」
「否定はできんな」
むぅ、依頼主の素性を本当に一切明かさないなこの人。本当に人さらいのプロなんじゃないかとさえ思える。
依頼主的にはビーレストかディアスのやつれた顔が見たいってことか。ってことはどっちかの顔を見ることができる程度には近くの人間ってことなんだろうけど、ビーレストなら学園に通う貴族全員、ディアスなら関係のある商人全員が対象範囲になる。やっぱり絞り込むのは無理だ。
となるとまだしばらくは待ちの状態が続くのか。
「これ何日ぐらい続くと思う?」
「どうだろうなぁ。さすがに一月はないとは思うぞ。さすがにそこまで時間がたつとここもばれるだろうし、そうなりゃ俺は逃げてお前らは死体で発見ってことになる。ただあの依頼主がそこまでのんびり待てるタイプとは思えないからな。長くて十日じゃないか? 焦る様子が見られなきゃ、お前らの指やらなんやら送りつける感じ」
「うわー、それはちょっと遠慮したい」
悪役令嬢からの棚ぼたで悠々自適なスローライフとか考えてたのに、なんでこんな追い詰められてんだよ。指とか絶対いやだからな。
「それ髪の毛とかで何とかならない?」
「髪かぁ。お前の髪なら確かに分かりやすいかもな。けど少しは血を付けないと焦らせられないだろ」
「血で汚すぐらいならまあ、指先切って擦り付ければいいし」
なんというか共犯者みたいな会話しているな俺。けど、なんとかこっちも痛い思いをしないで済むようにしないと。特にイーレンが害されるようなことは何が何でも避けないといけない。
「まあ言われたら相談してみるさ。指切ると意外と生かしておくのも大変だからな。止血とかショック死とか病気とか気を付けないといけなくなる」
「ここに病院なみの衛生管理ができる場所があるとは思えないしねぇ」
どことも知れぬ地下倉庫だし。
「ま、そういうことだ。長くて後十日の命だ。大切に生きな」
「だったらせめて遊び道具ぐらい欲しいよ、全く」
「なんか持ってきてやるよ」
あら、持ってきてくれるのね。まあ、脱出に使えるようなものはないだろうけど。
男はランタンの燃料を交換し、空になったトレーをもって部屋を出ていった。
さて、じゃあこっちもいろいろ始めますか。
「イーレン、飯も食べたし勉強始めようか」
「大丈夫なの? 十日の命って」
「何とかするさ。それよりも助かった後のことを考えないと、この時間がどこまでも無駄になっちゃうしね」
「うん……」
イーレンは不安そうな表情だが、俺の横に座って地面を見る。
そこに書かれているのは、この世界の最小単位。いわゆる元素記号である。俺も最低限の物しか覚えていないので、身近な酸素や二酸化炭素なんかを使って、元素の仕組みというものをイーレンに教えていた。
ただこういうものって実際に実験で変化を見ながら教えないと理解するのは難しいんだよなぁ。酸素と水素がくっついて水になるとか言われてもなんのこっちゃだろ。
だから身近なもので想像しやすい情報をイーレンへと与えていく。
「つまり火ってのは酸素が燃えることで起こる現象だ。薪を入れた後に風を送り込むのは、この酸素をたくさん入れるためだな」
「じゃあ空気は酸素ってこと?」
「いや、空気ってのは酸素を含めていろいろなものが混じってる。布団にくるまってじっとしていると少しずつ苦しくなってくるだろ?」
「うん」
「それは布団の中の酸素が減ってきたからだ。俺たちも酸素を使って生きているってのは昨日教えたよな?」
「そっか、酸素が減ってもぺしゃんこにはならない」
こんな感じで少しずつ化学を教えている。
イーレン自体もこんな物事の仕組みを知るのが好きで、だから農薬や土壌の改良、作物の品種改良なんかを好んでやっていたんだ。
目標としてイーレンには式から結果を判断できる程度の知識を有してほしいと思っている。そうすれば悪役令嬢がビーカーなどの高級な道具を用意し、実験を行う際のサポートに滑り込める。それをディアスの商会を通して世に出せば、また孤児院が儲かるという寸法だ。
イーレンも学園には入ってみたいようだし、中等部か高等部に一つ上として入ってもらってもいいかもしれない。
ま、それもすべて、ここから無事に出られたらの話なんだけどな!
◇
ダンッ!!
苛立ちと共に振り下ろされた拳が、私室のテーブルに強く叩きつけられる。
なぜだ。なぜ焦らない! なぜ焦燥しない!
家族同然の暮らしをしていたのだろう。兄のような存在なのだろう! 妹のような存在なのだろう! なのになぜそうも毅然としていられる。
爪を噛みしめる。
わざわざ傭兵まで雇ったというのに、これでは私の望む結果が得られない。
もっと追い詰めるべきか。しかし新たに攫うのは難しい。衛兵がひっきりなしに貧民街を巡回し、怪しげなものたちには片っ端から声をかけていると聞く。
傭兵たちからもあまり長くは隠し通せないと連絡が来ていた。
ならばいっそ、殺して首でも送り付けてやるか。
そうだ。たかだが貧民街の孤児なんてわざわざ生かして捕まえておく必要なんてなかったんだ。
さっさと殺して首を送り付ける。そうすればあいつも少しは悔やむだろう。自分の愚かさを理解すれば、大人しくなるはずだ。
「おい、誰かいるか」
「はい、こちらに」
「例の傭兵を呼び出せ」
「承知しました」
私室の外にいた男の気配が消える。
これで明日が楽しみだ。さて、真っ青になった奴の顔になんて声をかけてやろうか。
可愛そうにと同情してやろうか、それともお前が悪いのだとさらに追い込んでやろうか。
今から楽しみでしょうがない。想像しただけでも体がゾクゾクして、今晩はなかなか寝付けないかも。
「誰か、甘い飲み物を用意して」
「すぐに」
用意されたとびきり甘いココアは、最近の食事の中で一番おいしく感じるものだった。




