幸せの代償
ビーレストが養子となってから早二年。俺たちの見た目は大体十歳になった。ここは便宜的に十歳と考えておこう。
ディアスは予想通り商店から養子縁組の話が来ており、孤児院こそ出ていないものの、正式に商会の一員として雇われることになった。
貴族と商会そして眠気覚ましは、俺の想像を超える強力なタッグとなって孤児院に利益をもたらした。
最初は予想通りにビーレストが授業前や授業中に使い、それに気づいた友人たちの間で口コミ的に広がっていく程度であり、まあまあ順調な売れ行きを見せていたのだが、予想外だったのはお嬢様の乱入だ。
ビーレストに詳しく聞いたところ、どうやらお嬢様の取り巻きの一人が眠気覚ましを使っており、それに気づいたお嬢様が眠気覚ましを褒めたのだという。
今や時の人となっているお嬢様が褒めた商品だ。インフルエンサーも顔負けの感染力を発揮し、眠気覚ましはあっという間に学園中に広がることになった。
当然取り扱っている商会にはビーレストを通して注文が殺到し、比較的メジャーなはずの香辛料たちが一時的に品薄になるほどだ。商会はビーレストに許可をもらいほかの商会にも製法を伝え、急ピッチで依頼された量を納品したらしい。
眠気覚ましを正式に商品として販売する契約の段階で、俺はビーレストにちょっとした入れ知恵をした。
それはイノベンター制度というものだ。
まあ簡単に行ってしまえば現代の特許のようなものだが、特許庁のような管理機構のないこの世界では個別の契約に考案者への利益を確保するという一文を加えさせたのである。
そのおかげで眠気覚ましの考案者である俺には、眠気覚ましの売り上げ利益のうちの二%が入ってくるようになっているのだ。
おかげで一瞬にして小金持ちである。
その金を利用して、かねてより計画していた畑の拡張も行った。
裏庭から続く隣の廃墟を買い上げ、それを撤去。畑として作り直したのだ。
まるまる一軒分広がった畑にエーリアとイーレンは大興奮。それに巻き込まれた俺やエフクルスが畑の土づくりに駆り出されたのは記憶に新しい。
普段はほとんど部屋から出てこないエフクルスは、三日ほど筋肉痛で動けなくなったほどの重労働だった……
広がった畑は、しっかりと稼ぎを生み出し、改良された土や育成方法も相まってうちで作られている芋や野菜は他とは違う美味さがあると露天では噂になり始めているぐらいだ。
売り上げも上がり、さらに手に入る資金が増える。何もかもが順調に進み、笑いが止まらないとはこのことだろう。
そんな風に考えてしまった。だからだろう――
完全に油断した。
儲かる、幸せ、満足、そんな感情には必ず妬みが伴うことを失念していた。
シスターが守ってくれていたから安心という気持ちもあったのかもしれない。だが、シスターの力が届くのは貧民街の中だけだ。
これまでの限られた小さな関係性の中ならばそれで問題なかったのだ。
だが貴族や商会など、外の世界と関係を持ってしまったことで、その安全性は崩壊してしまっていた。
それに気づいたときには時すでに遅し――
暗闇の中、縛られた手足を動かしてみても、縄が緩む様子はない。
倒れている俺の背後には、わずかに動く気配を感じる。おそらく一緒にいたイーレンだろう。なんとか安心させるためにもこちらの存在に気づいてもらいたい。
必死に体をくねらせイーレンへと近づく。そして背中越しに指先どうしが触れた。
ビクリと驚くイーレンだが、すぐに俺だと気づいたのだろう。指をこちらに絡ませてくる。それに応えるようにしっかりとその指を握った。
とりあえずこれでイーレンは一安心だ。けど根本的な問題は何も解決されていない。
俺たちはなぜ攫われたのか。俺たちをどうするつもりなのか。そもそもここはどこなのか。分からないことだらけだ。
暗闇に少しずつ慣れてきた目でぼんやりと辺りの景色を確認するが、袋のようなものが積まれている輪郭が見える。倉庫だろうか。窓が一切ないことを考えても、地下の倉庫と考えたほうがいいだろう。
俺たちは町の近くにある森で攫われた。あの辺りは治安もいいし、薬草や果物の採取なんかで一般人も比較的来る場所だ。盗賊という線も考えずらい。となると計画的な犯行か?
貧民街の連中がこんな手の込んだことをするとは思えないし、実行犯はともかくこの計画を立てたのは貴族か商会か――
貴族という線は薄いようにも感じる。そもそもどのように俺たちが恨まれるのか。むしろ直接的な恨みとしては今回の眠気覚まし特需に混ざれなかった商会や、ディアスの勤め先が急に儲けたことに対する恨み、後はディアスが立てた手柄を妬んだ同僚の可能性の方が高そうだ。
まあ犯人は今はどうでもいい。逃げ出すことを考えないと。
とにかく時間を確認したい。腹が減っていないから何時間も眠りっぱなしだったとは思えないし、そこまで時間は経っていないはずだ。あの森から数時間だとしても移動できる距離にある村はいくつかあるが、ここまでしっかりした倉庫を備えるとなると王都ぐらいしかないだろう。まあ、どこかにこっそりと建てていれば話は別だが、それを考えだしたらお手上げだ。王都だと仮定して動こう。まあ縛られてて動けないんだけど。
今は待ちだな。誘拐した以上、俺たちを生かしておきたい理由があるはずだ。なら食事なんかで誰かが来るのを待つしかない。
俺はイーレンと指を絡め合わせ、じっとその時を待った。
目を閉じて周りの物音に集中する。時折聞こえてくるのは、イーレンがもぞもぞと動く音だけだ。
だがその中に小さく足音が聞こえてきた。
目を開けて音の方を見る。するとゆっくりと扉が開き、光が差し込む。
暗闇に慣れすぎていたせいでかなり眩しい。だが瞼を通して見える色は鮮やかなオレンジ。どうやら夕方のようだ。
「お、目は覚めてるみたいだな。状況はわかってるか? お前らは誘拐されたわけだ。騒げばぶん殴るし、逃げようとすれば殺す。一人残ってりゃ十分だからな。わかったらうなずけ」
若い男の声だ。随分と落ち着いた様子だし、荒事に慣れている雰囲気がある。
俺は逆らわずに一つうなずいた。
「よし、女の方は反対向きだがまあお前がしっかりすることだな。とりあえず口を自由にしてやる」
男が近づいてきて、持っていたトレーを横に置くと、俺の口にかまされていた布を取り外した。
「ちゃんと言うことを聞く頭もあるみたいだな。女の方も騒がなきゃ何もしないいいな?」
「イーレン、言うことを聞けばなにもされないから大丈夫だよ」
「ん……」
俺の声に安心したのか、イーレンが頷く。そして男が轡を外した。
「質問してもいいかな?」
「こんな状況じゃ聞きたくもなるか。いいぞ、なんだ」
「なんで俺たちが攫われたの?」
「ま、そういう依頼だ。依頼主は言えねぇぞ」
「どうなったら解放してもらえるの?」
「それは言えないな。次が最後の質問だ」
解放条件を教えれば、依頼主に辺りを付けられるということか。
「じゃあ最後に、トイレはどうすればいい?」
「暴れないならこの後ロープもほどいてやる。部屋の隅に桶があるからそれにしろ」
「分かった」
「聞き分けのいいガキは嫌いじゃないぞ」
二度三度と頭をガシガシとなでられ、ロープがほどかれた。
ずっと締まっていた手首には縄の後がくっきりと残っていて痒みを発している。何度か手首をこすっていると同じように開放されたイーレンに抱き着かれた。
「よく我慢したね。もう大丈夫だから」
「うん」
「皿は後で回収に来る。それまでにちゃんと食っとけよ」
「明かりはなし? 暗すぎてよく見えないんだけど」
「このランタンは置いてってやるよ」
男は持ってきていたランタンを地面に置いて部屋を出ていく。しっかりと扉を閉じた後にガチャリと鍵がかかる音が聞こえてきた。
暗闇の中でランタンの明かりだけが俺たちを照らしている。
「イーレン、ご飯を食べよう。ここは多分まだ王都のどこかだ。きっと俺たちが攫われたとわかればシスターたちが探してくれるはずだ。ビーレストやディアスが頼めば、衛兵も動いてくれるかもしれない」
貧民が攫われた程度じゃ普通は衛兵なんて動かないんだけどな。貴族や商会から直接頼まれれば動く可能性はある。ただ、俺たちをさらった連中の素性が一切分からないのは問題だ。場合によっては金を積まれて動かなくなる可能性もある。
ある程度は自分たちで逃げられるように、しっかりと体力は残しておかないと。
俺たちは麻袋が積み上げられてできた壁に背中を預け、カチカチのパンとまずいスープをゆっくりと胃の中に入れていくのだった。




