なぜナーロッパは一段低い風に見られてるんですか先生!オラアッ!
みなさん、異世界転生してますか?
まあしていないという人の方が大多数でしょう。
時間停止モノのAVの9割がヤラセと言うのは有名ですし、やはり召喚や転生もそのぐらいの割合で完全なフィクションと見るのが妥当でしょうね。
ですが「じゃあ僕たちはトラックから異世界に行けないんですかオラアン!?」と嘆くのは少しばかり早いです。なぜならば、想像の翼を広げてたとえ存在しない場所にだって自由に心を羽ばたかせる事が可能なのが、我々人間と言う生き物の強みの一つなのですから。
とは言えそんなぼくたちの性癖フルオープンブルンブルンワールドに水を差す風潮が存在するのもまた事実。
いえ、風潮と呼ぶにはあまりにも根深いものです。それは……
“なろう的な異世界チートものは程度が低い”
と言う奴です。
純粋に楽しんでいる人もそうでない人も、そういう空気がある事自体を否定する人はあんまりいないと思います。否定できる人は多分時間停止能力のある転生者さんでしょう。
なぜそういう風潮が存在するかについては、大した理由はありません。
ただ単になろう系が「新しい文化」故に叩かれてるからに過ぎません。
ゲームと言うなろう程じゃないけど新しい文化の中に限定してさえもにわかを殴り老害呼ばわりされる層は既に存在しますし、エジプトのピラミッドに書かれている壁画の文章も解読したら「最近の若いもんはウンヌンカンヌン」ですからね。
つまりなろう系が叩かれる理由自体は人類の性-Sa・Ga-なのでこれ以上語ることがありません。
そうなるとここで「なろう系とされる作品群は実際に低品質なのか?」という疑問が浮上します。結論から言いますと……
9割9分がクソです。ヘ……ヘイトスピーチ……
スマホをフリスビーにするのはちょっと待っていただきたい。
素人の個人制作作品の殆どがちょっとアレというのは別に異世界チートに限らずあらゆるジャンルにおける真理であり、なろう系だからと言う物ではないんですハウスハウス。素人的な粗が小説というカテゴリで特に目立つのは、作品の制作から発表までがイラストとか音楽とかに比べて圧倒的に早い事の副作用なんでしょう。
大体魔法のiらんど的なケータイ小説だって似たような叩かれ方してたし。
とは言え、権威ある高尚なナントカカントカ文学賞みたいなのを取りがちなのは現代日本を舞台にした純文学であってナーロッパが舞台の異世界チートは取るっぽくないなあと言う強いイメージがあるのは確かです。これはどこから来たのか?私は鼻から。
ではここでちょっと例を出してみましょう。現代日本を舞台にしたストーリーの始まり的な部分を軽くでっち上げたものです。
“数年ぶりにお盆で帰省した田舎。僕はワンピースの不思議な少女に出会った”
……小説と言うかエロゲのあらすじっぽい感じもしますが、まあおそらく皆さんの脳裏にはこんな情景が浮かんだのではないかしらん。
うるせえ俺はロングじゃなくて色素の薄いボーイッシュなショートカットが好きなんだという人は自前の想像の翼で脳内変換お願いします。
まあいずれにしろ“数年ぶりにお盆で帰省した田舎。僕はワンピースの不思議な少女に出会った”と言うシチュエーションのイデア的ななんかからはそう外れた物ではないと思われます。
とりあえず上のイラストは、思考実験に使うために敢えて情報量は少なくしています(高い密度で描き込むのが面倒なのは否定しない)。
おっとここでナーロッパから何者かが召喚された模様です。金髪巨乳美少女姫騎士エルフ冒険者メリッサちゃん(仮)です。
メリッサちゃんの目の前に不意にこのような風景が広がった場合、瞬時に以下のようなツッコミポイントが発生します。
他にも絵に描けない情報として「黒人さんも命の危険が危ないとか思っちゃうレベルの蒸し暑さ」「全方位サラウンドでメスとLAN直結したい欲求を叫ぶ蝉時雨」と言うのが襲い掛かります。「盆で帰省という概念」も理解の範疇を越えている事でしょう。
情報量の少ないクソ田舎(自虐)でさえこの通りなのですから、メリッサちゃんが放り出されたのがザギンの一等地だった場合ど……どうなっちゃうのォビクンビクン。
さて、以上の例を挙げた事でお判りいただけたことでしょう。
我々が何の気なしに暮らす日本も、全く知らない異世界から見たらその辺の郵便ポストからちょっとした習慣に至るまでファルシのルシがパージしまくりだと言う事実を。
つまり現代日本を舞台にした場合、こういった全ての物を省略しながらも作品に込めることが可能となります。もっと言うと、日本人が日本を舞台にした物語を描く際は「日本あるあると言う膨大な内輪ネタ、もしくはテンプレ」を消費MPゼロ無詠唱で使用できると言う訳です。
ジョジョの2次創作界隈でDIO様が時を止めるのにも、ミスタが4を忌避するのにも、スト様がなんか死ぬのにも特に克明な説明なんかは求められません。だってジョジョクラスタの中では(ネタ個々に対する好悪はあっても)そんなもん知ってるのが常識なのですから。
それの破壊力:A(超スゴイ)のやつと言えばおわかりでしょうか。
文学では現代劇が最も上等とされがちなのは、ほぼフルオートで複雑な味がするからです。
日本を舞台にしただけで、我々日本人の脳は自動的に情景や音、場合によっては匂いまでも比較的明瞭に補間し物語の味を複雑なものにしてしまうのです。例えあらすじにしたら「鬱屈したからシャブに手を出して破滅した」で済んでしまうようなものでも、都会の喧騒の向こうにアイドルのプロモーションでも流れていればそれなりにリアルな空気感が感じられますし。
また現代日本じゃなくとも、実在のどこかのいつかの時代を舞台にすれば説明がそこそこでも重層的な味がするものです。
これは、ナーロッパの多くがテンプレ世界観である事にも関連しています。ドラクエや様々なTRPGを下敷きにした剣と魔法と冒険者の物語と言う共通の土台を持つことで、本筋やネタに関係しない所の説明は少なくできるのですから。より多くの説明が必要と言うのは、ヒロインとのラッキースケベが最大の魅力の作品で信号待ちの最中にいきなり信号機の歴史について5ページぐらい熱弁されないと今後の話が理解できない構造になっているようなものですからね。
余はプロジェクトXじゃなくておパンツが見たいのだ……何の話だっけ?
そして、表層的な味の複雑さと物語の出来はノットイコールです。
汎人類的なテーマを描く、例えば「家族の絆」みたいなもの程むしろ実在の世界を舞台にする必然性が薄くなります。家族のすれ違いや断絶→絆の再確認というグッドエンドor完全な破綻と言うバッドエンドと言うプロセスさえしっかり存在するなら、舞台が日本だろうがナーロッパだろうが擬人化したミジンコの住む謎メルヘン世界だろうが問題ないわけです。
そのどれが一番面白いかなんて舞台設定だけ見て分かるわけないでしょ?
でもミジンコメルヘンは字面だけで面白そうゲフンゲフン
現代日本を舞台にする必然性は、スクールラブ書きたいとか作中小道具でコンピューターを駆使したいとか銀行内での権力バトルをやりたい野田ァァァーーー!!!とか、物語の根幹のテーマとは無関係な部分で決めてしまってもぶっちゃけ問題ないのです。剣劇バトルしたいからその辺に帯刀してる人がウヨウヨ歩いてる時代設定に、と言うのも同様です。努力友情勝利恋愛などは汎人類寄りのテーマなので舞台の世界がどこだろうと関係ありませんが、作品全体の雰囲気は世界観および付随するガジェットに大いに引っ張られますから。
そんなわけで物語の本質的な出来と世界観はあんま関係ない事は説明しました。
ではなぜなろう作家はこぞって異世界に旅立つのか?と言う疑問が湧くんだと思いますが……やっぱり大した答えはありません。
ナーロッパは書き手にとって今最も自由だから。それに尽きます。
物語の舞台が現実に近い程複雑な味が得られるのは確かですが、同時にそれだけ現実に縛られることになるんです。その縛りの中でより自由にはばたくにはより高度な芸が必要だし、俗にいう○○警察も容赦なく銃撃してきます。
↑に載せた絵も自動車警察や電柱警察、天気警察とか道路警察デッサン警察が見たら逮捕どころか即銃殺クラスの大罪人なんじゃないでしょうか。コワイ!
でもナーロッパなら「そういう世界です」でファイティングマッポの首を一撃クリティカルできますのでね。
ではそんなナーロッパは、ストーリーの舞台として本当の意味で完全無欠のキングオブ無敵なのでしょうか?
……当然ながら無限のフロンティアと呼ぶには重大な欠点があります。
ビジュアル面です。
小説でビジュアル?とお思いかもしれませんが、文章を追いながら脳裏に映像を浮かべると言うのは実に多くの人がやっている事なのです。やってない人は時間停(ry
この問題は書籍化して挿絵が付いたり漫画化、アニメ化した際に視覚化されますが、それ以前にずっと存在するのです。考えてもみてください。剣と魔法ファンタジーの世界観って、そこまで絵的に差別化できるものですか?
プロの絵が付いてさえも見分けには多少のハードルがあるのです。完全な素人作品の段階では更に困難なのは言うまでもありません。
星の数の作品を掘り続ける百戦錬磨のベテランスコッパー(CV:大塚明夫)まで行かなくとも、割と多く読む皆様なら実感しておられる事でしょう。ナーロッパ世界観小説を多数ブクマしていて、今どの作品読んでるか混乱してしまうのがチャメシインシデントである事実を。
これは始めからビジュアルの存在する漫画アニメゲームでは考慮する必要のないものです。また小説でも、出版社がつよい作家とつよい絵描きをパッケージで売り出すラノベならば「スレイヤーズ!」と言うタイトルを目にしただけであらいずみるい氏の描くリナ・インバースの姿を右脳が勝手にドン!と生成する様な離れ業も可能になります。
ナーロッパ物語は、ビジュアルでの個性を出す事が一切合切出来ません。しかし剣と魔法ファンタジーのテンプレ的な映像を読者の脳内に作り出す事自体は可能です。
更なる問題はテンプレ的世界観から僅かでもはみ出した個性を出したくなった時に発生します。
例えばスチームパンク。個人的には大好きなんですが、文章からビジュアルを想像するのは難易度が高いです。もっと個性的な世界観となるとナウシカと言うビッグタイトルが存在します。ナウシカと言う作品の存在しない世界線に飛ばされたとして、文章だけでそのイメージを正確に人に伝える事はまず無理でしょう。少なくとも僕はムリダヨ。
ナーロッパビジュアル問題の回避手段としては、自分で挿絵とか描くなり人に頼むなりと言うのが存在します。しかし念願かなって書籍化なった場合にイラストレーターさんとの葛藤が生じかねない埋設地雷でもあります。
そして個性を出しづらいのは自動的に「十把一絡げ=低品質である」と言うイメージを招いてしまうのです。これもまた人類の性-Sa・Ga-。
じゃあどうしろって言うんですかオラアン?となる事でしょうが、これ以上作品自体に手を加えるのは仮に淫夢MAD見て鼻ほじりながら書いた手抜き純文学に芥川賞審査員が全員土下座してくるレベルの天才でも多分無意味です。
そこでツイッターなどを活用し自分を読者に売り込む&交流すると言う作品外活動の重要性が浮上します。
秋元なんちゃらさんの事は中指に封印した黒竜紋が疼くほど嫌いですが、SNSが普及する遥か以前に「会いに行けるアイドル」と言うコンセプトを打ち出した先見性は大天才のソレと言う他ありません。
しかしそうなるとファンを大事にしつつクソリプを捌くスタンド能力じみたすごいコミュ力が要求され……。
異世界物が程度が低いと言う人が居る。でも、ここまでして頑張る最前線の作家さんたちが低品質とはボカァ思わないね(極めて強引なまとめ)。
「続きが出来たよ!やったねたえちゃん!」
「ネットミームになれば鋼の意思でもってロリREIPU以外何一つ描かないエロ漫画家でも一般誌に連載持てるのか……やべえな令和」
連載用コラム枠作りました。→ https://ncode.syosetu.com/n9038fu/