会話のいらない行為
「セックスってさ、言葉いらないから楽だよね」
突然のわたしの言葉に彼は、動揺したのか持っていたものを地面に落とす。そんなに突拍子も無いことを言ってしまっただろうか。
「はっ?俺の言葉攻めで喘いでたのはどこのどいつだよ」
彼の言う通りわたしは彼の下で声を発し、悶えているだけ。彼の心臓に深く突き刺さるような声が、自分を失わせる。
あの瞬間だけ、自分の背中に翼が生えたかのようにフワフワと飛んでいける。
「ほら、わたし喘いでるだけじゃん?何も考えず、ただ純粋に、慎二の言葉を聞いて喘いでるだけ」
「まぁ、言われてみれば……。俺がただ、一方的に苛めてただけか」
日差しが強くなってきた。昼間からこんな破廉恥なことを言っているわたしたちを太陽が遮ろうと、どんどん強く当たってくる。
その光を無視して、話を続ける。
「コミュ障のわたしにとってさ、それって1番のコミュニケーションだったりするわけ」
「それ、側から聞いたらクソ女だけど」
「クソ女……わたしね、慎二に会うまでセックスなんてただの行為だと思ってた。痛いだけだし、ヤる男はみんな乱暴だし、男なんてみんな女を性処理道具くらいにしか思ってないんだろうなって」
今、彼の顔を見ることはできない。きっとすごく驚いた顔をしている。わたしの口からこんな言葉が出てくるなんて、彼は想像もしてなかっただろうから。
少し間があって、彼は微笑した。なにが面白かったのだろうと彼の顔を見ると、悪魔が微笑んだ時のような顔をしていた。
「俺もお前のこと、そういう風な目でしか見てないかもよ?」
心の中心がえぐられた。そして、わたしは思った。彼だって、たまたま昨日の夜が優しかっただけで、もっと深く知れば昔話に出てくる、女の子を食べてしまう鬼のように暴力的に女の子を扱うのかもしれない、と。
その反面、ずっと優しくゆっくり丁寧に扱ってくれるのではないかと期待した。その願望も込めてわたしは彼に伝えた。
「そんなことないと思う。少なからず、わたしの身体は素直に慎二の優しさを受け止めてるもん」
「ただ、縛られて目隠しされて欲情してただけだろ。それは優しさとは程遠い」
「でも……」
口ごもってしまった。もう、なにも言い返せない。
縛られて、目隠しされて、確かにわたしはそれだけで彼の全てが欲しくなった。それは紛れも無い事実。
その姿のわたしに物狂おしいほどの熱情をぶつけてきた昨日の夜の彼。初対面とは思えないほど、わたしたちは共鳴していた。
「……あのさ、さっきから誘ってんの?」
「えっ……」
わたしはふと我に返った。さっきから発している自分の言葉を思い返して、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。でもわたしは、すぐに頬が赤くなるような人間ではない。平静を装い、首を横に傾けた。
「セックスとかさ、女の子が発する単語じゃねーよ。もっと恥じらいとかさ、ほら、あるだろ」
「恥じらい……か……」
彼にはそう言ったものの恥じらいはある。すぐそこに穴があったら入りたいくらいの勢いで恥ずかしいことを言っている自覚はある。
「何?ねーの?何も?カケラも?」
「ある……には、ある……かな」
あるにはある、なんて嘘。顔が紅潮していくのがわかる。ただそんな話をしてしまったのは、昨夜からずっと彼の部屋にいて、彼と抱き合ってたから。彼の温もりだけを肌で感じ、幸せを心に溜めていたから、外の空気を吸ってその幸せが羞恥心と共に解放されたのかもしれない。
「つかこれ、ベランダでする話じゃねーだろ。しかも、洗濯物干しながら」
彼の言葉でまた一段と太陽がわたしたちを照らしつけるようになった。早く部屋に入って交わればいいと言わんばかりにわたしたちをいじめる。
「まぁ、たしかにそうだね」
「また日差し強くなってるし。暑すぎる。あとでイジメてやるから、手を動かせ。手を」
彼も太陽の脅威に気づいたらしい。文句を言いながら干すスピードを速めるわけでもなくゆっくりと洗濯物を干していく。
ほとんど、彼の物なのに、手を動かせ、と命令されてわたしは少し不機嫌になる。
「はーい」
「不満そうだな」
「別に」
「なんだよ」
さっさと干してよ、と言いたかった。しかし、そんなことを言って機嫌を損ね、せっかく彼がその気になっているのを妨害し、この後の行為に持ち込めなくなるのだけは避けたい。
「わたしとのセックス楽しい?」
全く違う質問をした。すると彼は物を取るふりをして俯いた。
「……あぁ」
一瞬だけ空いた間。きっと、何気なく会話を聞いた人はその間に気がつかないくらい、ほんの少しだけ空いた間。
「なに、今の間は」
知りたかった。聞きたかった。昨日の一晩だけだけど、わたしは彼に必要とされていたか、相手がコミュ障でも彼が楽しいと思っていたか。
「さっきからセックスセックスうるせーよ」
さっきから狂ったように、知りたがりすぎた。でもそれは、昨日の夜が心の底からワクワクする出来事だったから。ギラギラと照りつける太陽くらいわたしの好奇心は最高潮だった。わたしの中でそんな感情が芽生えていることを知らない彼が怒るのも無理はない。
ごめん、と素直に謝った。
「まぁ、でもフツーに楽しいとは思ってる」
彼がタオルの向こう側で子どものように笑った。顔の口角を精一杯あげて、わたしを見つめる。
「ほんと?」
「あぁ、ほんと」
わたしは心の中で舞い上がった。
お前はいつもマグロだ、と罵られたことがある。お前、不感症なんじゃねーの、と睨みつけられたこともある。そんなわたしとの行為を楽しいと思ってくれる人がわたしの目の前に存在する。
それがなによりも嬉しかった。
「今日も、昨日と一緒でどうせ喘ぐだけだろ?」
「うん、たぶん」
わたしは彼のTシャツ越しに彼に向かって笑った。
「正直かよ」
彼も私につられて笑う。
この空間が一生続けばいいと思った。
太陽が雲に隠れる。ほんの数秒、涼しく爽やかな風がわたしたちの間を通り抜けた。
「だって、わたしコミュ障だし」
「あー、はいはいわかったわかった。俺が悪かったよ」
「ふふふ」
「じゃぁ、この洗濯物を全部干し終わったらな」
「はーい」
この後また、私は彼に大切なもののように優しく抱かれる。
それだけで十分幸せ。彼氏ではないけれど、昨日道端で泣いていた私を拾ってくれただけだけど。
今はそれだけで生きる価値が十分あると思った。