最愛の人へ
何故これが『最愛の人へ』なのか自分でもまるで解りません。結局いつもの愚痴だし。何度も書いていることですが、自由詩って難しいですね。テーマも形式も、ほぼ決まっているようなものなのですけれどもね。
あの日数えた「僕ら」の数は
一人二人と増えているはずが
気付けばずいぶん減っていた
築いた家庭ってやつが決定打
イカれた世論が政権を買いかぶる
誰かが笑えばきっと誰かが涙する
自助で片付けられて泣きじゃくる
忘れたくないからここに書き殴る
どうやら君らの辞書には無い学習
それでも伝えたいこのI LOVE YOU
言い放った国民のために働く内閣
今まで違ったことがよく解ります
世界の潮流に乗り遅れるな脱炭素
だけど無くすとは言わない核弾頭
こっちの道のほうが歩きやすそう
今日できないことは明日に託そう
調子に乗せてるのは誰のご祝儀だ
みんなで同じように踊るお遊戯か
金に困っている人は少ないものな
お得意の排除ですかうるさい者は
隣人が飢えていても見て見ぬ振り
夢心地でウマイ話を信じて傷つき
いい加減に目を覚ませよ何回目だ
野党だって反対のための反対でさ
子羊たちは新しい神を拝みだすが
中心にいるのは大体が同じやつだ
国に騙されて酷い目に遭った昔話
忘れることのできない恨みばかり
それなのに政治の話題に興味ない
芸能ニュースがお好きそうみたい
汚れちまった石油臭いその足元の
お前が捨てた未来の灯が火事の元
あの日数えた「僕ら」の数は
一人二人と増えているはずが
気付けばずいぶん減っていた
築いた家庭ってやつが決定打
あの頃は君が傍にいてくれた
心の隙間はこんな詩で埋めた
君の思い出が胸を締め付ける
君は僕の心の中にいてくれる
ただ、とりあえず書いてみた、という感じです。感触は良くないですね。『こどもの碑』で涸れ果てた井戸から、何とかもう一度水を汲んでみたくて。他に書き方はいくらでもあったと思うんですよ。冒頭の友愛みたいなものを掘り下げてもよかったし、「見て見ぬ振り/して傷つき」は使い勝手のいい韻だと思いますから、別の方向へ持っていってもよかったと思います。落ち着きどころがここ。いつもの場所。惰性と思われるかしら。