モンキービジネス
私の周りの詩人たちが、スランプだったり暗黒時代だったりして、詩作に行き詰まっているようなのですが、私もその例外ではありません。なんでしょうね、言葉が出てこない。暑すぎるのでしょうか。詩は季節物。
例えば僕に与えられた仕合せな日々で
代わりに誰かが神様に嫌われたりして
椅子取りゲームだって聞かされた耳で
奪い取った自覚もなく満たされた君へ
例えば幸福な人の数だけ報酬が貰えるなら
君は自分自身を幸福な人として捉えるかな
そんな君の報酬の分だけ誰かが不幸になり
それでも幸福かと問われたなら首肯したり
肥えた者たちが自分の分け前を主張し合い
骨と皮までしゃぶり尽くされる浮浪児たち
そうやって僕らは世界の飢えを肯定して
捨てるほどある自分の取り分を防衛して
きっと天国と地獄ってやつなら
この踏みしめる地上にあるから
食べ物なら七十億人でも余りある
分かち合うことで天国は成り立つ
奪い合って捨てるほど手元に置いて
睨み合って満たされず地獄に堕ちて
例えば君の大事ない日常と引き換えに
戦場の村で朽ちた少年たちが生き返り
生き残る術のない彼らの報復の引鉄に
そうして終わらない憎しみの行き帰り
例えば顔も知らない誰かが犠牲になる事で
僕の大切な人の笑う顔が比例し合うもので
そのとき僕は誰かの犠牲に心を痛めるかな
自分の命より大切な人の笑顔のきらめく中
そんな人とここで愛し合っていられるなら
けれどもそれを言えば君が顔を顰めるから
やっぱり僕らはどこかで繋がり合ってる
お互いの痛みを癒し合い豊かになってく
きっと極楽と地獄ってやつなら
この踏みしめる地上にあるから
蜘蛛の糸を譲りはしない取り付く
地獄の底ですぐに間違いと気付く
譲り合う事ができれば極楽は眼前に
愛し合う僕らにはやれるはず完全に
テーマも形式も自由というのが苦手だというのは前にも書いたのですが、ここにきて改めて痛感しています。本作は現代自由詩運動の提唱者様の最新作に触発されたものですが(読んでいない人は『潮風詩央』で検索)、酷く不自由な出来であると思います。不自由な上に、不恰好で、何が言いたいのか判然としない。悪い意味で掴みどころがないですね。ぬらりひょんとしていると言うのでしょうか。タイトルも深い意味はありません。