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天然少女と平凡王子と素材の願い  作者: 一丸一
第3章〖蒼穹を仰ぐ瞳〗
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第88話

 願望、懇願、所願、渇望……。思いの形は数多とあれど、その根幹にあるものは皆“生”への執着。生物ならば当然の思いであるが、何故それらが己の体内に刻まれていくのか、思いはどこから流れてくるのか。


 水上の景色は極めて不鮮明であった。青に染まっていなければ鈍色の線もない。色々な色が混ざり合って汚れているのに、ぼやけた淡色が霧状に広がっている。しかしながら、身体に響く思いは強くなり、暫くの間は茫然とするのみであった。

 己が意識を取り戻したのは、不鮮明な視界から明確な敵意が突きつけられた時だった。水中で見た鈍色に似た不快感を覚えたが、あれよりもずっと気分が良い。敵意という分かりやすい意思が籠められているからだらう。むしろ不快感を覚えたのは純粋に、己の命を奪おうとする相手がいることに対する生存本能のようなものだ。

 長らく己に歯向かう者と対峙してこなかったことで自分の感性が鈍ってしまったようだ。今思えば前に己の片目を抉った陸の生き物は、命の奪い合いをする意思は微塵もなく、ただ戦うことのみを目的としていたが、もはやどうでもいいことだ。


 敵意を返すべく咆哮を轟かせると、視界に鈍色が現れた。己が愛した青を汚した忌むべき色。陸の生き物があの色を運んでいたと思うと途端に激情が体内を駆け巡り、憤怒の炎が湧き上がる。何よりも優先して奴を始末せねば、己の身は己の炎によって焼き焦げてしまう。


 標的を追い回していたことで向けられていた敵意への注意が疎かになった。水上で体勢の維持が困難になった為、水中へ逃げるが、奴を見逃す気はない。

 水を操って標的を狙うが、水中では鈍色の線が邪魔して正確な位置が掴みづらい。攻撃の手を増やしていくが、陸の生き物は身の丈通りに小賢しく動いて回避していく。どうやら直接攻撃でなければ葬ることは難しいようだ。

 己が水上に上がろうと身体に力を入れた時だった。水底からせり上がってくる不可思議な物に己が持ち上げられていった。敵意を向けていた者達の仕業であろうが、水上に上げてくれるならば望むところだ。忌々しき鈍色の者を仕留めてみせよう。


 水上に上げられてから様子を伺っていると、標的の方から同じ場に上がってきた。奴も己を仕留めたくて仕方ないらしいが、逃げ回られるよりよほど好都合だ。今度こそ忌々しい色を消してくれる。


 目障りにも素早く動く鈍色に傷を負わされ、口内を負傷した時、痛みとは違う感覚が体内で爆発した。体内を流れていた思いが誘爆していき、言葉にできぬ苦しみにのたうち回ることしかできない。


 体中を爆発して駆け巡る生への執着は己のものなのか、いつの間にか刻まれた誰かのものなのか定かではない。思いは爆ぜ消えては生まれてを繰り替えしていたが、時間が経つと共に収束する。

 同じ場にいた筈の鈍色がいつの間にか消えている。いつの間にか濃くなった霧の視界を見渡すが、鈍色はどこにもおらず、敵意の粒子がいくつか判別できるだけだ。


 探さねばならぬ。葬らねばならぬ。己の身に流れる誰かの「生きたい」という願いと、己の…………。

 そうだ。見たい世界があった筈だが、あれは何色だったか……。身体に巻き付く外部からの意思が思考に鍵を掛ける。


 己が己の願いを思い出すより先に、轟音が何もかもを奪い去っていった。






 蒼い世界を見た。空の清々しさとも海の深さとも違う蒼。蒼い景色以外は何も無く、何も聞こえぬ静寂の世界であったが、不安は無い。見たことも訪れたこともないのに何故か、何も無いことが自然であると理解していた。


 進む事も戻る事もできない世界を漂っていると、ふと世界が揺れ動いて、それからゆっくりと沈み始める。上下左右の概念が無いので沈むという表現が正しいか定かではないが、蒼の世界を見ていたステインは少なくとも世界が沈んでいると直感的に悟った。

 視界から蒼が剥がれ落ちて無の空間が広がって行く中、ステインの意識は覚醒していき、とある少女の声が聞こえてくる。


『魂を離さないで。願いを忘れないで』


 声の主を探すより早く、ステインは大量の気泡を吐き出した。すかさず訪れる命の危機に、体内の器官が警鐘を鳴らす。

 クライペン・スラングの攻撃を受けて気を失っていたことと、自身が水中にいることを理解し、一刻も早く水上に上がろうと光りが差す方へ頭を向ける。しかし、視界の端が蒼を捉えた為に、思わず視線を下に向ける。


 暗い水底に向かって沈んでいく蒼の球体がクライペン・スラングの眼球であることは直ぐに理解できた。水中に沈んだ時にポーチの中から出てしまったのだろう。薬もいくつか沈んでいっているが、クライペン・スラングの眼球だけは失う訳にはいかない。

 呼吸ができず命の危機に瀕している中、ステインは手の平に水の魔術を溜めて口に放り込む。焦燥した精神状態では満足な効果が得られなかったが、それでも多少は落ち着きを取り戻す。


 僅かに出来た時間を使い、水中に潜ってクライペン・スラングの眼球を手に取ると、示し合わせたかの如きタイミングで水上から水の魔術が伸びて来てステインの体を包んだ。マルリースの部下が助けに来てくれたのだ。

 魔術で水上に引き上げられる間に呼吸を整えていると、突き抜けるような激震が走る。何事かと思って周囲を見渡すと、遠くの方で巨大な何かが水中に落ちて行ったのが見え、ステインは入れ違いで浮上した。





 魔術で形成された舞台に上がったクライペン・スラングの巨体は船上からでも十分に視認でき、船乗り達は勿論、残った魔術師達も全員どよめいた。シルフィアとて例外ではなく、逸る気持ちが湧き起こったが、自身が戦場に出たところで何もできない事は弁えていた。船の縁を掴む手に力を入れ、全員が無事に帰ってくることを願った。


「おい!ボサっとしてないで援護するぞ!」


 甲板に荒々しい声が響き、クライペン・スラングの姿に圧倒されていた空気が動き出す。


「ニコラス、落ち着けって!援護できる装備なんて積んでないだろう」


「だからって黙って見てられるか!俺達の湖を取り戻すために戦ってんだろうが!一人で小舟に乗ってでも俺は行くぞ!」


「無茶苦茶言うなって!おーい!こいつ押さえるの手伝ってくれ!」


 船乗りが三人掛かりでニコラスを羽交い絞めにして身動きを封じるが、上った血は中々下がらない。仲間である筈の船乗り達に向かって声を荒げていたが、釣竿で頭を叩かれて漸く落ち着きを取り戻した。


「戦士達が勇敢に戦っている後ろでみっともなく暴れるでない。お前も湖に生きてきた男なら、そろそろ何があっても腰を据えて待つ度量を身に付けい」


「長老……けど……」


「お前いつでも船を動かせるように準備しておけばよい。目先のことに動揺して船のことを疎かにして、何が船乗りか」


 食い下がろうとするニコラスだったが、クラースの前では意見を言う暇すら与えられずに説き伏せられてしまう。

 船上の喧騒が落ち着いたかと思われたが、今度は魔術師達が大きくどよめいた。クライペン・スラングの尾によってステインが吹き飛ばされたのだ。船上からでは人の顔など見える筈もないが、クライペン・スラングと正面から戦えるのは魔術師団の中にはいないし、使用していた魔術が二属性の剣だったことからも、ステインで間違いないだろう。


 シルフィアは船の縁から身を乗り出し、息をするのも忘れて硬直していた。ステインとマルリースに施していた水の魔術の内、一つが途絶えたのだ。相手の魔力と同調させる補助系の魔術が意図せずに途絶える理由としては、被術者が何らかの影響で魔力の流れが絶たれてしまうことが考えられる。魔術による制限か、気絶か、死亡か。

 見ていた状況から、クライペン・スラングが魔術を放ったとは考え難く、尾が直撃したとあれば気絶、あるいは死亡したと考えるのが妥当だが、シルフィアは後者の可能性は考えていなかった。考えないようにしていたとも言えるが、ステインの容体を確かめねば安否は分からない。


 シルフィアがほぼ無意識で湖に飛び込もうとしたが、寸でのところで肩を強く掴まれた。


「これこれ、お嬢さんまでどこへ行く気じゃ」


 決して大きくない体格と、老いを隠し切れない腕であったが、普段から水や魚の入ったバケツを持ち歩き、日々魚を釣り上げてきたクラースの腕はシルフィアをしっかりと掴んでいた。


「あ……わたし、飛び込もうとしてました?」


 水面とクラースの顔を交互に見てシルフィアは乗り出していた体を引っ込めた。平静を取り戻したことを確認し、クラースは手を離して自身の腰を叩いた。


「ふぅ……大人しそうに見えて危なっかしい事をしよりますなぁ。この歳で久しぶりに全力で走るのは流石に堪えましたぞ。ははは……」


 息を切らしながらも陽気に笑って見せる。いつも離さず持っていた釣竿をニコラスの所に置いて来ていることを見るに、老体に鞭を打って一目散でシルフィアを引き止めに来てくれたのは想像に難くない。


「ごめんなさい!あの、わたし、これくらいしか出来ませんけど、少し失礼します」


 謝ると同時にクラースの手を取って魔術を施す。回復魔術と言える程のものでは無いが、クラースの体内で乱れた魔力を正常に戻した上で微かに活性化させる。


「気にせんでくだされ。っと、なにやら体が軽くなった気が」


 自身に起きた変化を実感すべく手足を上げてみると、実年齢より一回り若返った気分になった。


「魔力の流れを整えました。しばらくは体を動かすのが少しは楽になると思います」


「おや、そいつは助かりますな。ありがとう」


「お礼を言うのはわたしの方です。止めてくれてありがとうございます。あのまま飛び込んでたらステインに怒られるところでした」


「王子様ならきっと無事じゃて。あっしらは大人しく、しかし無事を強く信じて帰りを待ちましょうぞ」


 ステインの安否が分からないクラースの言葉は気休めでしかなかったが、気持ちが乱れていたシルフィアには彼の言葉に不思議な安心感を覚えた。

 気持ちの乱れは魔術の乱れにも繋がる。ステインへの魔術は途絶えてしまったが、マルリースの足回りは依然としてシルフィアが担っている。つまらない失態でマルリースを危機に晒すことは出来ない。シルフィアは深く息を吸って戦いの行く末を見守る事にした。



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