第87話
水中から引き上げられたものの、クライペン・スラングは暴れ狂う様子は無い。変わったことと言えば、戦いの主軸が魔術から自らの体積を利用した打撃に変わったことだ。
魔術で生成された円形の戦闘場はクライペン・スラングを引き上げる為には十分であったが、動き回って戦うには幾分手狭であった。元より戦闘を想定していたので広めに作る予定であったが、クライペン・スラングの体長が予想以上のものであった。しかし、その程度で退く訳にはいかない。ステインは魔術による援護を受けながら自らが生成した魔術の双剣を振るう。
クライペン・スラングが頭部を横に振るって鋭利な鰓を突き立てんとするが、ステインは跳躍によって回避する。クライペン・スラングの背に着地より先に太刀の切っ先が鋼の様に強固な鱗を斬り裂く。着地と同時に片手剣をたった今斬り裂いた傷口に突き刺して飛び退く。直後、クライペン・スラングは回転する勢いで身を捩らせる。跳び退くのがあと少し遅ければ、滑り落ちて致命的な隙を晒すことになっていただろう。
ステインが剣を突き刺しただけであっさり退いたのは、敵の行動を予測したこともあるが、それ以上に自身の攻撃の特徴によるものが大きい。敵の背に刺した片手剣はステインが着地すると同時に爆発し、蒼い鱗と赤黒い血が飛び散る。
立ち上がると同時に左腕を振って炎の片手剣を再び生成するが、攻勢には出ない。爆発の衝撃を自らの膂力で乱暴に振り切って喰らいつかんとして来る敵が迫っていたからだ。
半数以上が折れた牙であるが、人ひとりを食い破るのは造作もない。しかし、大きく開かれた口に招かれたのは肉ではなく水の刃。袈裟と逆袈裟の形で飛来した刃に上顎と喉を裂傷させられた痛みから、叫び声を上げながら首を出鱈目に振り回す。
攻撃が効いているのは間違いないが、舌を伸ばして首を振り回すものだから、鞭を乱舞させられているようでステインとしては攻撃の隙に有りつけない。狭い戦場を隅まで使いクライペン・スラングの暴走が止まるまでやり過ごす他ない。
暴れ回るクライペン・スラングの上空で四属性それぞれの槍が出現し、一斉に射出される。槍は対象を背から腹へ貫くだけの長さはあったが、残念ながら鱗に弾き返されてしまい霧散する。
「うっ!?」
クライペン・スラングの尾の叩き付けを横にステップして避け、舌の薙ぎ払いを跳んで回避した時だった。ステインは着地した足を滑らせて短く悲鳴を上げた。飛び散った血に足を取られ、転びはしないものの体勢を大きく崩した所にクライペン・スラングの尾が振り払われる。魔術による防御も援護も間に合わず、ステインは精一杯の反撃として片手剣を突き刺すが、体は舞台から盛大に吹き飛ばされ、支援攻撃をしていたマルリース達よりも更に後方の水面に沈んだ。
指示を出された訳でもなく、魔術師団の一人がステイン救出の為に動き出し、他の者は振り返らずに魔術を練る。
「死んでも敵を止めなさい。私が仕留めるわ」
冷静でいて、ごく自然な口振りでマルリースは部下に告げると、強大なモンスターを屠るべく詠唱の準備を開始した。ステインの事が気掛かりでないと言えば嘘になるが、「自分より上位の魔術師があの程度でやられる筈がない」という絶対の信頼がマルリースの集中力を強固なものにしていた。
隊長から命令を受けた魔術師達もステインのことは心配だったが、全員で仲良く救助に行く場合ではないことは重々承知していた。何より今持ち場を離れようものなら、背中に魔術を叩き込まれて水中に沈む事になるのは明白だった。ステインの無事を祈りつつ、舞台の上で暴れているクライペン・スラングの動きに集中する。
獲物のいなくなった舞台の上でクライペン・スラングは尚も暴れ回っていた。痛みで狂って暴れていただけで、ステインを吹き飛ばしたのは意図しないものだったのだろう。
口内と背中からの傷に加え、いつの間にか尾の鱗が一部剥がれて出血していた。ステインが吹き飛ばされる時に突き刺した片手剣による爆発の成果である。
痛みがある程度退いたクライペン・スラングは舞台上に獲物がいなくなっていることに気付くと、身をうねらせて湖に落ちようとするが、不可視の壁に阻まれて叶わない。「たとえ見えなくとも障害があるならば破壊するのみ」そう告げるように尾をしならせて壁に叩き付けると、空がひび割れてて粒子が霧散していく。
障害を取り除いたクライペン・スラングは今度こそ湖に飛び込もうとするが、再度壁に阻まれる。マルリースの部下達が交代で障壁魔術を展開しているのだ。
障壁魔術は鎧を着た兵士が相手ならば十人前後は押し止められる強度を持っていたが、クライペン・スラングの膂力は兵士十人分では済まない。一撃で破壊されてしまうが、一撃持てば十分だ。クライペン・スラングはその巨体が枷となって、地上では動きが緩慢である。障壁が破壊されてから湖に飛び込むまでに次の障壁を用意することは容易であった。
次々と現れる障壁に業を煮やしたクライペン・スラングは自身の進行方向に水泡を一つ出した。魔術を無効化する水泡の前では障壁魔術は意味を成さない。
クライペン・スラングを湖に逃がしてしまう。魔術師達の間に動揺が走る。魔術を得意とする者が魔術を封じられてしまってはどうすることもできず、マルリースはまだ自身の魔力を集中させている段階で詠唱に入っていない。
クライペン・スラングが頭部を舞台から出した時だった。水面に伸ばされた顔は着水する寸前で停止する。身を捩るように伸ばすと口先が水に触れるが、それ以上先に進めない。何故か。
「お前ら!まだ死んでねぇなら魔術であいつを縛れ!ボーっとすんのは死んでからでもできんだろ!!」
一人の魔術師が声を荒げ、クライペン・スラングへ向かって右手を伸ばしている。手の先を辿ると、舞台に縛り付けるように土属性の鎖が出現していた。
「そいつは無理っす。隊長は“死んでも敵を止めなさい”と言ったっすから、死んだ後もボーっとしてらんないっす」
仲間の叱咤激励に自分達のやるべきことを思い出した一同はすぐさま魔力を集中し、クライペン・スラングを縛る鎖を展開した。
「へっ……減らず口が利けるなら始めっからしっかりしろっての……」
仲間が立ち直る数秒の間、一人でクライペン・スラングを拘束していた魔術師は限界を迎えると脱力し、仰向けになって倒れた。
三本の属性違いの鎖がクライペン・スラングを縛っているが、それも僅かな時間稼ぎにしかならないだろう。だが、諦めるわけにはいかない。自分達は王国魔術師団第四部隊の隊員であり、隊長が自分達に足止めを命令したのだ。隊長は魔術が関与すると破天荒な人間であるが、そんな勝手な振る舞いに不満を抱くことすら忘れてしまう程、隊長の魔術は圧倒的であり、一種の絶対性すら秘めている。その隊長が敵を仕留めると言ったのだから、敵の撃破は約束されている。
後方で沈んだ王子にも、直ぐ近くで倒れた仲間にも、気を使う余裕は一切ない。自分達は自分達にできることに全力を尽くす。僅かでも力を緩めればクライペン・スラングの脅威に瞬く間に飲まれる。
しかし、いくら意を決そうと、力を振り絞ろうと、限界はやってくる。それも意外なほど早く。
三本の鎖から粒子が舞い始め、魔術師達の意識が朦朧としてきた時、待望の歌が耳に届いた。
「緑風よ青水宿して彼の者の空を覆い天宮よりの報せを運び賜え」
炸裂音の後、微風が肌を撫でる。
「其は輝き落ちるものであり、汝に滅びの運ぶ霹靂成り」
炸裂音と共に鎖が一本消失し、マルリースの前で水飛沫が上がる。顔に付いた水滴を気にも留めず、最後の一節を口にする。
「雷鳴よ……雷鳴よ!!」
左手を天に掲げると同時に炸裂音。微風は暴風へと変わり、標的へと襲い掛かる。逆巻く風に乗った水流が、拘束する物のなくなったクライペン・スラングの体を再び魔術の舞台の上に戻し、全身の鱗を引き裂く。無数の箇所から出血するクライペン・スラングはのたうち回っていたが、巻き上がった風と水の混合魔術は舞台の上空で停滞していた。
「アルナイル・ウィンド!」
掲げていた手を一気に振り下ろすと、停滞していた魔術が急激に集束し、湖を裂くような轟音を鳴らして雷が落ちた。クライペン・スラングは絶叫を上げるが、雷の轟音の前に意識ごと掻き消され、魔術師達が懸命に維持していた舞台が粉々に砕け散ったことで漸く水中へ帰ることが叶った。
八人分の魔術の結晶を粉砕し、標的を屠ったマルリースは魔術を発動したままの体勢で少しの間硬直していた。
「……はぁ」
やっとのことで溜め息を吐くと、体中の緊張が解けていくのが実感できた。体勢を戻して魔術による通信を試みる。
『一先ず作戦は成功よ。こっちは皆魔力切れで倒れているから手を貸しなさい』
『了解しました!やりましたね、隊長!』
舞台を展開していた部下達の合流を待ちつつ、気を失って水面に浮かぶ部下達が溺れないよう、風の魔術で体を起こしてあげた。




