第78話
錬魔術→空魔精錬術の略称
己が身は同種の中においても特異な物であり、その様はもはや別種と呼ばれても相違ない。尤も、始まりは己も同種と同じ姿形で産まれた為、奇怪に見られる事はなかった。いつから姿形や知覚が異なり出したのか、何故変化が訪れたのかは分からない。
己らは陸に生息する小手先と知能が進化した生物のようにレキシとやらを残さぬ。過去が分からぬから原因は探れぬが、そもそも己らはそこまで身の変化に執着せぬ生物であった。己が身を恐れるは同地域に棲む者共よりも陸の者、特に先も思い浮かべたレキシを残す種族だ。
己は己とその周りに害が及ばぬ限り、陸の者へ関心を示さぬが、どうも奴らは違うらしい。己の姿を見ただけで鳴き声を発し逃げるか、爪と牙の代用品を持って敵意を向けて来る。何もせぬと言おうが、狂ったような鳴き声が返ってくるばかり。意思の疎通が図れぬならば仕方あるまい。己とて滅多なことで地上に用はない。平時は水底で静穏に暮らすことにしていた。
同種との違いは外側のみならず、内側にも表れた。うまく表現は出来ぬが“世界を満たす何か”を視ることが出来るようになった。基本的には青の濃淡で視えていた。美しい世界の色は、己のいつ終わるか分からぬ長き生の中でも飽きることなく存在していた。
青の中に不穏の色が視え始めたのは最近の事だ。鈍色は一筋の心許ない線であったが、水面から真っ直ぐ己が棲む水底まで伸びて来ていた。己は線を辿って、いつぶりか分からぬ地上を拝んで……そこで出会った奇怪な気配を醸し出す生物に片目を抉られた。
【グロート町】
ミッセン村からグロート平原を東に進んで行くと、地平線の先で緑が消えて石畳の地面と石造の壁が姿を現した。鉄で補強された木製の扉の脇には管理室が設けられており、町に入る為の手続きを済ませる。
人の三倍近くある扉が内側から開けられると、いよいよ街並みが姿を現した。先ず目に入って来るのは通りに沿って整然と並んでいる民家や商店。ゲレゲン村やミッセン村では自由気ままに建物が置かれていたが、人や物の出入りが多い港町では、どこに誰が住んでいるか少しでも分かりやすくするため、通り毎に区画を整理している。建物自体も木製ではなく石やレンガを使った物が多く、家主達の好みに合わせて外壁や屋根が塗装されている。
ミッセン村から運んでくれたパーツ車の主人は、軽く買い出しをしてから帰るとのことで別れる。ステイン達は自分達の目的の場所、平原側からだと少し奥まった所に見えるが、街の中でも一際高い白いとんがり屋根と、その先端に付けられた国旗が目印の庁舎へ向けて歩き出す。
色とりどりの家屋に挟まれながら大通りを進んで行くと、建物と建物の間に細い路地がいくつも枝分かれしている。路地には木箱やら樽が積み上げられている事が多いので通路としてより荷物置き場として活用されている。
クライペン・スラングの被害があったと言う割りに、街を行き交う人々は平時と変わらず活気に溢れており、ステインの顔を知る者は気さくに挨拶をしてくれる。ロヴィーが嘘を吐いたとは思えないが、現状把握の為に近くにいた男に被害を聞くことにした。
「すみません。クライペン・スラングが現れたと聞いたのですが、ご無事ですか?」
「うん?スラングの親玉に船は幾つかやられて怪我人も出たのは確かだが、全員生きて帰ってこれているし、船が出せないと落ち込んでてもしょうがない。というより、嫁がここぞとばかりに家の事を押し付けてくるもんだから、落ち込んでると尻を叩かれるんだわ!ハッハッハ!!」
木箱の上では家具の部品らしき物と工具が転がっていた。なるほど、陸の上でも仕事は山積みで、寧ろ奥様方は手を付けられなかった家具の補強や荷物整理を旦那に頼めて肩の荷を一つ降ろせている。
「誰も亡くなっていない?」
死者が出ていないのは喜ばしいことだが、奇妙な話しである。人を丸呑みできる程巨大な体躯を持つモンスターに船を破壊されているにも関わらず、全員が生還するというのは偶然と考え難い。
「そうだ。船を出す前に長老が、今日は危険だからって、魔術師を同伴させてくれたのが幸いしたよ」
長老の名前はクラース・アッケルマンと言い、魚を釣り続けて五十年の大ベテランだ。人生の殆どを湖の上で過ごしてきたからか、湖の“機嫌”が分かるらしい。超能力や魔術的要素は無いが、湖と人生を共にして来た者のみが分かる何かがあるらしい。船乗り達も自然には人間の理屈が通じない事は理解しており、クラースの助言を素直に聞き入れている。
船の護衛に当たった魔術師は若い女性を筆頭にした、この町に配属されている王国魔術師団であり、クライペン・スラングの脅威にも勇敢に立ち向かって人命を助けた。と男は自分の武勇を語るように教えてくれた。
ステイン達は事情を話してくれた男に礼を言うと、改めて庁舎に向かう。
「湖の機嫌かぁ。錬魔術でわたしも分かるかな」
通りを歩きながらシルフィアが独り言つ。交魔線を通わせることが出来れば声を聞く事はできるだろうが、現在の湖は凶暴化したクライペン・スラングが潜んでいるので荒れている可能性が高い。広大な湖であると単純に情報量が多いこともあり、ステインは事態が収拾してから試すことを勧めた。
「さっきの話しに出て来た魔術師だけど。あれってマリーのことだよな」
会話の切れ目でテレシアが聞いてきたので、ステインは同意の頷きを返してから答えた。
「うん。彼女ならクライペン・スラング相手でも動じずに立ち向かうだろうね」
「二人の知り合いなの?」
興味を示したシルフィアに、ステインは軽く人物像を紹介することにした。
マリーこと、マルリース・ド・レイクはグロート町に配属された王国魔術師団第四部隊隊長である。彼女はステインが王立術式学校魔術学科に通っていた頃の同級生であり、ステインと同等以上の魔術の才能を発揮するも素行にやや難があった為、次席で卒業している。卒業後は本人の希望もあって王国魔術師団に所属し、そこでも魔術の才が埋もれることはなく、トントン拍子で隊長の座に任命された。彼女が隊長になってから、第四部隊が王都ではなくグロート町の警護を任せられていることに特別な意味は無いと思いたい。
「シルフィアもきっと仲良くなれるよ」
「いや、ご主人様、きっとじゃなくて絶対だろ」
「はは……そうだね。シルフィアなら絶対大丈夫だね」
交友が広がるというのに、何故かステインとテレシアは素直に喜べていない様子で、マリーを知らぬシルフィアは小首を傾げるばかりであった。
そうこう話している内に、三人は目的地であった庁舎に辿り着く。白い円形状の建物は太陽の光りを浴びて白さを増しており、微かではあるが厳かな雰囲気を醸し出していた。しかし、この建物が町の自治を担っている役所であることを知っているステインは、特に気にすることなく扉を開ける。
建物の中は日光から逃れたからというだけでなく、水と風の魔力で編まれた魔術が施されていて涼しげな風が巡回しているものの、クライペン・スラングによる被害もあってか、僅かに緊張した空気も混ざっていた。
「魔術師団の事務所は三階だったかな」
出入り口の脇の壁に掛けられた案内板を確認してから階段を上ろうとすると、若い女性の声が呼び止めてくる。
「あれ~?王子様ですか?王子様ですよね!?」
猫を撫でる声でテレシアの眉間に皺が出来たのは気にせず、ステインは声の主へ振り向いた。そこには垂れた目を細めて人懐こそうな笑顔をした少女が立っていた。少女は肩下まである紺色の髪を白いリボンでツインテールにしており、藍色の改造されたエプロンドレス纏っていた。袖口やエプロン部分にはフリルが付けられており、肩口から胸元にかけて大きく開かれていてエプロンの脇からは豊満に実った胸が覗いて見える。スカートはかなり短めにされており、黒いタイツを履いていなければ脚部の殆どを露出していることになる。
「やあ。カルラ、久しぶり」
「お久しぶりです~!いつこちらにいらしたんですか?」
カルラは小さい歩幅で距離を詰めて来るが、ステインは特に気にする様子もなく答える。
「つい先程。あ、シルフィア、この娘はカルラ。この庁舎でギルドという組合の受け付けをしている」
「カルラ・ヴェーダです!あなたがシルフィアさんですかぁ。お噂は兼々伺っております」
今度はシルフィアの前にちょこちょこ移動したかと思うと深く頭を下げた。
「あ、これはご丁寧に。シルフィア・レーンデルスです、はじめまして」
シルフィアも合わせて深く頭を下げて対応する。
「あー……おい。そんなに腰を曲げるな。下が見えるだろ」
スカートを引っ張りながらテレシアが声を掛けると、カルラは姿勢を戻してスカートを押さえる。
「あわわ、お姉様申し訳ありません~」
「その呼び方はやめろって言ってるだろ」
「いえいえ~、正規のメイドとして王宮で奉仕しているだけでなく、王子様の専属メイドだなんて、憧れて尊敬してしまいますよぉ」
カルラが近付いた分テレシアは後退して距離を取る。小さな子供達に慕われるのは良くとも、歳の近い者に慕われるのは苦手らしい。
「ご主人様、のんびりしてて良いのか?早くマリーのところに行こう」
求められた助けに気付いているのか否か、ステインは「そうだね」と相槌を打ってカルラに向けて言葉を投げ掛けた。
「魔術師団の事務所は三階で良かったよね?」
「はい~。そうですけど~、少し前に隊長さんが外に出てって、その後に隊員さんたちが慌てて出て行ったので、今は留守にしてますよ~」
「どこに行くか話してなかった?」
「隊長さんは特に言ってませんでしたけど、隊員さんが港だって言ってましたよぉ」
「そう、ありがとう。行ってみるよ」
ステインにお礼を言われ、カルラはにやけながら手を振って「お気をつけて~」と見送ってくれた。




