第77話
アマリアを救った、その日の夜、トルディは再び彼女の家を訪れた。オート・ファミリア―が正しく機能しているか確認する為でもあったが、もう一つ重要な事を確かめる為でもあった。
玄関の戸を叩くと少ししてからアマリアの声と共に戸が開けられ、覗かせた顔色はトルディがこれまで見て来たものの中でも最も健康的だった。生まれつき体が弱い事と、ここ数日生死を彷徨っていたので少しやつれて見えるが、時間が経てば健康体に戻るだろう。そうトルディに楽観視させる程度にはアマリアの調子が良さそうだった。
「夜分に悪いね。体の調子はどうだい?」
「お陰様で随分と良いわ。良すぎて逆に怖いくらいよ」
微笑みを浮かべて答えてからトルディを家の中に招き入れようとするも断られてしまい、残念そうに眉根を下げた。
「邪魔する程の用事じゃないんだけど、少しシェルトと話させてもらえないかい?」
「ええ。構わないけど、少し待ってて。あの子、みんなが帰った後ぐっすり寝ちゃって、ついさっき起きたばかりなの」
「ああ……疲れてたんだろうさ。無理に呼んで来る必要はないよ。また明日にでも改めるからさ」
常に緊張した状態で二日寝ていなかったのだから無理もないと思うと同時に、トルディ自身も同じ時間寝ていない事に気付いて急に目蓋が重くなった気がした。
「いいえ、折角来てくれたのだもの、呼んで来るわ。中で待っててもらって良いから」
そう言い残すと、パタパタと足音を立てながらシェルトを呼びに行く。一人玄関前に残されたトルディは首を上げ、これからシェルトに言う事が自分にとって正解になるのか、答えの出ない問いを夜空に巡らせていた。
意外にも早くアマリアとシェルトが戻って来たので、トルディは少し驚いて見せながら視線を正面に戻した。
「すみません、お待たせしました」
シェルトは謝りながら頻りに髪を弄っている。どうやら寝癖が直らない様で、両手で髪を押さえてもハネが隠せない。鳥の巣みたいだと、普段なら笑って見せるトルディだが、急に押し掛けた手前でもあるので自重して直ぐ本題に入ることにした。
「少し真面目な話しなんだけど、良いかい?」
「……はい」
「そんな暗い顔しなくとも、アマリアの事じゃないよ。あんた自身の話しさ」
「あら?これって私が聞いてても良い話し?」
神妙な面持ちになる二人の間で不思議そうに首を傾げるアマリア。彼女のやんわりとした空気の読まなさに調子をずらされたトルディは逡巡した後、アマリアも混ぜて話しをした方が良いと判断して宅内に失礼することにした。
アマリアが人数分のお茶を用意してリビングにあるテーブルに着いてから、改めてトルディは口を開く。
「アタシの話しは、シェルトの今後の進路についてだ」
「ボクの進路ですか?」
「そう。王都で回復魔術師になるのが夢だったんだろう。アマリアの為って理由は無くなったかもしれないけど、ずっと目標にしてきた事を簡単に諦められるのかい?」
オート・ファミリア―を使用する時シェルトは「母親の為に回復魔術師になるのが夢」と言い、また「母親の世話が必要になるならば夢を諦めてこの村に残る」という意思も見て取れた。
まだ一日と経っていないので仮定の話しになるが、アマリアの容体が今後も安定した場合、シェルトは今後何を夢見て生きて行くのか。直ぐに新しい夢を見つける必要は無いかもしれないが、早く見つけるのに越した事はない。否、早く今後の事を決めたがっているのはトルディ自身に他ならなかった。
トルディの心は今、二つの選択肢の間にある。当初から決めていた通り村を出て行くか、それともミッセン村に腰を落ち着けてしまうか。ロヴィーと口論にならなければ選択肢など現れなかったが、昼間の事があってトルディの心は揺れ動いていた。勿論、ただの引き止め程度で自分の意思を曲げる気は無かった。だが、オート・ファミリアー、トルディの父親が魔力の少ない人の為を想って作り上げた物が百年以上の歳月を経て漸く本来の用途で使用されたのだ。父親の夢が叶った村に自分の居場所を作るのも悪くない。
さりとて、他の人間と同じ時間を過ごせる訳ではない。一方的に去って行く人々を見送り続けるのは辛いし、見送られる方で気味悪がる者も必ずいるだろう。一時の感情に流されず、これまで通り各地を渡り歩いた方が長い目で見れば良い方向に進むかもしれない。
村を去るか、留まるか、どちらが良いか答えが出ないことはトルディも理解していた。なので、彼女はどちらかを選ぶ為の理由を見つけるべくシェルトに質問を投げ掛ける事にしたのだ。
シェルトは聞かれると思っていなかった質問を向けられ、少しの間考え込んでいたが、やがて確かめる様に口を動かす。
「しばらくは、この村に残ります。入学するのは来年でも、再来年でもできますから。母さんの様子とか、貯金をしっかり確保してからでも勉強するのは遅くないと思いますし、別にやりたいことが見付かるかもしれませんので」
やはりというべきか、シェルトは自分の今後の事について、まだ深く考える時間を設けていなかった。
母親の様子を見ながらやりたいことを探す。ひどく妥当な答えが返ってきたのでトルディは安心した反面、強い迷いを感じていた。ここでシェルトが僅かでも「回復魔術を学びたい」といった素振りを見せてくれたなら、トルディは次の言葉をどれだけ楽に告げられただろう。だが、ここまで来て何も提案せずに帰るのも不自然だったので、息を飲み込んでから開口した。
「よかったらアタシが教えてあげようか……回復魔術」
「えっ?」
思いがけぬ提案にシェルトは聞き返すことしか出来なかった。
「王都で教えてるのとは少しやり方が違うかもしれないけど、回復魔術なら覚えがある。シェルトさえよければ、時間を見つけて教えてやれるよ」
「え……と、その、悪いですよ。母さんを治して貰って、その上ボクまでお世話になるなんて……」
口籠りながら遠慮するシェルトの肩に、アマリアが静かに手を置く。
「教えてもらったら?今までシェルトは母さんの為に回復魔術を学ぼうとしてくれてたけど、何も母さんだけが回復魔術を必要としてるわけじゃないわ。村のみんなを助けることができるのよ。それに、シェルトは小さい頃から魔術を勉強したいって言ってたじゃない」
「母さん……」
母の言葉を受け、シェルトは短くも深く悩む。心の奥底にある、自分の本当の気持ちを探しているのだ。
「……トルディさん、お願いします。ボクに回復魔術を教えてください」
真っ直ぐに視線を向けて告げた後、テーブルに額が付きそうなくらい深く頭を下げる。シェルトの様子を見たアマリアも続いて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「ありがとう」
下げられた二つの頭に届かぬ程の小さな声で礼を言ってから、気持ちを切り替えるべく両手を叩いた。
「はいよ!アタシが立派な回復魔術師にしてみせるから、覚悟して付いて来るんだよ!」
「はい!」
普段の調子に戻ったトルディと、普段より明るくなったシェルトの張りのある声が宅内に気持ちよく響き、アマリアの幸せそうな笑顔が、平凡でも平穏で幸福な毎日が戻って来たことを物語っていた。
翌朝、ミッセン村の南門の前に小さな人だかりが出来ていた。パーツが引く荷車に乗って、グロート町に旅立つシルフィア達を見送ろうとする人々の群れである。
「農具から薬から村を守るところまで、本当にありがとう!連れて来れなかったけど、牧場にいる子達も皆、感謝してたよ!」
そう言って荷車にミッセンミルクを詰めた瓶を乗せるエルセ。ツェルフォンヅから受けた傷はシルフィアのお陰で全快しており、今まで通りエンコエとファイタンの世話に汗を流している。
「自分からもお礼を言わせてください。ミッセン村を守ってくださり、本当にありがとうございました。僭越ながら、こちら当店で特別にブレンドした豆ですので、旅の休憩の際にでもお飲みください」
ロヴィーは丁寧な手つきで紙袋を渡す。二重に包まれて、きちんと封はされているものの香ばしい匂いを閉じ込めるにはやや役不足であり、薫りだけで心が落ち着いてくる。喫茶店アンパサ特別ブレンドが、グロート町や王都では知る人ぞ知る高級豆だということは、残念ながらシルフィア達は知らない。
「しばらくしたら王都の学校行くから、会った時は面白い所に連れてってくれよな!」
親しげに話し掛けてくるのはシェルトの友人、ユルヘンだ。彼は王立術式学校の魔術学科に入学することに決めているらしいので、無事入学すれば王都のどこかで会えるだろう。
「ユルヘン、あんまり失礼なこと言わないの!ごめんなさい、皆さん。王都で騒ぎを起こさないように、よく言い聞かせておきます」
「へへーんだ!王都に行けばシェルトの小言聞かなくて済むもんねー!」
真面目なシェルトと奔放なユルヘン、真逆の二人であるが互いに気を許し合って生きて来た。暫くすれば離ればなれになってしまうが、二人の友情は何だかんだで繋がり続け、それぞれが魔術の才を開花させていくことになるだろう。
「皆さんに救って頂いたこと、いくら感謝申し上げても足りません。こんな物でしかお礼を差し上げられませんが、どうか受け取ってください」
アマリアから渡されたのは宝石を数珠繋ぎにした腕輪だった。宝石の名前は砂連珠。手の爪程の大きさの透明な石の中に、白い半透明の粒子が入っている不思議な宝石である。あまりにも珍しい宝石であったのでステインは受け取りを拒むが、アマリアがどうしても受け取って欲しいと言ってきたのでテレシアが快く受け取った。
「王子様達のお陰で、随分と救われたよ。本当に感謝してる。もう暫く……この村に居座ることにしたからさ、近くに寄った時はまた泊まっておくれよ」
トルディの過去は正直なところツェルフォンヅの襲撃以上に衝撃的であったが、父親の夢を叶え、自分の特異さを受け入れて先に進もうとするのならば、これ以上嬉しいことはない。ステインは「きっとまた、お世話になります」と明るく応えた。
一通り挨拶を終えると、名残惜しくもパーツ車は発車する。発車時刻も、時間指定のある予定もないが、いつまでも語らっていては別れの空気が台無しになってしまう。三人は荷車の後ろから、見送りに来てくれた人々の姿が見えなくなるまで手を振り続けてミッセン村を後にした。
パーツ車が見えなくなると、人々は一息吐いてからそれぞれの生活に戻っていく。
「村に留まることを選んでくれたのですね」
清々しい風に頬を撫でられながら、ロヴィーはトルディの横顔に向かって声を掛けた。
「ああ。まだこの村は手が掛かりそうだからね……それより、今日からシェルトはうちの宿で働かせるからね」
「ええ!?そんな急に!?」
感慨深そうな表情をしていたロヴィーの目が大きく見開かれ、彼の声を聞いたシェルトとユルヘンが話しに混ざってくる。
「何かあんのか?」
「シェルトは今日からアタシの下で働きながら回復魔術の勉強をするって話し。さ、シェルト、覚えることは山ほどあるんだ。早速宿に戻って一流の宿主兼回復魔術師を目指すよ!」
「え、え……そこまで上を目指すつもりは……」
「簡単に夢を諦めるんじゃないよ!どんな怪我も自分が治してみせます、くらい意気込みなよ。その方がアマリアも安心する筈さ!」
トルディに腕を引っ張られ、シェルトは宿に連行される。取り残されたロヴィーが茫然と立っていたので、ユルヘンは肩を叩いてサムズアップして見せる。
「シェルトの代わりにオレが働こうか?」
「……稼ぎが食器代に消えてしまいそうなので遠慮します」
大袈裟に空を仰ぎ見ながら断るロヴィーに、ユルヘンは唇を尖らせて不満を露わにしたかと思うや否や、直ぐにシェルトの後を追って走って行く。
風はやや強く、空に浮かぶ小さな雲は軽々と流されていくが、気持ちの良い青空が損なわれる事はなかった。
第2章、完結です。




