第75話
静かに眠る母親を見守るシェルトの表情は筋肉が硬直したように不安気に固まっており、トルディ達が部屋に戻ってきても和らぐことはなかった。動かぬ口の代わりに視線で助けを乞うと、トルディは何も言わずに細かな鎖で繋がれた四色の正四面体をズボンのポケット入れから取り出した。
「こいつでアマリアの魔力は復活する」
シェルトは声の出ない口を開いて歓喜し、目の前に差し出されたオート・ファミリアーの付いた首飾りに向かって手を伸ばした。しかし、トルディは縋り付く手を拒むように首飾りごと腕を引っ込めた。
「だが、何も副作用が出ない保障はない。元々魔力を生む力が弱かった人間が急に今まで以上の魔力を得るんだからね」
「……それでも、どんなことがあっても、母さんが生きてくれるなら……」
無機質な声色に対し、振り絞って出した言葉は全て出し切る前に掠れて消えてしまう。シルフィアはトルディの手からオート・ファミリア―をひったくってしまいたい気持ちだったが、胸の前で手を強く握って堪えていた。
「もし母親の世話が必要になったらシェルトはどうするんだい、魔術師になる夢は?」
「諦めます。元々、僕が回復魔術を勉強したいと思ったのは母さんの為ですから」
回復魔術ならばトルディに教えてもらえば良いではないか。そうテレシアが口に出そうとしたが、ステインに止められる。早く助けを差し伸べたい気持ちは分かるが、二人に覚悟を決める時間を与える必要があるのだ。
答えを聞いたトルディは少しの間シェルトと視線を交わすと、ゆっくりと腕を差し出した。
「着けておやり」
伸ばされた手の平にオート・ファミリアーをそっと乗せると、温かみのある声で囁く。シェルトは力強く頷くと、早速アマリアに首飾りを着ける。首元で四色に光る鉱石に手を乗せ、目覚めるのを祈る。
室内に居た全員が長い長い時間、呼吸をするのも忘れて待った。実際の時間としては二人の人間の他愛ない会話が二、三往復する程度のものであったが、問題なく機能するか、人体に影響は出ないか、早く目を覚まさないか、といった憂虞や切望が感覚を狂わせていた。
やがて、アマリアはの目蓋は周囲の様子を窺うようにゆっくりと持ち上がると、室内の沈んだ空気は歓喜によって弾け飛んだ。
「母さん!ボクのこと見える!?どこか苦しい所はない!?」
勢い余ったシェルトが問い詰めると、アマリアは少しの間だけ茫然としていたが、直ぐに顔に皺を寄せて笑った。
「ふふっ、母さんよりシェルトの方が辛そうな顔よ。……心配かけてごめんね」
細く弱々しい腕を持ち上げ、我が子の頭を撫で、溢れ出ている涙を拭いた。その手の柔らかさは、温かさは見た目のか弱さと比例せず、シェルトに確かな“母”を感じさせた。
アマリアに目尻を拭かれて初めて、涙を流していることに気付いたシェルトは恥ずかしさから顔を背けて自分の手で涙を拭うが、堰を切ったように出て来る涙は中々治まらない。
「アマリア、調子はどう?」
「調子は不思議なくらい良いわ、今なら駆けっこもできそう。トルディさんが助けてくれたの?」
「いや、アタシは何もしてないよ。助けてくれたのは、そこの王子様だよ」
トルディの言葉に一瞬間を置いてから、アマリアは上半身を飛び起こした。以前の彼女なら反動で咳き込んでしまう動作であったが、今は体は何ともない。その代わり、緊張や焦りといった感情が顔に現れていた。
「申し訳ありません。王子様の御前でとんだご無礼を……」
「お気になさらず。それよりも病み上がりなのですから、楽にしてください」
「王子様の言う通りだよ、アマリア。魔力が戻ったといえ元々体が弱かったんだ、横になっときな」
優しい言葉とは裏腹に半ば強制的に寝かし付けられ、アマリアは困惑した視線で状況の説明を訴えた。視線の意図を汲み取ったトルディが、モンスターの襲撃から今に至るまでの経緯を掻い摘んで伝える。
魔力を吸うモンスターによりアマリアの体内にあった魔力が失われ、魔力を生み出すことが出来なくなったこと。テレシアの奮戦によってシェルトをモンスターの脅威から守れたこと。魔力を生み出す為に必要な素材をシルフィアが探し出したこと。ステインが錬金術で素材を組み合わせアマリアを救ったこと。
「そんな、そんな……私のような者の為に大変なお手間をお掛けしてしまって、なんとお詫びをしてよいか……」
再び起き上がったアマリアが頭を深々と下げるが、彼女の謝罪を受け取ろうとする者はこの場にいなかった。
「民の命を救うのは当然です。それに謝るのは僕の方です。モンスターの動きや村の守りにもっと意識を向けていれば、今回の危機は防げていたかもしれません」
「わたしはわたしに出来ることをして、誰かを助けられれば何より嬉しいんです。だから、今こうしてアマリアさんと話せているのが幸せです」
「どうしても謝りたいなら誰よりも心配をかけた自分の子供に、な」
三者三様の答えにアマリアは言葉を失ってしまうが、今自分が生きてこの場にいる事に止め処ない感謝が溢れ、涙した。
「ありがとう……ありがとうございます。皆さん……ありがとうございます」
涙声でどうにか言い切ると、アマリアとシェルトは抱き合って互いを慰めた。親子の空間に他人が居るのも野暮だと、トルディがシルフィア達に視線を向けると、四人は静かに家を出て宿へと向かった。
宿に着くとトルディは「溜まっている仕事を片付けないと」と言って、シルフィア達にお礼もそこそこに奥の部屋へと引っ込んで行った。
一行は一先ずステインの部屋に集まって肩の荷を降ろすことにした。
「ふー。どうにか助けられて良かった」
ベッドに腰を下ろしながら溜め息を吐くのはステインで、その隣りにテレシアが跳ねる様に座る。
「お疲れ、ご主人様。肩でも揉んでやろうか?」
「え……なら、折角だからお願いしようかな」
意外な申し出に思わず聞き返してしまうが、テレシアの表情が忽ち曇っていったので素直に頼むと「仕方ないなぁ、甘えん坊ご主人め」とヘラヘラ笑って肩揉みを始めてくれた。
「ふふっ、本当にお疲れ様。ステイン大忙しだったもんね」
空いている椅子に座りながら微笑むシルフィアに、ステインは頭を振った。
「僕はただジタバタしていただけだよ。シルフィアの方こそ、皆を守ってくれてありがとう」
「ううん、わたしの方こそ大して役に立ててないよ」
「じゃあ、この中だとアタシが一番頑張ったってことで!」
謙遜し合う二人にむず痒さを覚えたテレシアが、少しわざとらしく声を張って会話に割って入って来た。二人は一瞬だけ目を丸くして視線を合わせたが、直ぐに笑顔となる。
「そうだね。テレシアが居てくれたから人々を守れたし、僕は錬成も頑張れた」
肩を揉んでいた手から自然な体捌きで抜け出し、行場を無くしていた手を静かに取った。何が起きたか理解出来ていないテレシアが頭の上に疑問符を浮かべていると、シルフィアが怪しい手つきを見せながら立ち上がった。
「わたしも、テレシアが一緒にいてくれたから落ち着いていられたよ」
「あ、ああ。そりゃどうもって感じなんだけど、言葉と手の動きが全然合ってない気がするのは気のせい?」
たじろぐテレシアだったが、座った状態でステインに手を掴まれているので上手く身動きが取れない。
「功労者であるテレシアを癒したいだけだから安心して。大丈夫、いつかお尻を揉んで来た時のお返しとか考えてないから」
「え、え!?ちょっと、ご主人様、シルフィアが怖い!助けて!」
繋がれた手を強く握って助けを求めるが、ステインは優しく笑ってから腕を引っ張ってテレシアをベッドの上で俯せにしてから手を離した。
「ごゆっくりどうぞ。僕は何か飲み物でも取ってくるよ」
「薄情!鬼畜!人でなし!ご主人様!」
部屋を出て行くステインに助けを求めるが、テレシアの体は既に上に乗ってきたシルフィアに拘束されており、逃げる事は叶わない。
「あ、そうだ。余り大きな声は出さないように」
芝居がかった笑顔を消し、急に素に戻ったかと思えば簡単な注意だけを言い残してステインは部屋を出て行った。その少し後で、テレシアの悲鳴が聞こえて来たのは言うまでもないだろう。




