第72話
迸る蒸気を前にしながら、ステインとテレシアは他愛の無い話しをしながらオート・ファミリア―の完成を待っていた。
一頻り談笑すると、ふいに会話が途切れて蒸気が溢れ出す音がやけに煩く聞こえた。
「なぁ、ご主人様」
回転する火の玉を、ぼんやりと眺めながら切り出す。先程まで豊かだった表情の唐突な変化に、ステインは小首を傾げた。
「どうしたの?」
ごく普通の問い掛けだったが、テレシアはステインと目を合わせる少し言い淀んでから正面を向いて答えた。
「魔術が使えるようになりたいとまでは言わないけど、あたしの魔力って増やせないのかな」
「魔力は先天性のものだから、量や属性を変えるのは難しいよ。僕が王都で錬金術の勉強をしていた時、イファンネと一緒に研究してもいまいち成果が上げられなかった」
「うへっ、まさかその名前が出て来るとは……」
イファンネ。王都に個人の錬金術工房を持つ錬金術師であり、ステインの師匠でもある。錬金術の腕ならば王国一、二を争う腕前なのだが、掴みどころのない性格で周囲を振り回すためテレシアはあまり良い印象を持っていない。
「まぁいいや。今作ってるの、よく分かんないけど、魔力を作り出す物なんだろ?これをあたしが使ったら魔力は増えないのか?」
「これはそこまで良い物じゃないよ」
今度はステインが顔を顰める番だった。言葉少なく提案を否定されたのでテレシアは疑問をぶつける事にした。
「ご主人様がそう言うってことは訳アリの代物なんだな。でも、そんな物をシェルトの母親のために作ってるのはなんでだ?命が懸かってるとはいえ、危険性のある物を人に使う性格じゃないだろ」
「他に方法がないから……というのは言い訳かな。正直なところ、僕もまだこれをアマリアさんに使うか迷っている」
「優柔不断なのはいつもだけど、迷ったまま行動するのは珍しいな」
「僕以外に錬金術師が居れば、錬成しようと思わなかっただろうね。使うかどうかは、作ってからもう一度トルディさんと話して決めるよ」
ステインはこれ以上の追及を封じるように、テレシアの言葉を待たずして口を動かす。
「それより、突然どうしたの?魔力を増やせないかって」
「ん……いや、霊山の時もそうだったけど、この村でも魔力が少ないせいで肝心な時にご主人様のそばにいられなかったからさ……」
言葉に出している内に照れ臭くなったのか、鼻の頭を掻きながら顔を僅かに背ける。その様子を愛らしく感じたステインは顔を正面に向け、大きな独り言を発した。
「正直、昨日の戦いより、今日の錬成の方が不安な気持ちは強かった。だから、今こうして隣りに立ってくれる人がいると安心できるし、とても恵まれたことなのだと思う」
偽りのない正直な気持ちを口にしたステインに対し、いつもなら照れ隠しの声が張り上げられる筈だが、今回は妙な静けさが生まれてしまう。
「ご主人様はきっと、あたしが何もしなくてもそう言ってくれるんだろうな」
「実際テレシアには助けられているし、感謝もしているのだけど」
様子のおかしいテレシアへ視線を向けるが、彼女は顔を背けたまま空を見上げて呟く。
「あたしは、ただ隣りに立ってるだけなのは嫌なんだよ……」
テレシアの呟きは半分くらいしか聞こえなかったが、ステインは昔を思い出して息を一つ吐いた。
「昔さ、僕は王城を抜け出してメエル湖の畔まで一人で行ったことがある。周りの言うことに従って生きてきた僕にとって、その行動は冒険にも等しかった。開放感のせいか、一人でメエル湖を見た時はとても広くて、輝いて見えた」
ステインは昔話を続ける。
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湖に架かる桟橋の上で、緋色の長髪の少女に出会った。少年だったステインから見ても幼く見えた少女であったが、周りに親らしき人物はいなかった。話し掛けようか迷ったステインだったが、少女の方から言葉を投げ掛けてきた。嫌悪感を隠そうともしない視線と共に。
少女曰くステインの事を、両親が持ち掛けてきた婚約者候補の一人と勘違いしたらしく、誤解が解けてからは嫌悪の眼差しを向けられることは無くなった。誤解を解く為に歩み寄った時、桟橋の溝に爪先を引っ掛けて湖にダイブするハメになったが、それで少女の笑顔を見れたのだから安い失態だった。
家から抜け出して来た二人は自らの境遇を語り合った。互いに産まれは良くとも、家族や周囲の期待の眼に耐えられず逃げ出してきた。贅沢な悩みだと理解していたが、自らの意思を押し込めたまま生きていくほど我慢強くもない。
ステインが兄に対する劣等感を口にした時、少女はあっけらかんとした表情で綺麗な金の瞳を向けた。
「直接的な能力で劣っていても、自分にしかできない事なんて山ほどあるでしょ?例えば、今、わたしと話してくれているのはお兄様の方ではなく、あなただもの。わたしは話しでしか知らないお兄様より、目の前にいるあなたを評価するわ」
少女の言葉にステインは目を見開いた。今まで城内の評価や兄の背中しか映っていなかった瞳が、漸く周囲の景色を視界に捉えることが出来たような感覚だった。
例え全ての能力が劣っていたとしても、ステインにはステインの意思があり、歩く道も違ってくる。出会う人や事象も違ってくるのだから、一々「あの人だったら、もっと上手くやれた」と考えるのは意味が無い。自分が本気でやったことを卑下する必要など、どこにもないのだ。
晴れやかな気持ちになったステインは少女にお返しをしたいと思ったが、少女が抱える悩みは言葉だけで解決するには難解なものだった。厳しくも過保護な両親の教育もそうだが、小さな頃から何人もの婚約者を紹介されることが何よりも苦痛だった。
会って間も無く、つい先程まで内向的で劣等感まみれだったステインに「僕の妃になってくれ」などと向こう見ずな事を言える筈もなく、どうしようかと考え込んだ。そんなステインに少女は愛想良く笑い掛け、別れの言葉を告げると、足早に王都へと向かっていった。
それから数年後、ステインは王城で少女と再会する。少女の体は当然のことながら成長しており、腰まで伸びていた長髪はバッサリと切られ、素行は想像もつかない程悪くなっていたが、ステインは一目で分かった。真っ直ぐで綺麗な金の瞳はメエル湖で見た時と何一つ変わってなかったから。
—————
「メイド長も手を焼いていた彼女を僕専属の従者にする為に、周りを説得するのは大変だったけど、あそこまで自分のために必死になったのは初めてだったなぁ……結局最後は兄さんが上手く言い包めてくれたみたいだけど」
「自分のため?」
テレシアの表情から陰りは消え、茫然とした様子で聞き返す。
「うん。あの時メエル湖でテレシアに会っていなかったら、僕はずっと前を向けないでいた……。あの時、僕に向けてくれた瞳が側にいてくれるなら、これからも前に進んでいけるような気がしたから。テレシアを従者に選んだのは僕自身のためだよ」
自分のため、という言葉をテレシアは否定したくて堪らなかった。仮にステインが本当に自分のためだけを考えて行動していたとしても、彼の行動でテレシア救われたことに変わりはないのだ。
両親の連れて来る婚約者候補に不満を爆発させた後、折檻され矯正の為に奉公に出された。当然、真面目に奉仕する気は無かったわけだが、メイド長も矯正を引き受けた手前、途中で投げ出すわけにもいかず、連日激しい争いが行われた。後にメイド長の厳しさが“テレシアの両親に頼まれたから”という薄弱な理由からではない事は理解できたが、それはまた別の話し。
誰にも懐かぬ野犬の様なテレシアの手を取り、親身に話しを聞いてくれたのはステイン唯一人であった。テレシアは昔ステインに会ったことを覚えていなかったので、「なぜ王子が自分の事を気にかけてくれるのか」と疑問に思い、実際に聞いたこともある。その時の答えは不器用にはぐらかされてきたが、あまりにも不器用だった為、逆に疑う気を無くした。
「なんだ……あたしはご主人様に訳も分からず助けてもらったと思ってたけど、その前にあたしがご主人様を助けてたのか……」
「そういうことだね。全然覚えてない様子だったから言い出せなかった……というのは言い訳だね、ごめん」
「いいよ、謝んなくて……。あー、なんだか安心した」
脱力した姿勢で空を仰ぎ見る。太陽は随分と傾いていて、夜の気配を漂わせていた。
「あたしでも、ご主人様の役に立ててたんだ」
安堵の息を漏らしたテレシアは心が晴れやかになっていくのを実感した。
「昔の事を話したからって、昔のような口調には戻さないからな!」
指を差さされて言われたが、いつもの調子に戻ったのが嬉しくてステインはつい笑い声を漏らす。
「はは……僕は今のテレシアの方が好きだから、これまで通り一緒にいてくれると嬉しいな」
「あ、あぁ……。ご主人様はあたしがいないとダメだって事がよく分かったから、これからも一緒にいてやるよ!」
素直に気持ちを伝えられ、テレシアは少し顔が熱くなったが、語気を強めて放熱する。
どちらが主人か分からぬ物言いの二人だが、互いに今の距離感が何よりも居心地が良いものだと再認識した。




