第8話
【清浄の森】
昨日あれだけ騒ぎ立てたにも関わらず、森は静水の如き長閑さで佇んでいた。三人は静寂に支配された森に溶け込んで進行することにした。
息苦しさすら感じる無音の中、一人分の幅しかない道の中央を歩いているが、森は片時も監視を怠ってはくれない。自然に扮した動物やモンスターがあらゆる距離、角度から人間の動きを観察していた。
「な、なぁ。これから会う空魔精錬術師ってどんな奴なんだ?」
森に入ってから僅か数分で沈黙に耐えられなくなったテレシアが乾いた口を半ば無理矢理に開いた。会話程度ならば森も許容してくれると昨日の段階で知っていたとはいえ、騒ぎを起こした者が真っ先に話し出すのはもはや性分なので仕方ない。
テレシアの後ろを歩くステインは意識を辺りに巡らせるが、森の騒めきは聞こえない。話しても大丈夫なのだろうと判断すると、その確認を待っていたかのように先頭を歩いていたエトが正面を向いたまま答えた。
「歳はねーちゃんと同じくらいだけど、性格は逆……でもないか、何かこう、ふわってした感じ」
いざ人柄を説明するとなると言葉が思いつかなかったのか、いまいち要領を得ない。
「シルフィア・レーンデルス。レーンデルス家は代々、霊山に住む空魔精霊獣と契約し空魔精錬術師としてこの国に平穏をもたらしてきた。中でもシルフィア嬢は歴代でも群を抜いた才覚の持ち主だと言われている」
人伝に聞いた話しだけど。と最後に付けてステインは説明を終えた。
「ふ~ん。そんなに凄いなら王都の術式学校にでも呼んで、錬魔術を教えて貰えば良いんじゃないか?」
錬魔術、空魔精錬術の略語である。
話しても問題ないと分かった途端、テレシアの緊張は塵となって消えたのだろう。腕を伸ばして固まっていた身体を解している。
「油断しない。勿論頼んでみるし、王都で教えてくれるのならば嬉しいけど、代々この地を……いや、この地に護られてきたのだから、連れ出すのは難しいと思うよ」
「ああ、だからご主人様直々にこんな遠くまで来たんだっけ」
注意だけを聞き流す耳をしているのか、テレシアは欠伸までし始めた。
「忘れていたのか?」
少しだけ声の調子を低くすると、流石に不味いと思ったのかエプロンドレスの背は皺一つ見当たらないほど綺麗に伸ばされた。
「わ、忘れてないって!ご主人様が頼めば大丈夫だって、王都で錬魔術の一つや二つ教えて、痛!」
テレシアが言い切る前に脳天にチョップが放たれた。両手で頭を押さえて振り向くと、澄まし顔のステインと目が合う。
「忘れてないって言ったじゃんか!」
「空魔精錬術は精霊との契約は当然だけど、使用者に多量の魔力量と四つ全ての属性適正が要求される。つまりわざわざ王都に出向いてもらう程、適正者がいない。忘れているじゃないか」
「あ、ズルい!ご主人が頼んでみるって言ったから応援してやろうと思ったのに!」
「忘れてなかったらその時点で疑問を言えたはずだよ。さ、分かったら先に進む」
「うう……悪虐ご主人」
言い訳を軽くあしらわれたテレシアは捨て台詞を吐くのが精一杯だった。
ステインに叱られ、別人の様に大人しくなったテレシアを連れた一行は無事に森の出口に辿り着いた。木々が開け灰色の岩が幾つも転がっている空間に、人工的に削り取られた岩の階段を見つける。エトは慣れた足取りで階段を上って行くが、初めて訪れた二人は間近に迫っていた霊山の壮麗さに足を動かせずにいた。
「うわぁ、でっけ~」
「流石に魔気が濃いな。テレシア、気分が悪くなったら直ぐに知らせるように」
「あん?大丈夫だって。これから大事なことあるんだから、そっちに集中しなよ」
口を開けて霊山を見上げていたテレシアだったが、ステインの気遣いを受けると逆に彼の背中を押して前へ歩かせた。
「おーい!こっちこっち!」
階段を上り終えたエトが手を振って呼んでいたので、二人は少しだけ急いで階段を上ることにした。
「あっと、忘れるところだった」
階段を上りながらステインはシャツのボタンを一番上まで留め、ベルトポーチから上着を取り出した。上着はズボンと同じ憲法色であり、肩に金色の装飾が施されている。更に左胸には鮮やかな緑の地に白い六角形の盾が描かれ、盾の上には小さい赤色の星がアーチ状に並んでおり、下には小さな青色の星が逆アーチ状に並んだ、レイセヘルの国旗が刺繍されていた。
「……いつ見ても似合わねぇな」
主人の着替えを手伝わない従者が哀れみの表情で感想を述べた。ステイン自身似合っていないのは自覚していたが、やはり誰かに改めて言われると恥ずかしさが込み上げてくるもので、微かに頬を紅潮させた。
「し、仕方ないだろ。立場上着ない訳にはいかないのだから」
「ご苦労様なことで。空魔精錬術師様に笑われないといいな。くくっ……」
森で叱ったお返しなのだろうか、テレシアはわざとらしく口元に手を当てて笑うと一気に階段を駆け上がって行く。残されたステインは自分の格好を見直してから、溜め息を連れて階段を上った。
階段の先には殺風景とも言える広場に一階建ての屋敷と二階建ての倉が霊山の偉容に寄り添う形で建っており、奥には山道が見える。
「言っちゃなんだけど、寂しいところだな。こんな所であたしと同じ十代の乙女が住んでると思うと少し虚しいな」
失礼だと思いつつステインも同じことを感じていた。家族が居れば話はまた別だが、調べたところによると両親は遠方へ働きに出ており、同居していた祖母は一年前に亡くなっている。
「気持ちは分かるが、私達が感傷に浸る必要はない。行こう」
ステインは軽く首を振って憂う気持ちを払い、気持ちを改めると先頭に立って屋敷へと歩を進めた。