第69話
【ウィルデル遺跡】
人気の無い荒野で一際寂しく佇む遺跡に一陣の風が舞い込む。日はすっかり暮れていたが、風によって遺跡全体はおぼろげに光って見えた。
「ありがとう。よく頑張ったね」
遺跡の入り口でシルフィアはパーツから降り、息を切らしているパーツの首を撫でて労う。
「ゆっくり休んで。危なくなったら村の方に逃げて良いからね」
左手のポーチから巨大土鍋を取り出すと、その中を水の魔術で生み出した飲用水で満たし、土鍋の横には食用草であるハウデン草を数束置く。
ハウデン草は茶色がかった緑色の長細い草で、動物の餌としては勿論、人間の食用としても普及している。
パーツが切れた息を整えて水を飲み始めるのを見てから、シルフィアは遺跡を奥へと進んだ。
「ここから火の魔気が漏れてる……」
割れた石畳の上を真っ直ぐ進んで巨大暖炉の前に着くと、右手をかざして魔気の流れを確かめた。シルフィアが遺跡まで迷わず来れたのは、巨大暖炉から滲み出ている火の魔気を感じ取る事ができたからだ。
シルフィアは右手に火の魔力を籠め、巨大暖炉に火を灯した。すると巨大暖炉は重々しい地鳴りを上げながら左右に分かれ、徐々に地下へと続く階段が現れたのだが、シルフィアは階段よりも地下から立ち込める火の魔気に意識を奪われていた。
「凄い魔気……こんな場所があるなんて」
一頻り火の魔気を眺めたシルフィアは好奇心に駆り立てられる様にして階段を下りて行った。
巨大暖炉は暫く夜の静けさを堪能してから、再び地鳴り音を立てて閉じて行く。そして滑り込みでやって来た人影を地下に迎え入れると、巨大暖炉は一つに戻って眠りに就いた。
暗闇の階段を、指先に点けた火の魔術の明かりを頼りに下りて行く。階段は石造で段差が高く、横幅は片方が壁に張り付けば人がすれ違えられる程度しかない。足元や壁は砂っぽいが劣化している様には見えず、シルフィアを確かに広間へと導いた。
広間は石を整然と並べて造られた円形の空間で、壁には等間隔に窪みが設けられ、火の点いた燭台が広間を照らしていた。アーチ状の天井は鏡張りになっていて、中心からは鎖に繋がれた正八面体の物体がぶら下がっている。広間の中央には四方向に五段程度の階段が取り付けられた台座が鎮座していた。
「ここには無さそうかな」
室内を構成している石は全て建築用であり、ヘルファイア石は疎かその下位であるフラム石やブランツ石さえ見当たらない。入口の反対側は何者用に造られたか分からぬ程の、大型の両開きの扉が重々しく行く手を阻んでいた。シルフィアの細腕では到底開ける事は叶わず、入口の暖炉と同じく扉に魔力を流してみるが反応は無い。
「うーん、鍵とかがあるのかな?」
首を傾げながら広間を見渡す。怪しいと思われるのは台座と宙吊りになっている正八面体の物体だが、台座の上に立ったとしても正八面体には手が届きそうにないので先に台座を調べる事にした。
台座は床や壁とは別種類の石で造られており、白く光沢を持っていた。長方形の台座を隈無く探ると、上面の中央に正方形の繋ぎ目があり、軽く押すと正方形の蓋が浮かび上がって取れた。蓋の下には円形の筒が設置されており、筒の中には何か模様が描かれているが、燭台の火は筒の中までは照らしてくれない。
指先に火の魔術を点けて筒の中を覗き込もうとするが、火は筒に吸い込まれてきえてしまう。不思議に思ったシルフィアが筒の中を覗き込むと、熱を帯びた塊が射出され、小規模な爆発音と煙を立てて顔面に直撃した。
「ケホッケホ……なぁに、これ?」
音や煙の量に反し、シルフィアが負ったダメージは髪が乱れた程度だった。筒が何かの装置であることは間違いないのだが、何に使うかは謎であった。そこでシルフィアが出した答えは、もう一度筒に火の魔術を吸わせる事だった。指先を筒に近付けると先程と同じく筒の中に火の魔術が吸われて行き、少し間を置いてから火の玉が射出された。火の玉は正八面体にぶつかると四つに割れ、天上の鏡にぶつかる前に消えてしまった。
「もしかして!」
火の玉が消えた天上を眺めると、火の玉がぶつかった正八面体の下四面は黄金に輝いているが、上の四面は暗く沈黙していることに気付き、シルフィアは閃く。筒から射出した火の玉を天上の鏡に反射させて上の四面にも当てる必要があるのだと。
筒の中に先程の倍以上の火の魔術を吸い込ませて少し待つと、火の玉が勢い良く射出され、正八面体に直撃して四つに割れる。四つに割れた火の玉は鏡に反射して上の四面に命中した。
「あれ?」
シルフィアの狙い通りに事は運んだが、結果は妙な物であった。正八面体の上四面は黄金に輝いたのだが、今度は下四面が暗くなってしまっている。どうやら火の玉を当てる度に正八面体の光は入り切りするようで、筒から小さい火の玉を射出し、下四面にだけ当てると甲高い金属音が広間に響き渡り、巨大な扉が奥に広がる闇を見せながら重々しく開かれた。
「火の魔気……ううん、これは違う」
扉の奥から火の薫りが漂ってくるが、薫りの中に一つの意思が混ざっていた。その意思は直ぐに闇の中から姿を見せる。
「モンスターとは違うけど、仲良くしてくれそうにもないね」
闇からは人の頭程もある火球が三つ、宙に浮かんで現れた。炎の揺らめきと同様に移動は緩慢だが、明らかにシルフィアへ敵意を向けている。いや、敵意と呼ぶ程の感情を火球は持っておらず、侵入者を撃退するという義務感にも似た意思が感じ取れた。
火球は何の前触れもなく周囲に小さな火球を三つ生み出すと、シルフィアへ向けて一斉に飛ばして来た。
「ごめんね、先に進ませて」
計九発の火の弾丸は速く、回避するのは困難な攻撃であったが、シルフィアは全面に水の魔術で障壁を展開して防ぐと、障壁を軽く押し出す。守りの為に発動した障壁は忽ち火を飲み込む荒波に変わり、迎撃で発動した火の魔術ごと火球を飲み込んだ。火球を飲み込んだ波は竜巻状に回転し、やがて何事も無く消え去った。
扉の向こう側の気配に気を配りながら先に進むと、整然とした広間とは打って変わってゴツゴツとした岩壁に囲まれた洞窟に出た。広間から漏れてくる明かりが入り口だけ照らしてくれるが、先は闇に包まれて何も見えない。
シルフィアが洞窟の上空に火の玉を打ち出すと、辺りの様子を視認することができたが、よからぬものも目覚めてしまったようで、岩壁の奥から「ゲァッ、ゲァッ」と鳴き声が聞こえてくる。その鳴き声の主をシルフィアは知らないが、洞窟に巣食うモンスターであることは間違いない。両手を握って自分を奮い立たせると、岩壁に身を寄せながら洞窟の探索を開始した。
岩壁に沿って洞窟を歩いて行くと暫くは細い一本道が続いていたが、少し開けた場所に出ると道が二手に分かれていた。どこを目指せば良いかも定かではない状況だが、じっくり悩んでいる時間も無いため、純粋な勘で行き先を決めて先に進む。相変わらず壁越しにモンスターの鳴き声が聞こえてくるが、未だ対敵するに至らないのは運が良いのか、洞窟の浅い場所にはモンスターが出て来ないだけなのかは不明だ。
道中、ブランツ石やフラム石が落ちていたので適度に採取しながら進んで行くと、やがて行き止まりになってしまう。
「なんだろう、これ?」
行き止まりには簡素な祠が建てられ、祠の中には火の消えた燭台が置かれていた。シルフィアは特に深く考えず燭台に火を灯すと、行き止まりになっていた壁が横に転がって道が開け、先に進む事ができた。
それから何度か分かれ道を進んで祠に火を灯すといった行いを続けると、暗い洞窟には似つかわしくない朱いガラスで出来た扉が現れる。シルフィアは少しの間、美しい朱色に見惚れてしまうが、直ぐに取っ手を掴んで扉を押し開ける。
「あれ、引くのかな?」
押しても扉は開かず、引いても扉は開かない。鍵穴が無いので、何か仕掛けがあるのかもしれないと辺りを見渡して、シルフィアはあることに気付き照れくさそうに笑った。ガラスの扉は岩壁の窪みに嵌め込まれており、窪みは丁度、扉の倍の横幅があった。
「えへへ、横にスライドさせれば良かったんだね」
ガラスの扉を開けたシルフィアの表情からは瞬時に余裕が消え去り、真剣な眼差しで奥を見据えた。
「凄い魔気……何があるの?」
炎の中にいると錯覚してしまう程の火の魔気を浴びせられても、シルフィアの足は止まらない。岩壁からまた加工された石造の空間に戻った事は特に気にせず進んで行くと、階段を下りた所の部屋と同じく、整然と石が並べられた空間が広がっていた。ただ、前の部屋とは形を始めとした様式が異なっており、部屋全体は正方形に似た形をしており、四方の壁には黄金のガラスで出来た装飾が惜し気もなく施されていた。ただ、煌びやかな広間かと言われるとそうでもなく、広間の中央には無骨な井戸が備え付けられ、天上にはどうやって設置したか分からない、四角形の岩石がぶら下がっていた。
広間を軽く見渡したところ、先に進む扉は無く、隠し扉がなければここが最奥であると判断できる。だが、熱を持たないヘルファイア石は疎か通常のヘルファイア石すら見当たらない。シルフィアは最後の希望を託し、強い火の魔気を辿って井戸の中を覗き込む。
「よ、溶岩!?」
井戸の中で気泡を弾けさせながら、せり上がっては下がるを繰り返している灼熱を目にし、シルフィアは思わず身を引いた。
「まさか、ヘルファイア石って溶岩の中にあるの?」
流石のシルフィアも溶岩の採取は行ったことは無く、苦笑いを浮かべて再び井戸の中へ視線を投げ込む。せり上がって来た時に、身を乗り出して手を伸ばせば届くだろうが、溶岩に手を伸ばす勇気は中々出て来ない。
「水の魔術で冷やしたら駄目かな?」
ヘルファイア石の在り処を井戸の中に見定めたのは良いが、採取方法に検討が付かず、シルフィアは首を右へ左へと捻る。
「ちょっとぐらいなら平気だよね……」
シルフィアが初めに試したのは、溶岩に水の魔術を流して固めることだった。およそバケツ一杯分の水を流し込んでみるが、水蒸気が立ち込めるだけで溶岩は何の変わりもない。溶岩を見くびっていたと反省し、今度は多量の水を流し込もうと魔術を発動させた直後、二つの大きな衝突音と共に広間を揺るがす振動がシルフィアを襲った。
「な、何!?」
溶岩から注意を変えて視線を上げると、天上にぶら下がっていた筈の岩石がシルフィアを挟む様にして落ちていた。岩石は落下した衝撃でひび割れたかと思いきや、業火を纏いながら蠢く。二本の腕を生やした後、丸くなっていた胴体を起こして一塊になっていた脚部を割って立ち上がり、最後に胸の辺りから首をもたげ黒い帯状の目を光らせた。
「ゴーレム……?」
シルフィアは自身の倍程度の身長の人型岩石を見て呟いた。魔術生物としてゴーレムは最も有名な存在の中の一つであり、一般的教養があれば幼い子供でも知っている。ただ、業火を纏ったゴーレムにはブランドウォンズという名前が付けられている事は、魔術生物に少し詳しくついて調べないと分からぬ情報だ。
ブランドウォンズはゴーレムの中では細身であるものの、岩石の質量と業火による攻撃は非常に危険であり、更にシルフィアが始めの広間で倒した火球の魔術生物、ヴーボルを生み出す事が可能である。
早速ブランドウォンズは両腕を払ってヴーボルを二体ずづ生み出すと、シルフィアを囲む様に配置した。
「ちょっと待って!わたしはここを荒らしたいわけじゃないの!」
ブランドウォンズと和解を試みるが、ゴーレムという種別に聞く耳は備わっていない。製造された時に刻まれた命令に従うだけである。
正面のブランドウォンズは両腕を叩き付ける様に振り下ろし、火炎放射の魔術を放つ。未だ戦闘態勢を取っていなかったシルフィアに躱すことは出来ないが、自身の周囲に水の魔術で障壁を展開し火炎放射を跳ね除ける。
「……ごめん、壊すよ」
ヴーボルが連射してくる火弾を防ぎつつ誰にともなく呟くと、障壁を展開したまま攻撃用の魔術を発動させようとするが、頭上から影が振り下ろされている事に気付いて視線を上げた。背後から迫っていたブランドウォンズが直接腕を叩き付けんとしていたのだ。水の障壁はまだ持続しているので物理攻撃だろうと防ぐことは可能だが、大質量の物体が頭上から降り降ろされる経験など、平穏に生活してきた者は経験することがない。シルフィアは悲鳴を上げる間も無く目を瞑り、身を屈めた。
強い衝突音と共に何かが砕けた音がシルフィアの耳に届くが、その音を脳が理解するには少しの間が必要だった。
「人の命の為に自らの危険を顧みない心優しい少女の下に、正義の力は舞い降りる」
若い男の、どこか気取った声でシルフィアは目を開く。すると、目の前には純白のマントを羽織った人物が背を向けて立っていた。
「お嬢さん、怪我は無いかい?」
謎の男は体を半分だけ振り向かせる。男はドラゴン系モンスターの頭蓋骨で造られた仮面で頭部の上半分を覆っていて素性は伺えない。服装は首から下全てを覆う、白字に黄色のラインが入ったタイツを着用し、手足と急所部には銀色の防具を装着。右手にはシルフィアの身長と同程度の長さのハンマーを手にしており、柄の長さの割りに打撃部が小柄であるが、武器としての威力が申し分ないことはブランドウォンズの両腕を肘から粉砕した事実が物語っている。
「あ、宿屋で会ったお兄さん」
格好も変わっていて仮面まで被っているのに簡単に正体がバレてしまい、男は膝が折れそうになるが、ハンマーを構え直して誤魔化した。
「んんっ!さて?人違いだろう。今の私は善良なる者の窮地を救う正義の使者!さあ、君の望みを言いたまえ!私が君の未来を切り拓こう!」
ご丁寧にわざとらしい咳払いをしてからマントをはためかせて宣誓する男に、シルフィアは笑い声が漏れるのを抑えることが出来なかった。
「クスッ……それなら、助けたい人の為に特別なヘルファイア石が必要なんです。石を探す為に、ゴーレムたちを倒してください」
「承知した!」
言うが早いか、自称正義の使者はハンマーを担いで、両腕を失ったブランドウォンズに接近し跳躍する。ブランドウォンズが纏う業火を物ともせず、男が回すように振り上げたハンマーはブランドウォンズの頭部を粉砕した。人型を保てなくなった岩石が崩れ落ちる中、四体のヴーボルが宙に浮いた男目掛けて火弾を乱射する。
「フッ!」
短く息を吐き、風の魔術で急降下することで火弾を回避し、着地点へハンマーを叩き込む。次の瞬間、ブランドウォンズがの魔術が発動し男の足元から火柱が立ち上ったが、直前に叩き込まれたハンマーで明後日の方向に変えられてしまい、男の身を焦がす事は無かった。
「とぉっ!」
男の左手は防具諸共に水の魔術に包まれており、ヴーボルを鷲掴みにするとそのまま握り潰す。隣りにいたヴーボルが自爆せんと燃え上がるが、ハンマーで打ち出され、対角線上のヴーボル二体を巻き込むだけの結果になった。残るは万全の状態のブランドウォンズ一体だが攻防が始まることは無く、男が投擲したハンマーに頭部を破壊されたブランドウォンズは膝から崩れ落ちた。




