第62話
魔術→戦闘用魔術には術の具現化を補助する為に術名や詠唱が存在するものの、口に出すのは初・中級者と一部の物好きな魔術師のみであり、慣れた者ならば魔力と魔気の操作だけで魔術を発動させることが可能。
ミッセン村の上空にはどこから湧いて出て来たのか、夜闇を纏った黒雲が立ち込めていた。陽の光が完全に遮断され、地上に住む生物達は心が抑え込まれている気分だった。もし雲から雨粒の一つでも降ったのならば、心を支配している不安感も忽ち流れ去っただろうに、雲からは不気味な乾いた空気しか送られてこない。
黒雲の支配を振り払うべくステインは村中を走り回り、本日何度目か分からぬ魔術を放つ。魔術は地を伝わり、建物越しに岩の槍を出現させて黒い霧を纏ったモンスターの胴体を貫いた。
「ズァァッ……ズァッ!」
モンスターは胴に穴が開きながらも前足に生えた自慢の長い爪で岩を破砕し、夥しい量の血を流しながらも術者を睨み付けた。野生のモンスターが獲物を見付けた視線とは一線を画し、純粋な憎悪が籠められている。戦闘経験に乏しい者ならばモンスターと視線を合わせただけで足が竦んでしまうが、ステインの手には既に次の魔術が編まれていた。
「ふっ!」
左足を踏み込んで走りによって発生した慣性を殺すと同時にバネに変え、魔術で編んだ水の槍を投擲する。槍はモンスターの顔面に直撃して無数の水飛沫が弾けるが、これで終わりではない。水の魔術をぶつけるだけならばわざわざ槍の形にして投擲する必要はない。宙を舞う水飛沫をよく見ると全て細い針状であり、多角から一斉にモンスターの全身に突き刺さる。一本一本の威力は小さくとも、無数に突き刺さる針にモンスターは耐えられず力無く倒れた。
「……よし、眼は潰れてるな」
いつでも魔術を発動できるように警戒しつつモンスターの死骸を確認する。体から黒い霧は消え、白濁した眼球は両目とも水の針によって潰れている。しかし、村の中に侵入したモンスターは一体だけではない。ステインは一息吐く間もなく駆け出した。
何故荒野に生息するズィンベルがミッセン村に侵入したのか原因は不明であり、調べる余裕もない。今分かっている事といえば、ズィンベルが黒い霧を纏っており平時より凶暴性が増している事と、眼を潰さぬ限り動き続けるという事だけだった。
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依頼品の調合を完成させた翌日、ステイン達は依頼主であるエルセの元を訪ねて納品を済ませた。軽い談笑をしてから牧場を後にすると、行きの時は晴れていた空が怪しく曇り始めていたが、誰も彼もが精々「急に天気が悪くなった」と思う程度だった。ステイン達は柵の材料となる木材の精錬を行う予定だったが、雲行きが怪しいので宿の部屋に戻って様子を見ることにした。
初めに異変に遭遇したのは村の南部にパーツの畜舎を構えている中年の男だった。畜舎の主である男は普段通りにパーツ達の世話をしていると、突然怯えたように騒ぎ始めたのだ。主は驚いて必死に宥めようとするが、パーツ達は落ち着くどころか一部は畜舎の壁を破って逃げ出そうとする始末だった。主一人では手に負えないと判断して応援を呼ぼうと畜舎を出た途端、黒い霧に隠れようともしない白濁とした双眸が眼前にあった。
主の脳が事態を把握するより早く牙が向けられ、牙が主の頭部を抉るより早く横から突き出されたピッチフォークがズィンベルの首を穿った。
「ひ、ひぃぃぃっ!」
主が無事を示す悲鳴を上げて腰を抜かすと、倒れたズィンベルの横からクロークを着た男が姿を現す。
「おっちゃん、その悲鳴を建物ん中じゃなくて村中に響かせてくれ。ちとヤバイ状況だってな」
「あ……ああ!」
フードを深く被っていて表情は伺えないが、主にはそもそも男の表情を伺う余裕なんて有りはしないし、男の言葉を理解するのも困難だった。
「ちっ、変な気はしたが、やっぱり死んでねぇか。おい!早く行け!」
首にピッチフォークを刺したまま起き上がるズィンベルの気配を感じて舌を打つ。張り上げられた声は茫然としていた主を突き動かし、転がるようにパーツ用の出口を開けると、近くにいたパーツに乗って村の中へ駆けていった。
「さぁて、あっちの準備が整うまでお手伝いといきますか」
ズィンベルの爪を躱して首に刺さっていたピッチフォークを回収すると、男はフードの奥で口角を釣り上げた。
ステイン達が雨の降る気配が無いので、木材の精錬を始めようかと相談していると、村の中ではあまり聞く事のないパーツが駆ける音と共に中年の男の声が宅内への避難を呼びかけていた。何事かと思って窓から外を見ると、先日パーツを貸してくれた男が強張った表情でパーツを走らせて行った。
「モンスター?」
テレシアが訝しんで首を傾げるが、嘘を言って回っている様子でもなかったのでステインは様子を見に外へ出ることにした。テレシアとシルフィアも同行を申し出たが、何が起きているか分からない状況なので待機してもらう。
ステインが部屋を出ると、フレークが焦燥感を漂わせながら目の前に立っていた。
「お、王子様!どちらに行かれるおつもりで?」
「何が起きているか見て来ます。フレークさんはエトと一緒に部屋で待機していてください」
「それが……エトは少し前に散歩しに行って、まだ戻っていないのです」
「分かりました。エトも探して来ます」
「申し訳ありませんが、お願いします!」
ステインは深々と頭を下げるフレークの肩を軽く叩いてから階段を下りると、丁度二階に上がろうとしていたトルディとぶつかりそうになるが、上手く身を躱して事無きを得る。
「王子様!?まさか外に行く気かい?」
「はい。様子を見て、可能であればモンスターを倒します。皆の事はお願いします!」
トルディが制止の声をかけるより早く、宿の戸を開けて飛び出して行く。村の中は剣呑な雰囲気に包まれており、既に人気は無くなっていた。時折、自警団らしき人間を見かけるが、明らかに荒事には慣れていなさそうな身振りである。ステインも避難を促されたが聞き入れる気は無く、エトの捜索を依頼し、住民を一ヶ所に避難させるよう指示を出して村を南へ移動する。
モンスターの気配を感じて混乱状態に陥っているパーツとは対照的に、クロークを着た男は異常なまでに落ち着いた様子でズィンベルの眼にピッチフォークや農作業用の鎌を突き立てていた。
「そろそろか……武器も丁度無くなってきたことだし、後は頑張ってくれや」
畜舎や村を囲んでいた柵には多少の被害があったり、地面にはズィンベルが掘った穴が幾つか開いていたりするが男は怪我どころかクロークに綻び一つ付けていない。男がフードを目深に被り直すと全身が黒く塗り潰されていき、最後には完全に消えていなくなった。
ステインがパースの畜舎に到着すると、ズィンベルの死骸が幾つも転がっており、全ての眼には刃物が突き刺さっていた。その異様な光景を目にし、ステインは浮かび上がる疑問に眉根を寄せた。何故ズィンベルが村を襲ったのか、何故全て眼を潰されているのか、そして誰がズィンベルを倒したのか。考え込むステインだったが、エトを見付けて避難させる方が先決である。
再び走り出そうとした直後に足元で違和感を感じて跳び退く。地中から奇襲を仕掛けてきたズィンベルは黒い霧を纏っており、着地するや否や唸り声を上げながら突進して来る。魔術による火球が直撃しようとも構わず爪を突き立てんと肉薄してくる様は常軌を逸脱しており、ステインも思わず怯むが、ギリギリのタイミングで火の双剣を形成してすれ違い様に胴を焼き捨てる。ズィンベルは血肉の焦げる臭いを立ち込ませながら地面に伏したと思ったが、何事も無く立ち上がってステインに飛び掛かる。
「くっ、まだ動くのか!?」
予想外の出来事であったが横へ転がる様にして回避する。ズィンベルは目標を失い地面に爪を突き立てたが、爪を軸にして体を回転させてステインを正面に捉え続ける。回転した時に尾がパーツ囲っている木の枠を粉砕した。パーツが慌てて逃げていくものの、ズィンベルは全く意に介せずステインだけに狙いを定めている。
ステインが回転する水の円盤を放ってズィンベルの四肢を狙うと跳躍して躱されるが、間を開けずに次の魔術を放つ。ズィンベルの体に重力を加重し、地面に叩き付けると後ろの両足から骨の折れる音がする。痛みにと共に憎悪でも増しているのか、ズィンベルは後ろ足を引き摺りながらも威圧感は先程より増している。しかし、いくら威圧しようと機動力を失ってしまっては攻撃を躱すことは出来ない。飛来した岩の弾丸に額を撃ち抜かれると体を痙攣させて絶命した……と思われたが、倒れそうになる体を前足で踏み止め、ステインを喰らわんと牙を剥ける。
「くそっ!」
ズィンベルの異常性に呑まれかけたステインが岩の弾丸を連射するが、胴を貫こうが脳を貫こうがズィンベルは動き続け、双眸を潰して漸く沈黙した。
「……エトっ!」
背筋に嫌な汗が滲み出るが、立ち止まっている場合ではない。事態はステインが予測していたよりも余程悪いと、たった今身を以って知ったのならば考えるより先に行動するべきだ。顔馴染みであるエトは勿論、村人を守らねばとステインは走り出した。
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村人達が集まれる程の広い建物は宿屋か畜舎くらいしかなく、自宅を出て自警団の案内に従って移動するが、黒い霧を纏ったズィンベルにとって武装の有無は何の障害にもならない。眼に映る人間を殺戮することのみを考え、地中を掘り、地上を駆け、爪を伸ばし、牙を立てんと迫り続ける。
ミッセン村の自警団は総力を結集して平時のズィンベル一体を倒せるかどうかといった具合であり、凶暴化したズィンベルにはまるで太刀打ちできない。にも関わらず未だ死者が出ていないのは、二つ理由があった。一つはステインの奔走により危機一髪の所で救援できたこと、もう一つは眼に映らなければ襲って来ないということであり、主に後者の理由が大きい。視界に映ったとしても、屋内に避難してしまえば追撃を逃れられる。ズィンベルは地中から奇襲を仕掛けてくることもあるが、地中に潜った途端対象の位置を忘れてしまうのか、出鱈目な位置から出て来る事も多々あった。
凶暴性を増した反面、理性を喪失していることを初めから知っていれば村人を一ヶ所に集めず、締め切った宅内で待機を命じたのだが後悔しても遅い。村人を一ヶ所に集めることで情報を伝達する効率や、個々の混乱を防げるといった利点は残っている。下手に集合を中断するすれば個別に残された村人の不安感を煽るだけなので、自警団は引き続き村人を宿屋まで警護している。
ステインが十数体目のズィンベルを葬ると、束の間の平穏が訪れる。村のどこからも悲鳴は聞こえず、人々は着実に宿屋へ集合していた。ステインは辺りを警戒しながら、民家の壁にもたれ掛かって大きく息を吐いた。
「終わったと思いたいが……」
両手を力の限り握ってみると、もどかしさを感じる程度に握力が弱まっていたので思わず顔を顰める。弱まっているのは握力に限らず、全身が怠さに苛まれており、魔力の消耗に体が悲鳴を上げている証拠だった。通常のモンスター相手ならば十や二十程度を相手にしたところで魔力の残量を気にする必要はないのだが、凶暴化したズィンベル相手に魔力をケチる訳にはいかず常に全力で魔力を行使してきた結果だった。
「お、王子様!ぼ……牧場の方でズィンベルが三体、出現しました!」
自警団の男が血相を変えてステインの元に走り込んでくる。牧場から全力疾走して来たのか、報告を終えると崩れ落ちそうになる足を両手で抑えてどうにか立っている。
「分かった、直ぐに向かう。この周辺にはズィンベルの気配は無いが、気を抜かずに住民の警護を頼む」
「は、はいぃ……そ、そうだ。ズィンベルが現れてからここに来るまでに、銃声が何度か聞こえまして、誰かが戦っているようでした」
「銃声は牧場の方からか!?」
牧場に向けた足を反転させ、自警団の男に掴み掛かる勢いで問い詰めると、男は視線を回しながら短く何度も頷いた。
「ありがとう……っ!」
情報を提供してくれた男に形ばかりの礼を告げ、ステインは牧場に向けて走り出した。
黒雲は空に張り付けられた様に微動だにせず、ミッセン村に起きた異変を見下ろしていた。




