第5話
ハルムと別れて少し歩くと、本日の宿となる平屋が見えてくる。他の民家とは少しだけ離れた場所に小ぢんまりと立っており、地図を見て場所を確認してから鍵を開けた。
「あら、意外と綺麗だね」
“意外”は余計だろうと思いつつ、ステインも室内の整頓具合には期待以上のものを感じた。空き家と言っていたが、それは特定の人間が住んでいないだけで、生活に必要な家具は一通り揃っていた。それだけでなく定期的に掃除もされているようで、埃っぽさも感じなかった。
「空き家ではなくて立派な貸し家だな」
「ご主人様の部屋より狭いけどな」
テレシアはベッドに寝転がりながらまたも余計なことを口にするが、ステインは別のことが気掛かりになった。
「僕は……床か」
当然ながらベッドは一つしか無い。今から雑貨屋に戻ってもう一軒空き家を借りても良いが、テレシアを自由にさせると何を仕出かすか分からない為、できるだけ近くに居たい。もしここを追い出されたら、その時は別の空き家へ移れば良いのだ。
「地にひれ伏す平民の気持ちを理解する良い機会だろ」
「……貴重な経験をありがとう」
寛大な従者は同居を受け入れてくれたばかりか、王宮暮らしで世間知らずの若造に民の気持ちを理解する貴重な場を設けてくださったので、有り難く頂戴しよう。
「それじゃあ行こうか」
着いたばかりではあるが、腰を落ち着けている暇はない。素材が無ければハルムと約束した手綱を調合することは出来ないのだから。
「えー、森の中走って平原歩いて疲れたからもう少し休もうよぉ」
「水を汲んで来てくれるなら僕が素材集めから帰ってくるまで休んでいて良いよ」
「川まで行けって?」
「いや、村の中央辺りに水汲み場があるよ」
ステインは地図を桶に入れ、ベッドから一向に離れようとしないテレシアの脇に置いた。
「んー……分かったよ、ちゃんとやっとく」
手だけ伸ばして地図を取り水汲み場の場所を確認すると、やる気なく手を振って答えた。
「じゃあ頼んだよ」
テレシアの返事は一切信用できない態度であったが、自分がやると言った事や他人から頼まれた事は何だかんだ言ってちゃんと熟すのが彼女の良い所でもあるとステインは知っている。だからここで無理矢理起こす事はせず、自分の務めを果たすべく動いた。
「さてと、先ずは雑貨屋に良い物がないか見てみるかな」
水汲みに行くであろうテレシアが何か粗相を起こさないかだけ心配だが、疲れていた様子だったので変な事はしないと信じつつ、つい先ほど歩いて来た道を辿り始めた。
夜の闇が広がってきているからか、雑貨屋までは誰ともすれ違わない静かな一本道だった。雑貨屋に灯りがともっているのを確認し、中へ入ろうとした所で内側から扉が開けられた。
「おっと、失礼します」
店から出て来たのはハルムだった。滞在日を伸ばす話しをつけに来ていたのだろう、店の奥ではどこか安心した表情のフレークが確認できた。
ハルムは高い頭を軽く下げるとステインの横を通り過ぎて帰路に着いて行った。
「いらっしゃい。何か入り用ですか?」
「はい。硬い木の実か茶葉はありますか?」
「茶葉でしたら、こちらの棚ですね。木の実はこの後ろの棚に並べてあります」
「ありがとうございます」
フレークに腕で示された棚へ移動する。商品は整然と棚に納まっており、表記にも抜けは無いので目当ての物を探すのは簡単だった。
茶葉を小袋で一つと木の実を一房購入し、手綱作りには必要ないがついでに木材もいくつか購入し、雑貨屋を後にした。
「う~ん、一旦戻るか」
まだ素材は集まっていないが、主に木材で嵩張ってしまった荷物を置くべく借家へ戻る事にした。まだ夜も浅いというのに、妙に月が明るく感じ、見える星の数が多いのは空気が澄んでいる証拠だろう。村人は皆家に帰り、漂う静けさに呼応して風車も回転を弱めていた。
借家に着くとテレシアと桶の姿が消えており、水汲みに行ったことが分かる。買って来た物を部屋の隅に置いて再び外に出ると、今度は雑貨屋とは逆方向、村の外に向かって歩き出した。多様な物が置いてあった雑貨屋だったが、流石に手綱に仕えそうな皮は置いてなかったのでモンスターから手に入れる必要がある。
【ゲレゲン平原】
村と平原を別ける柵を開けると、背の低い草を撫でる風が悪戯っぽくステインの頬を撫でた。幸か不幸か、近くにモンスターの気配は感じられない。
土系舗装された道を歩きながら、どこへ向かうか思案する。北は森があるので不用意に近付きたくはない。このまま道なりに南へ進めば王都から来た道を戻る事になり、西に行けば昼間の川に着くだろう。
「……東かな」
西の川に行くか一瞬迷ったが、まだ見ぬ土地への好奇心が決定打となった。街道を外れ、とにかく東を目指すことにした。
まだ見ぬと言ったが、自国の領地なのでステインの頭の中では直ぐに地図が開かれる。ゲレゲン村の東には大きい川、名はリビエ川がある。しかし、知っているのは紙面での情報のみだ。ゲレゲン平原の東はどういった地形が広がっているのか、そこを流れる風や空はどんな匂いをしているのか、現地に行かねば分からぬ事は沢山ある。
ステインが期待に胸を膨らませて歩いていると、意外にも直ぐに唸り声が耳に届いた。
「残念、もう少し夜の散歩を楽しみたかったんだけど、今回の趣意はこっちだ」
闇に紛れる紺の毛に、体の半分程もある大きな耳が特徴的な犬型モンスター、ツェルフォンヅは敵意剥き出しでステインを睨み付けている。大きさは中型犬より一回り大きい程度だが、獰猛な性格を体現するように口から伸びた牙は鋭く、噛みつかれたら一撃で重傷を負わせられるだろう。
月明かりがあるとは言え、昼間に比べれば格段に視界は悪い。ツェルフォンヅも特別夜目が利くわけではないが、あの異様なまでに発達した耳は微かな衣擦れも聞き逃すことはない。
「フォォォン!」
雄叫びを上げながら真っ直ぐに突進し、自慢の牙でステインの足を狙う。
「ふん!」
噛みつかれる直前で鎖に縛られた剣を鞘ごと振るい、ツェルフォンヅの横腹を激しく叩くが、戦闘不能に至らないばかりか逆に怒らせてしまった。前足で地団駄を踏む様に地面を叩き、再度突進。再び足元を狙って来たと判断し、ステインが先程と同じく剣を振るうと、ツェルフォンヅは跳躍。獲物の首を掻き切らんと牙を光らせた。
そこでステインは剣を振った勢いのまま投げ捨てた。勿論、諦めて自棄になったからではない。抜き身の剣ならまだしも、鞘と鎖が付属している状態ではを振り上げて防御するのは間に合わない。このことをステインは理解していたし、代わりの自衛手段も身に着けていた。
「はあっ!」
「フォンッ!」
剣を振るって捻った体をバネに、高速のアッパーを放った。固く握った拳はツェルフォンヅの下顎を完璧に捉えて吹き飛ばした。
空を舞い、地面に落ちたツェルフォンヅは白目を剥いたまま何度も痙攣を起こしている。
「悪いな」
ステインは魔力を集中させて風の魔気を練ると倒れているツェルフォンヅへ放つ。風の刃は音もなく獲物の体を斬り裂き、気が付くと綺麗に剥ぎ取られた皮と、無残な肉の塊が残されていた。
「うん、上手くいった」
紺の毛皮を拾い上げ、満足気に頷いていると再び唸り声が近寄ってくるが、ステインは眉一つ動かさず新たに出現したツェルフォンヅに対峙した。