第40話
天空に生じた風の柱は翼を持たぬ人間に対し不可避かつ酷烈な一撃であった。直撃すれば大型モンスターですら致命傷になりかねない攻撃を、ただの人間が受けて無事で済む筈がない。しかし、攻撃を放ったクヨーラは油断することなく辺りを見渡し、警戒を怠らなかった。
「聖剣を使い熟せていなくても、攻撃を避けることぐらいは容易い……と思いたいが」
広大な空の中から、どこに行ったかも分からぬ人間を見つけるのは少々骨が折れる。ただ、あまりにも見付からないものだから、クヨーラの心の中では次第に一つの不安が生まれていた。
「まさか直撃してねぇよな……?」
クヨーラは空を駆け出すと、反撃に対する警戒を解いてステインを捜索することに専念した。
では、ステインはどこに行ってしまったのか。風の光線に呑まれて跡形も無く消失してしまったのか、クヨーラの眼を掻い潜って奇襲の時を待っているのか。答えは……
「落下が……止まらないっ!」
落ちていた。
風の光線に呑まれる直前に聖剣の能力を発動し、急速回避したのは良かったのだが、それ以降聖剣は沈黙したままである。不慣れながらも風の魔気を操ってみるが、落下しながら体を転がすくらいが関の山であった。シルフィアかクヨーラが異変に気付いて助けてくれれば良いのだが、大人しく救助を待つには些か騒がしい状況である。
「これはマズいな」
聖剣を振ってみるが、風の力はどこかに消えてしまったようで、ステインの両腕は鉄の重みだけを感じ取っていた。霊山の山頂を過ぎて尚も落下していると、いよいよ最悪の事態が脳裏に過ぎる。宙に浮いた人影が見えたのはシルフィアで間違いないだろうが、向こうはステインが落ちている事に気付いている様子はない。
地面に激突する瞬間に風の魔術をぶつけて落下の衝撃を緩和するか、土の魔術を発動させて地面をクッションにしようかと案を思い浮かべる。前者は地面にぶつけた風の魔術の反動で体がバラバラになりそうだし、後者は地中深くに埋まってしまい戻って来れなくなりそうだ。
あれこれ考える間もなく、あまりにも簡単に地面と接触する時が来た。死に際に見えるという走馬灯もなく、ステインの命は大地で弾けようとしていた。咄嗟に眼を瞑り、数瞬後に訪れる死に備える。
ステインが自分の両足で地面に立っている事に気付いたのは、数分後の事だった。四対の翼の音と共に聞き慣れた二つの声が聞こえてきて初めて、ステインは己の五感を再起動させる事ができた。
「僕は……生きているのか」
恐る恐る眼を開くと、丁度シルフィアがクヨーラの背に乗って地上に降りて来たところだった。
「ステイン!よかった、上手くいったみたいだね」
「シルフィアが助けてくれたの?」
ステインの問いに答えたのはクヨーラだった。空魔精霊獣の力を継承したシルフィアは霊山中の魔気を自在に操れる。視認できないほど上空に昇ったステインとクヨーラの戦いも、落下し続けるステインの姿もシルフィアは魔気を通じて知っていたのだ。状況さえ分かれば、魔術を発動してステインが地面に激突するを防ぐくらい大した手間ではなかったのだと言う。
「クヨーラが言うほど簡単じゃないよ。失敗したらどうしようって、凄く不安だったんだよ」
「それでも成功させたのだから、シルフィアは本当に凄いよ。助けてくれてありがとう」
「ううん、ただ必死だっただけ。もう一度同じことをやっても上手くいくか分からないよ」
謙遜するシルフィアであったが、ステインの命を救った事に変わりない。空魔精霊獣の力を継いだ直後だが既にその力を使い熟している。聖剣に振り回されて自滅しかけたステインは、無意識に聖剣の柄を強く握った。
「それでクヨーラ、これからどうするの?まだ戦うの?」
クヨーラは問い掛けて来たシルフィアではなくステインの方を一瞥し、空に向かって深く息を吐いた。
「いや、もう十分だ。テレシアの容態も気になるだろうし、麓に戻ろう」
前足を折って背中に乗る事を示唆すると、シルフィアは嬉しそうに飛び乗ったが、ステインはどこか遠い目をしたまま立ち尽くしている。
「おい、置いて行くぞ!」
声を張りながらクヨーラはステインの服の端を咥えて持ち上げると、器用に自身の背中へ放った。慌てている様子が耳に入るもクヨーラは気にせず颯爽と飛び上がり、霊山の麓にあるシルフィアの家目掛けて駆け出した。
霞む視界の中で老婆の手が伸びて来ているのが見えた。頬を撫でられているようだが、体温も触覚もまるで感じないのは意識が途切れかけているからだろうか。目蓋を持ち上げるのも億劫になり、視覚を閉じると、老婆の声が聞こえてきた。何を言っているかは分からない。そもそも聞き取れたのが言葉の後半だけであった。それでも、意識が落ちる間際にテレシアは口角を上げ、承諾の意を表した。
テレシアが次に耳にしたのは、聞き慣れた青年と少女の話し声だった。騒がしくなく、退屈そうでもなく、穏やかな声音はテレシアの意識を柔らかく覚醒させていった。
「……ご主人、様」
声を出さずとも、横になっていた体を起こせば自然と注意を引けたに違いない。なのに何故、彼を呼んだのかは分からない。強いて理由を挙げるなら“なんとなく口から出た”ぐらいが適当だろう。
「テレシア!良かった、目を覚ましてくれて。気分はどうだい?」
穏やかだった声音に喜悦が加わり、足音が近付いて来る。テレシアは自身の内側に意識を向け、気分の調子を測る。濃い魔気に中てられたので若干の気怠さはあるものの、気分が悪いと申告するものではない。そう判断したテレシアだったが、数秒後ステインの顔を見た時に思わず口からでた言葉は、自分の判断を押し退けて出てきたものだった。
「あー、ご主人様の呑気な顔を見たら急に怠くなってきた」
ステインの視線から逃れるようにして毛布の中へに潜り込む。柔らかな花の香りが鼻孔をくすぐり、瞬く間に眠り付きそうになったが、間一髪の所で跳ね起きる。
「そういえば、ここは?このベッドは?」
辺りを見渡しながら頻りに毛布の匂いを嗅ぐ様は変質者と表現する意外にないが、ステインは気にせず答えた。
「シルフィアの家だよ。そのベッドもシルフィアの物」
木の温もりが感じられる室内の中で、植木鉢から伸びた植物や透明な箱に入れられた鉱石などが所狭しと並んでいる。生活に必要な物より、空魔精錬術で使う素材の方が部屋を占領しているといった感じだ。
「シルフィアの家か、どうりで良い匂いが……」
「やめなさい」
一行に毛布を手放さないテレシアの頭を手の平で小突く。
「あいたっ!病み上がりの従者に暴力を振るうなんて酷い!」
「病み上がりなら、夕食は控えておく?シルフィアが作ってくれたのだけれど」
「食べる」
毛布を投げ捨てて即答するテレシアだったが、直後にステインから叱られ、ベッドメイクを強制させられたのは言うまでもない。
夕食を食べながら、ステインとシルフィアは事の顛末をテレシアに話した。
シルフィアが空魔精霊獣の力を継承したこと。クヨーラが実はフライカイツという神獣であったこと。聖剣の能力に振り回されて危うく死ぬ所だったこと。そして、シルフィアを連れて王都に戻ること。
「ははははっ!!ご主人様が剣に振り回されて空を飛んでるなんて、想像しただけで……クククク……」
ステインは今後の予定について話したかったのだが、案の定テレシアは主の失態に興味津々だった。椅子から転げ落ちないよう、笑いを堪えている。
「そ、そんなに笑ったらステインが可哀想だよ」
シルフィアが言い聞かせるも、テレシアは聞こえていないのか、聞こえていてもどうしようもないのか、必死に腹を抱えるのみである。こうなっては時間を掛けて落ち着くのを待つしかない。ステインは麓に戻る時、クヨーラと話した聖剣の能力について思い出していた。
風の魔気を流すことで発動する“恣意人”は使用者の思考依存の行動力強化である。使用者が飛ぼうと思えば飛べるし、速く走ろうとすれば走れる。聖剣を速く振るおうと思えば振るえる。加えて、聖剣事態が膨大な風の魔気を宿しているので、魔術を切り裂こうと思えば切り裂ける。強力な能力に違いないのだが、問題は制御方法にある。高速で自由自在に動けるのだが、それ相応の思考速度が求められ、一度発動させたら魔気が尽きるまで止まる事ができない。一応、シルフィアが聖剣の魔気を放出させることも可能ではあるが、高速で動き回る魔気の塊を捉えるのは骨が折れる。
使い熟したい能力ではあるが、おいそれと練習することもできない。せめて自分で聖剣の魔気を放出する事ができれば、とステインが頭を悩ませていると、テレシアの笑いも漸く治まってきたところだった。
「クックク……いや、ごめんって。流石に笑い過ぎたよ」
ステインが難しい顔をしていたからだろう、テレシアは笑い過ぎで出て来た涙を指で拭いながら詫び、話しを再開するよう促した。テレシアに大笑いされた事は特段気にしていなかったのだが、わざわざ訂正する必要もなかったのでそのまま話し始める。
「王都に戻ると言っても、真っ直ぐ帰るわけじゃない。王都を目指しながら色々な土地を回って、空魔精錬術や聖剣の扱いに慣れていこうと思う」
「ふーん。ま、あたしはご主人様に付いて行くだけなんだけどな。出発はいつだ?」
「明日」
予想以上に急なスケジュールだったため、テレシアは口に含んだお茶を吹き出しそうになる。彼女が辛うじて口を決壊させなかったのは、単純に正面の席に座っているのがシルフィアだったからだ。もし正面に居るのがステインだったなら、彼女の口は錬金術でも作れるか分からない程の精密な霧吹きへと変わっていただろう。
「また随分と急だな」
「ごめんね。明日出発しようって言ったの、わたしなんだ」
「シルフィアが?何か急ぐ理由でもあるのか?」
「理由って言う程のものではないけど、やることが決まったなら早めに行動した方が良いかなって。あんまりゆっくりしていると、離れたくなくなるかもしれないから」
シルフィアはそう言って感慨深そうに室内を見渡す。今までほとんど村の外にも出たことがなかったというのに、空魔魄霊獣の出現に備えて国内を旅するというのだから、少なからず気負いしていることだろう。
「……よし、シルフィアがそう言うなら明日、準備が出来次第の出発とするか」
言い切るより早く、テレシアは椅子から立ち上がると部屋の出口へ向かって歩き出したのでステインが呼び止めた。
「村に戻って荷物をまとめるに決まってるだろ。のんびりしてる暇があるならご主人様も早く立ちな」
「ああ、それなら僕がやるよ。テレシアはここに残って」
「何であたしがここに残るんだ?」
テレシアは当然の疑問を投げかける。すると、ステインはその問いを視線でシルフィアへと受け流した。
「えっと、我が儘なのは分かっているけれど……明日旅に出ると思うと、色々考えちゃって落ち着かないから誰かと一緒に居たいなぁって……」
はにかみながら告げられた理由に一瞬だけ目を丸くしたテレシアだったが、直ぐに満面の笑みを浮かべ、座っているシルフィアを後ろから抱いた。
「そうか、そうか~。確かに不安だよなぁ。今晩はあたしが付いてるから、好きなだけ甘えて良いぞ~」
どちらが甘えているのか分からない猫撫で声だったが、シルフィアは素直にテレシアの抱擁を受け入れていた。
「それでは、僕は村に戻るよ。また明日、準備ができたらゲレゲン村で会おう」
二人の邪魔にならないよう、軽い挨拶を残してステインは外へ出た。
ステインが玄関を閉めると、月明かりでは照らしきれない霊山の影から、一つの影が飛び出して来た。
「やあ、クヨーラ。シルフィアの希望通り、明日中には出発することにしたよ」
「そうか……」
「……また待つことになるんだね」
「一人で待つのは慣れっこさ。それより……」
クヨーラは鼻と鼻がぶつかるほどに顔を近付け、ステインを睨み付ける。
「シルフィアの事、本当に頼んだぞ。もし何かあったら地の果てまで引き摺り回した後、地獄に叩き落としてやるからな」
「任せて、と言い切れないのが情けない限りだよ」
大型モンスターに凄まれたというのに、ステインは自嘲の笑みを浮かべて見せた。聖剣をろくに扱えていないのに、何を任されようか。戦闘面で言えば、現状シルフィア一人で大抵の事はどうにかなってしまうだろう。村や町の案内はテレシアが買って出るだろうし、ステインがやることといえば、危険が及ばないよう辺りに気を配るくらいのものだ。むしろシルフィアから空魔精錬術を教えてもらう立場である。
「蹴飛ばしてやりたいことだが、身の程を弁えないで適当な事を言うよりはマシだから勘弁しといてやる」
「ありがとう。その恩義に応えられるよう、精進するよ」
「けっ!そういう馬鹿丁寧な物言いは嫌いだ。とっとと失せろ」
クヨーラは顔を離し、わざとらしく前足を払った。
「うん。クヨーラは……ずっとこの霊山に居るの?」
「あぁ、他に行く当てもねぇし、大昔の神獣が現代をうろついてたら面倒な騒ぎが起きかねないしな。大人しくシルフィアの帰りを待つさ」
「…………そうか。それじゃあ、僕は明日の準備もあるし、村に戻るよ」
会話に妙な間があったのが気になるクヨーラであったが、ステインを呼び止める事はせず、黙って見送ることにした。王子や聖剣の所有者といった肩書を背負うにはあまりにも小さな背中が夜闇に消えかかった時、鈍い鉄が月光を反射した。
「聖剣を扱う者として相応しい実力を身に着けたら、また手合せ願うよ」
言葉はクヨーラの耳の中に残っていたが、既にステインの姿は視界から消えていた。勝手に再戦を申し付けられたが、クヨーラは嫌味を口にせず、口角と共に視線を上げた。
「当てにせず待っていてやるよ。待つのには慣れているからな」
第1章完結です。




