第38話
魔気を圧縮しようと体内の魔力に神経を集中させるシルフィアであったが、扱う量が膨大過ぎて思い通りにはいかなかった。一方に魔力を集中させれば一方から魔気が溢れ出てしまい、全体へ均一に魔力を伸ばせば圧力が足りなくなってしまう。いつ魔術が暴発してもおかしくない状況であったが、そうならないのは偏にシルフィアが魔力と魔気の扱いに長けているからと言えるだろう。
「ふぅ……いつも使ってる魔気なのに、難しいなぁ」
魔力の集中を説いたシルフィアは、額に浮いた汗を手の甲で控えめに拭うとステインへ謝った。
「焦らなくて大丈夫だよ」
ステインは優しく言葉を返してくれたが、やはり人を待たせているのは気が引けてしまう。シルフィアは申し訳なさそうに頭を下げると、魔気の圧縮を再開する。
集めた魔気を単純に魔力で圧縮するのは不可能なようなので、別の方法を考える。外からの力だけで駄目ならば、中にも魔力を這わせてみてはどうだろうか。シルフィアは早速、魔力を流し込もうとするが、残念なことに魔気は受け付けてくれなかった。魔力を流しても表面を伝って行くだけで中に入り込まない。
それならばと、魔力を魔気の表面に万弁なく塗った後、球形であった魔気を揉み込む。これならば魔気の内側に魔力を混ぜることができると思ったが、球形が崩れると同時に魔気は霧散してしまう。
「あ、あれ?」
自分の魔力が通っていた、つまり疑似的に体と繋がっていた筈の魔気が何の音沙汰も無く消えたのだから、シルフィアが混乱するのは当然だ。
「ややこしい事を考えるな。いつもの空魔精錬術をやれば良いんだ」
クヨーラの声が届いたことで、急に魔気が消えた原因を理解し、誤った方法で魔気を操ろうとしたことを恥じた。
「いつもの……」
頭の中で一つの戸が開かれる。目の前にあったにも関わらず、どうして見逃すことができたのだろうか。
空魔精錬術とは、素材と自分の身体を魔力の線で繋ぎ、空魔精霊獣の力で増幅させた魔気を流し込み、素材が持つ特性を向上させる術。そして、素材は声を出して自らの特性を教えてくれている。
「お願い、声を聞かせて」
シルフィアは立ったまま、体の力を極限まで抜いた。普通なら倒れる筈の状態だ。ステインは慌てて支えに行こうとしたが、脚の筋肉へ指示が出されるより早く、自分が踏み込んでは行けない領域が化現していると察知した。視覚や感覚が、ではなく、体に流れる魔力がまるで“その領域の一部”になってしまった感じだ。体の自由が利かないにも関わらず、束縛間や緊迫感といったものが一切ないのだから不思議なものである。
淡い緑の粒子が無数に散りばめられた空間で、シルフィアは声を聞いた。無限に広がり、無数に聞こえて来る声。子供の笑い声にも似たそれらをシルフィアは聞き洩らすことなく捉えると、自然に笑みが零れた。
「空明魔道神気集束、鎖状羈束封印解放……恣意人、発動」
静かに唱えられた言葉に従い、周囲を構成していた緑の粒子は余さず聖剣へと流れ込んでいく。粒子は鎖を伝った後、鞘全体を覆って弾けたと思うと何事も無く消滅していた。
「魔気の精錬、どうして直ぐに思い付けなかったんだろ」
空魔精錬術に慣れ過ぎてしまい、魔気は素材の質を上げる為の、云わば燃料のような扱いになっていたのだろう。空魔精錬術のイメージとしては正解だが、魔気もこの世界の一部であり、当然ながら声を発している。それならば魔気を魔気で精錬するのも可能であり、精錬を繰り返した結果、極限まで高められた魔気は声が響き合う領域を創り出したのだ。
魔気の精錬が終わった後、シルフィアは聖剣の精錬を行う気でいたが、魔気に止められた。聖剣は質を上げるのではなく、単純に魔気を付与することで真価を発揮するのだという。ただ、そのために必要な魔気を集められるのが、空魔精霊獣ぐらいなものなのだとか。
「まさかあれだけで気付いて、成功させるとはな……」
これまでずっとシルフィアの空魔精錬術を見て来たクヨーラでさえも感嘆せずにはいられなかった。空魔精霊獣の力を継承した直後にも関わらず、膨大な魔気を制御して見せただけでも褒められるべきことなのだが、魔気の声を聞いて精錬まで成功させたのだから正に末恐ろしい。だが、クヨーラも感心ばかりしていられない。聖剣が目覚めたことに気付かず、いつまでも呆けているステインに喝を入れてやる必要がある。
クヨーラが四対の翼を勢いよく羽搏かせて風の流れを切り裂いた。殺傷能力のない羽搏きであったが、間抜けの意識を現実に戻すには十分な勢いを持っていた。
「あ、あれは一体……」
力を取り戻した聖剣を手にした王子様は気が付いたかと思いきや、相変わらず夢見心地といった様子で呆けている。魔気の領域が余程神秘的だったのだろうが、他人の感動に付き合えるほどクヨーラの心は雅ではない。
「いつまでボケてんだ。ここからは本気で戦わせてもらうぞ」
翼の羽搏きを一層強めたクヨーラは巨体を宙に浮かせると同時に、戦闘再開の挨拶代りの魔術を放った。
不可視の地面を滑る様にして三つの衝撃波がステインに迫る。まだ聖剣がどのような能力を発揮するかも分からない内に戦闘が再開されたが、紙一重のタイミングで横へ躱すことに成功する。クヨーラは風を自在に操れるので、衝撃波を再誘導させたり、破裂させたりしてくる可能性も考えられたが、何事もなく直線的に進んでいき最終的には消滅した。
「シルフィア、ここは危ないから下がっていてくれ!」
クヨーラがシルフィアを攻撃するとは思えないが、戦闘中の事故は十分に考えられる。霊山の方へ後退を指示するが、言葉を遮るようにしてクヨーラは鼻で笑う。
「フン、お前だけで風を纏った聖剣を扱えるのか?」
「どういうことだ?」
てっきりシルフィアを後退させることに賛成してくれると思っていたが、口振りからシルフィアを戦闘へ参加させようという意思が読み取れた。確かにステインは風への適正が高くはない。しかし、以前空魔魄霊獣もどきと戦った時は土属性で解放していたが、聖剣を扱うのに魔力を意識した記憶はない。魔術も変わりなく発動できた。
ステインが記憶を辿っていると、丸太の様な尾が眼前に迫っていた。
「ステイン!」
シルフィアの叫び声と共にステインの体は弾き飛ばされる。けれど、それは尾の一撃によるものではなく、シルフィアが発動した風の魔術によるものだった。十分に加減された魔術はステインの体に僅かな圧迫感を与えるだけに止まり、本来受けるであったダメージを無効化した。
「ありがとう、シルフィア」
戦闘には不向きだからと、身を案じた相手に助けらるのは恥と捉える者もいるかもしれないが、ステインはそういった感情とは無縁の人間である。むしろ、援護の礼を言う為にシルフィアへ視線を向けるという、余分な隙を作ることすら愚かだと思わない。
「わたしの事は気にしないで。早くクヨーラに認めてもらって、家に帰ろう」
シルフィアの方は視線をステインに向けず、空を翔るクヨーラを注視していた。彼女の集中力を目の当たりにし、ステインもいよいよ本腰を入れて戦闘態勢に入る。
「そうだね。僕は風を操るのが得意ではないし、シルフィアに援護をお願いするよ」
「はい、お願いされました。気を付けてね」
優しく応じてくれるシルフィアに頷きを返し、聖剣を一瞥する。相変わらず無表情を決め込んでいるが、間違いなく風の魔気を受けて何かしらの能力が発動しているのだ。風から連想される能力としては移動能力の強化や、斬撃を飛ばすといったところだが、果たしてどこまで使いこなせればクヨーラを納得させられるだろうか。




