第37話
姫でなければ国を背負う必要はなかった。姫でなければ民の意思に応える義務はなかった。姫でなければ独りになることはなかった。
モンスターを助けなければ嫌悪されることはなかった。モンスターと話せなければ恐れられることはなかった。モンスターと理解し合わなければ民から見放されることはなかった。
ただの一度で良いから、姫の言い付けに逆らえば……。人々を守る神獣ではなく、姫を守る魔獣となっていれば……。
風に誘われるがまま生物の輪廻から外れ、数百年の時を生きようと後悔は絶えず付き纏っていた。自らが信じた人の為に生きようと、人に仇なす存在になろうと、同じ結末に帰結してしまう。
多くを生かす為に一人で理想を追い掛け、その行いが理解されようがされまいが時代の狭間に飲み込まれてしまう。歴史に残らず、人々の記憶の中で微かに輝き、やがて消え去る。
どれだけの時が過ぎた頃だろうか、誰の言葉がきっかけだったろうか。どんなに小さな理想であろうと、それを叶えた人間は確かに幸福であったと理解できるようになったのは……。諦めに近い感情だったのかもしれないが、理解を示した途端に思考の闇は晴れていった。
元々、自分が守りたかったのはたった一人の幸せなのだ。どんな力を持とうと、何を背負おうと、自由に生きることができればそれで良かった。寿命による死別はあれど、最期の時を看取ることができれば、自らの過去に報いることができていたと気付いた。
今回、空魔魄霊獣を打倒するのも、クヨーラとシルフィアが解決に動くならば問題はなかった。これまでと同様に契約者の望むがままに力を貸し、人生を全うさせる。特異とも呼べる魔力を恐れる者がいようと、優しさを利用とする者がいようと、障害となる者は全て排除しようと意気込んでいた。しかし、運が悪いことに四大の宿った聖剣を持った男、ステインが現れてしまったのだ。聖剣を持って来たのは好都合であったが、問題はステインが空魔精錬術の適正を持った人間であり、更には一国の王子であったことだ。
世間知らずではあったが素直で優しいシルフィアに権力を持った人間が付けば、それだけ大きな物を背負わされることになる。その上、ステインという個体の意思まで追従してしまえばシルフィアの自由は大きく制限される。そんな事態は断固として認められない。
幸いにしてステインは空魔精錬術の適正こそあれど、才能は怪しい部類だった。少なくとも、初見でクヨーラの見立はそうだった。適当に練習させて諦めさせようとしたが、シルフィアの教育のお陰か、ステインは着々と空魔精錬術を上達させていった。それだけならまだ追い出せた。しかし、初めて自分以外の空魔精錬術師と出会えたシルフィアがあまりにも嬉しそうにするものだから、クヨーラはもうどうすることもできなかったのである。
楽観視していた事態は覆され、危惧していた事態は的中してしまう。ステインがシルフィアを旅に連れ出したいと言ってきた件だ。打倒、空魔魄霊獣のためにも様々な土地の魔気に触れた方が良いのだが、それはシルフィアの役目だ。故に旅に出るか否かはシルフィアが決めることであり、他人が進言するべきことではない。
クヨーラが憤って反対するも、世界はステインに味方した。霊山の山頂への道が開けたのだ。これはつまり、魔気に乗せられた世界の意思が、シルフィアとステインに空魔魄霊獣討伐を託すと言っているのと同義だった。
空魔精霊獣として守護している筈の世界に味方されないとはなんとも可笑しな話しであるが、従わないわけにはいかなかった。けれど、シルフィアに力を託し、ステインに聖剣の能力を伝えて送り出す。などと素直になれる筈もなかった。シルフィアと並び立つ者の実力と意志を測らねば、不安で魔気を生み出せなくなってしまう。
理想に迷った時、共に出口を目指せるような。周囲に道を閉ざされてしまった時、傍で道を照らしてくれるような。最後に帰り道を覚えていてくれるような。そんな人間でなければ、シルフィアと共に歩く事は許されない。
クヨーラが心の内を看破されたと聞いて茫然としている内に、ステインは聖剣を拾い上げていた。
「フライカイツ……神獣の名に相応しい強さだよ。僕では傷どころか攻撃を与えることさえ難しい。けれど、その力はフライカイツのものではない」
この言葉を受け、クヨーラは意識を取り戻す。まさか空魔精霊獣だから、魔気を自在に操れるから自分は勝てないとでも言うつもりなのではないか、と不愉快な予想を立てる。もしそうなら、直ちにステインを霊山の彼方まで吹き飛ばしてやろうと戦意を昂らせた。
「フライカイツを神獣と呼ばれるまで高めたもの、それは姫の理想に他ならない。人とモンスターの共存という理想を、一番近い所で聞いてきたクヨーラだからこそ辿り着けた」
そんなことを今言ってどうするのだ。と、クヨーラが口を挟もうとしたが、ステインは間を開けずに続ける。
「姫を信じず、協力しなかった人々が憎い筈だ。姫の言い付けを守るだけで、肝心の姫を守れなかった自分に怒りを覚えた筈だ。それでもクヨーラは人とモンスターを守り続けた……世界が姫の理想に近付けば、姫と再会できると信じて」
「理想を目指している内に勝手に力が付いて、人間共はおれっちを神獣呼ばわりした。それだけの話しだろ、何が言いてぇ?」
長々と昔話を掘り返されるのも癪なので先に結果を口にしたが、ステインは意に介せずといった様子である。
「人に育てられ、人の意思を継いだ強さはフライカイツという種の強さではなく、クヨーラという個体のものだ。だから僕も応えよう、僕個人がクヨーラの思いを継ごう」
クヨーラが託すべき思いはシルフィアの無事であり、自由であり、幸せである。これらが判明して漸く、ステインは聖剣を使うと決めた。王子としてではなく、一人の人間として、空魔精錬術師として、心の声を聞き届けてからでなければ如何に力を揮おうと、残せるのは無機質な傷だけだと思ったからだ。
「シルフィア、風の力を貸してくれるかい?」
空魔精錬術で増幅させた魔気を流し込まねば聖剣は能力を発揮してくれないのだが、シルフィアが知る筈もない。
「こ、こう?」
「うわっ!」
ステインの体は足元から巻き上がった風に攫われ、短い空中遊泳を楽しむことになった。空中に発生している地面が不可視ということもあり、着地までのスリルは倍増。ステインは一時的な高所恐怖症に陥ってしまった。体がトラウマを覚えないことを願おう。
「ご、ごめんなさい!ステインが言った意味と違ったよね?」
「あ、ああ……気にしないで。きちんと説明しなかった僕が悪いよ」
ステインは眼を閉じ、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着ける。眼を開ける時は気持ち上向きになろうと心に決め、ゆっくりと開眼する。
「大丈夫か?」
呆れた様子のクヨーラが堪らずに声を掛けてきたので、聖剣を挙げて答える。
「シルフィア、その聖剣に魔気を流し込め」
口を開けたついでだろうか、クヨーラはシルフィアの役目を教えた。シルフィアは少しだけ戸惑ったように首を傾げた後、魔気を集めることに集中し始めた。
空魔精錬術と同じ感覚で魔気を操った結果、普段の数倍もの魔気が動いてしまう。予想外の事態に小さな驚き声を上げるシルフィアであったが、魔気を暴走させることなく球体に整えた。
「これを剣に流し込めば良いの?」
クヨーラに答えを求めるが、口は閉ざされたままだ。というより、先にステインが制止の声を発したのだ。
「待って!多分、その魔気をぶつけられたら僕が吹き飛ぶ!」
ステインが慌てるのも当然だ。今、目の前に集められた魔気は大人四、五人は軽く飲み込んでしまいそうな程に膨大だった。聖剣が魔気を零さず吸収してくれるなら問題ないのだが、どう考えてもサイズが違い過ぎる。
「確か、前にクヨーラがやった時は、手の平程度の大きさまで圧縮させていた気がする」
「なるほど。このままじゃ剣に入りきらないものね」
無邪気に頷くシルフィアとは対照的にステインは気が気ではなかった。通常では眼にすることがない魔気の集合体を前にしていることもあるが、先程シルフィアに吹き飛ばされたことが未だ尾を引いていた。




