第30話
【フェドラス霊山】
長閑にそよぐ草葉が急に騒めき出すといつの間にかクヨーラの姿が現れていた。急な呼び出しに対し不機嫌さを隠そうともせず眉間に皺を寄せ、広場の中央で椅子に腰かけている灰色の老婆の元へ歩み寄る。
「ったく、急用ってなんだよ。こちとらシルフィアの人生について話してたんだよ」
「おやまぁ、それじゃあ丁度いいタイミングだったじゃないの」
アニカは柔和な笑みを崩さずに広場の奥を指差した。示された先では木々が不可思議に湾曲して洞窟を形成しており、その光景を見るや否やクヨーラの眉間の皺ははち切れんばかりに引き延ばされた。
「山頂への道が開かれた!?」
「そんなに驚くことないだろう。わしが生前の頃からこうなる事は予想していたことだし、聖剣を携えた王子様が現れたのだって偶然じゃないさ」
「はぁ~……わかっちゃいたが、やっぱりシルフィアなのか……」
蹲る様にして頭を抱えるクヨーラに対しアニカは思わず苦笑するが、彼女とて内心では焦燥に駆り立てられていた。生前に風土の空魔精霊獣と交わした“約束”を果たす時が近付いたというのもあるが、それよりも大切な孫であるシルフィアに重荷を背負わせなくてはならないという事実が、既に鼓動を止めた心臓を鉛のように重くした。
「孫に入れ込んでくれるのは嬉しいけど、誰かが引き受けなきゃいけない事だ。あんたも空魔精霊獣としての役目を果たしなさいな」
「……少しだけ時間をくれ」
諭す言葉をかけられるがクヨーラの耳も顔も心も垂れ下がったままで暫く動くことはなかった。
【ゲレゲン村】
霊山で深刻な空気が漂っていることなど露知らず、村では錬成と精錬が順調に進められていた。シルフィアが旅に出るか否かについては誰が言うでもなく踏み込んではいけない領域と認知され、時間が経つに連れて記憶からも薄れていった。
武具の錬成は滞りなく完了し、管理者であるフレークを始め実際に使用するであろう自警団の面々も称賛の声を上げる程の出来栄えだった。予備の分の作成も依頼された時は、鍛冶屋との折り合いをつけねばならないという尤もらしい理由をつけて丁重に断ったが、実のところステインの魔力も相当量を消費していた。
ハルムに依頼されたフラミンサシェット百二十個は錬成することができたのだが、納期ギリギリであった為、品質にはムラが出てしまった。そこはシルフィアの空魔精錬術でフォローしてもらい、なんとか納得できる品質に仕上げることができた。しかし、そんな調整は不要だったとでも言う様に、ハルムは喜んで受け取ると何度もお礼を言い、新品の手綱を力強く握って行商の旅に出かけて行った。
「どうにか無事に依頼を終わらせられたね」
無事、というのは当然納期の事もそうなのだが、モンスターの襲来等といった脅威に見まわれなかった事も含まれている。
「お疲れ様。あと残ってる依頼は肥料の精錬だけど、納期はまだまだ先だし、他の精錬にも挑戦してみる?」
一仕事終えたばかりだというのに休暇よりも精錬の腕を上げるための提案をしてくる。見た目からは想像できないタフさにステインは思わずたじろぐ。精錬に慣れていかねばならないのはステインも自覚しているのだが、ここ数日は錬成を同時進行させながら肥料の精錬も行っていたのだ。日常生活に支障が出る程ではないが、できることなら魔力を回復させる時間がほしい。
「一段落したのなら、これから付き合ってもらえるか?話がある」
音もなく現れたクヨーラは妙に重々しい声色を発した。シルフィアに旅をさせたいと言ったことに対して怒っている様子はなく、眉毛の奥に隠された瞳は真っ直ぐに二人を見据えていた。
休みたいと弱音を吐こうとしていたステインだったが、クヨーラの視線を受けると体中に緊張が走り疲労感を忘れる。
「何だぁ?いきなり出て来たと思ったら柄にもなく畏まって?」
相手がどんな心境をしていようが相変わらずの態度で話しかけるテレシアであったが、クヨーラはそんな彼女を一瞥するのみで静かにシルフィアとステインの返事を待った。
「おい、無視かよ」
突っかかろうとする従者をステインは手で制し、代わりにシルフィアが一歩前に出た。
「いいよ。何の話し?」
「アニカからも話しがあるんだ。霊山まで来てもらう」
「ばあちゃんが?わたしは構わないけど」
選択を迫られたステインは迷わず頷く。
「ご主人様が行くならあたしも行くかんな!文句ないだろ!?」
「……待ってろと言っても聞かねぇのは分かってるさ」
この展開になるのは想定できていたのだろう。クヨーラは味気ない態度でテレシアの同行を認めると風を呼んで霊山へと移動した。
風に包まれている間は薄緑色の光りに包まれていて周りの景色が見えなかったが、そもそも景色を楽しむ間もなく目的地に到着してしまう。
霊山を少し登って洞窟を抜けた先にある広間。シルフィアとステインが初めて会った場所である。
眩く咲き誇る草花の中央で灰色の老婆は朗らかな表情を浮かべて立っていた。
「おれっちは先に山頂に行ってる。アニカ、確認が終わったらそいつらを連れて来てくれ」
「はいはい、あんたも歳なんだからあんまり気張ってると倒れるよ」
「そっちこそ、足腰悪くして登山は中止とか言い出すなよ」
「望むところだよ、幽霊に腰痛があったら大発見じゃないか」
互いに軽口を叩き合うと、クヨーラは再び風を纏ってその場を去った。風の余波が過ぎ去り、騒いだ草花が落ち着きを取り戻したところでアニカは言葉を放つ。
「四大の空魔精霊獣と癲狂の空魔精錬術師の話しを聞いたことがあるかい?」




