第16話
【ゲレゲン村】
人気が無く静寂に包まれた村を、二人分の喧騒な足音が駆け抜けて行く。戦闘直後の全力ダッシュは身体に多大な負荷が掛かるが、それでも足を止める訳にはいかない。自分達が一秒でも遅れればその分だけ被害が拡大する可能性があるからだ。
息も絶え絶えになりながらやっとの思いで中央広場まで辿り着くと、先に来ていた自警団が既に村人たちへ状況を伝えており、剣呑な空気に包まれていた。
「はぁ、はぁ、シルフィア!」
幸いにも村人の中から橙黄色の長い髪を見つける事は容易だった。テレシアは息を整える間も無くシルフィアへと駆け寄る。
「テレシア、無事だったんだね!一体何が起きてるの?」
説明するためにシルフィアの前で立ち止まったテレシアに疲労が一気に襲い掛かる。体が不足していた酸素を欲しがり、中々言葉が出せない。それでも無理矢理に話そうとするが、気管を詰まらせて激しく咳き込んだ。
「げほっ!ごほっ……あ、あたしもよく分かんないけど、空魔……はくれいじゅう?とかなんとかが出て来て、げほっ、ご主人様がシルフィアに伝えてくれって」
「空魔魄霊獣……」
シルフィアに背中を擦ってもらいながら、やっとの思いでに主人から与えられた任を全うしたテレシアだったが、どうにも反応が薄い。
「空魔って言うくらいなんだから、何か知ってるんだろ?ご主人様が危ないんだ、どうにかしてよ!」
「ご、ごめんなさい。わたしも名前くらいしか知らなくて……でも、クヨーラならきっと何か知ってるはずだよ」
クヨーラを呼びに行くということは霊山まで行かねばならないということだ。村と霊山を往復していてはどんなに急いでも日が暮れてしまう。それではステインも村もどうなるか分かったものではない。テレシアは悲愴な面持ちにで、縋るようにシルフィアの腕を掴んだ。
「それじゃあ間に合わないんだ。頼むよシルフィア、ご主人様を助けてよ」
今にも泣きそうな表情で懇願され、シルフィアはどう対応するか一瞬迷ってしまう。無論、最初から協力を惜しむ気はないのだが、今のテレシアを安心させられるような言葉が咄嗟に出て来なかったのだ。
「二人共、どうしたんだ?早く逃げようぜ!」
いつの間にか村人達は避難を開始しており、エトも年少の子供達を連れて避難しようとしていた。
「あ、え、えっと……」
次々に迫られてシルフィアは軽い混乱状態に陥るが、そんな彼女を助けるべく一陣の風が舞い降りた。
「よぉ、さっきぶり」
「クヨーラ!来てくれたんだ!」
この場を納めるのに最も有効となる人物の登場にシルフィアは歓喜の言葉を上げた。
「おれっちの庭にデカイ虫が入り込んだみたいだからな、様子を見に来たんだ」
まさかクヨーラの方から来てくれるとは思っていなかったテレシアは、初めこそ唖然としていたが、余裕のある口調で話す様を見て苛立ちが込み上げてくる。
「異変を感じたんならこんなとこで話してないで早く対処しに行けよ!」
「んー、ちぃっと変わりモンが来たってだけで、そんなに脅威じゃねぇから避難の必要はないって伝えに来たんだよ」
「ご主人様の様子からして変わりモンで済む相手じゃなかったぞ!」
テレシアに怒鳴られるも、クヨーラは相変わらずのんびりとした態度で頭を掻いている。
「そう焦んな、あいつならそう簡単にくたばらんって」
「クヨーラ、お願いだから早くステインを助けてあげて」
「おお、シルフィアにまで責っ付かれたら行かない訳にはいかないな」
最後まで緊張感のない話し方をしてから、手を振って巻き起こした風に乗って村の南へと飛んで行く。
「避難しなくても良いって言われても……」
エトは先行していた村人達と子供達とを交互に見やる。誰も彼もが足を止めて困惑している。
「あたしは様子を見てくる」
「あ、わたしも行きます」
走り去る少女達の姿に釣られて、エトもステインの安否を確かめに行きたい気持ちになるが、両手を握る小さな温もりを離す訳にはいかなかった。
【ゲレゲン平原】
暗く、粘り気のある流動体で構成された空魔魄霊獣は、緩慢な動きで巨体を揺らしながら村へと歩を進める。一歩進む毎に重心がずれて巨体を構成し切れないのか、不快な音を立てて液体が流れ落ちる。地面に落ちた液体は足を伝って再び体の一部となるので、歩いている内に液体が流れ落ちて消滅することはない。
ツェルフォンヅの十倍近い体格を持つ空魔精霊獣相手でもステインは物怖じすることなく立ち向かう。引き込まれそうになる暗い体表から一定の距離を保ちながら時計回りに走り込む。
「やはり人ひとりには一々構ってこないか」
空魔魄霊獣の真横に来ても村への進行は止まらない。ステインは土の魔気を溜めながら空魔魄霊獣の前足目掛けて駆け出し、対象の重心が右に傾いた瞬間に魔術を発動。地面を陥没させて体勢を大きく崩すことに成功した。
「ハァッ!」
倒れかける巨体の下を駆け抜けつつ右足に一閃。重々しい手応えのを感じながらどうにか破砕するが、飛び散った液体は地面を這って足に吸収されてしまう。
「やはり無駄か。しかし……」
再生されるのは想定の範囲内だったが、ステインは眉間に皺を寄せて自身の体を見る。
「液体には触れなかったが、成程、近寄るだけでも随分と魔力を吸われるものだな」
外傷は皆無だったが、妙な脱力感が全身を襲う。急激な魔力消費による症状だ。空魔魄霊獣が魔力や魔気を吸い取る存在だというのは禁書に記された通りのようだ。
陥没した地面から未だ脱出できないでいる敵から距離を取り、策を考える。魔術で遠距離から攻撃しようが、接近して攻撃しようが自分の魔力を相手に差し出すだけだ。地面の中へ魔術を流し込んで発動する土属性ならば、威力は落ちるものの術を発動する事は可能のようだが、決定打を与えることは難しい。精々今現在のように足止めをするのが関の山だろう。
「クヨーラが来てくれることを祈るしかないのか……」
自らの非力さを悔やみ下唇を噛むステイン目掛けて、空魔魄霊獣の口から液体が吐き出された。
「くっ!」
予想外の攻撃であったものの、警戒を怠らなかった甲斐あってどうにか攻撃を避けるステインだったが、脇腹に燃える様な熱を感じて顔を歪める。見ると、地に溜まった液体からいくつもの細い触手が伸びており、次々とステインの体に張り付いて来ていた。
「うっ、あぁ!」
剣を薙ぎ払うと意外にも簡単に触手は斬れ、再生することなく地面に落ちていく。しかし、吸われた魔力の量は深刻で、ステインは踏み止まる事が出来ずに片膝を着いてしまう。
「迂闊だったか……」
回る視界と震える手、支えにしている剣から手を離さないでいるのが精一杯の状態だ。暫く休めば魔力は回復するだろうが、こちらが回復するより先に敵に吸収されてしまうだろう。ポーチの中に回復薬がないかと手を伸ばすが、手元が覚束ない。
「そろそろ出番か」
柵の上で寝そべりながら傍観していたクヨーラだったが、明らかな劣性となっているステインを見殺しにするつもりはない。体を起こして柵から飛び降り、契約者を守るべく戦場へと赴いた。




