第13話
【清浄の森】
いつもと変わらぬ静けさを保っている森であったが、余所者であるステインとテレシアは霊山に向かう時とは違う雰囲気を感じ取っていた。動植物達に監視されている居心地の悪さがない。むしろそういった、他者の干渉が一切感じられない、自然の静けさだけが辺りに広がっていた。
「シルフィアがいるとこの森も安心して通れるな」
「そうなの?エトだっていつも一人で森を抜けてくるんだから、慣れっこでしょう?」
「いやいや、シルフィア以外の人間には容赦ないから、この森」
「むー、あんまり乱暴しないでって、クヨーラにも言ったのに……」
話しから推察するに、清浄の森はシルフィアを守る為に侵入者を監視・撃退するようクヨーラに手を加えられた場所のようだ。国の治安が良くとも、賊の類いが全く存在しないというわけではない。空魔精錬術師であるシルフィアを騙したり誘拐したりして、悪事に加担させようと考える者もいる筈だ。契約者を、神聖な地である霊山を守る為に空魔精霊獣が防衛措置をとるのは自然の事だ。
「あ、にーちゃんも空魔精錬術師になったんだから、にーちゃんを連れて行けば自由に通れるのか」
「そう直ぐ受け入れられるものなのか?」
「多分、大丈夫なんじゃないかな。ここの子たち、空魔精錬術師かそうでないかの見分けは慣れてると思うから」
「もし理不尽に襲われたらあの猫殴ってやるからな」
握った拳を自分の手の平に打ち付ける。霊山でのやり取りを考えるとステインよりも、緋色の髪をしたエプロンドレスの少女が来たら大人しく通せと指示が出されていそうだ。
【ゲレゲン村】
何事もなく森を抜けて村に着いた一行。ステインとテレシアはハルムの元へ、シルフィアはタチアナ村長の家へ、エトはフレークに会う為に雑貨屋へそれぞれ向かった。
ハルムの泊まっている家へ向かうと、荷車の上で物品を整理していたところに出くわした。
「こんにちは。お忙しいところ失礼します」
ステインが声を掛けると、ハルムは持っていた木箱を隅に置いて荷車から降りて挨拶を交わした。
「約束していた手綱をお持ちしました」
「ありがとうございます!いやぁ、素晴らしい出来ですね」
紺色の手綱を受け取ったハルムは肌触りを確かめながら感嘆の声を上げた。
「そこまで褒めて頂くほどの物ではありませんよ」
ここまで喜ばれると思っていなかったステインは思わず謙遜してしまうが、ハルムは何か思い立ったように荷車へ戻ると、手の平大の綺麗な蒼い球を大事そうに抱えて来た。
「やはり五百バルタで受け取れる品物ではありません。なので、どうかこちらを納めては頂けませんか?」
「これは?」
一見すれば巨大な宝石だ。宝石でないとしても、この美しい蒼の輝きを放つ物はどう考えても手綱一本で釣り合う品ではない。困り顔で訪ねるステインに、ハルムは球を押し付ける様に差し出して答える。
「何を隠そう、クライペン・スラングの眼です!」
「なっ!?」
予期せぬ答えにステインは眼を見開いて一歩後退する。もちろん、差し出された蒼の球が巨大な眼と知って気味悪がったからではない。ステインが驚いたのはこの眼の本来の持ち主を名を聞いたからだ。
「クライン・スラングって、あの馬鹿デカイ水蛇だろ?たしか前に王都の近くでも現れたんだっけ?」
「クライペンだ。しかし、これは確か……」
テレシアの誤りを訂正し、ステインは記憶を辿る。
あれはステインがまだ王都で錬金術師として腕を磨いていた頃だ。奔放者として知られている第一王子クルト、つまりステインの兄が城を抜け出して釣りに出掛けた際に釣り上げたのが、クライペン・スラングである。
普段は人目につかない水底に生息している筈の水蛇をどうやって釣り上げたのかは定かではないが、クルト曰く「色んな肉を錬金術で調合したエサを使ったら出て来た」そうだ。国王を始めとする重役達が聞きたいのはエサのことではなく、明らかに人ひとり、釣竿一本で釣り上げることのが不可能な巨体をどういった手段で地上まで引き上げたのか、危険な存在である水蛇を何故釣り上げたのか、である。だが、クルトは水蛇を釣り上げた経緯については「偶然」「たまたま」等と言って明らかにしようとしない。
地上に現れたクライペン・スラングはその巨体からすぐさま王都の衛兵に発見され、討伐隊が結成された。しかし、討伐隊が水辺に辿り着いた頃には既に水蛇の姿は無く、美しい蒼の瞳を傍らに置いて何事もなく釣りを再開しようとするクルトだけが居たらしい。当然、釣りをする暇など与えられず、討伐隊の手によって王都に連行された。
蒼の瞳は城で保管されていたそうだが、ある日忽然と姿を消したそうだ。クルトが持ち出したとか盗賊に奪われたとか諸説あるものの、真相は定かではない。
行方知れずになっていたクライペン・スラングの瞳が目の前に差し出されている状況に困惑するステインだったが、そんな彼にハルムは笑い掛ける。
「これは貴方が持っているべきです、ステイン王子」
「……知っていたのですか?」
ハルムには自分が王子だと名乗っていなかった筈だが、やはり隠し切れる立場ではない。
「大変無礼ですが、昨日会ったときは気付きませんでした」
まさかこんな地方の村で王子と出会うとは思うまいし、たとえ気付かなかったとしてもステインが何かを思うことはない。
「ハルムさんはどこでこれを手に入れたのですか?」
「グロート町です。魔術師を名乗る男に路銀が必要だからと買い取りを依頼されました」
「その魔術師はどんな男でしたか?」
「ローブで全身を隠していましたし、体格も平均的でしたから、これといった特徴はありませんね」
申し訳なさそうに首を振るハルム。仮にその魔術師が蒼の瞳を盗んだ者だったとしても、証拠も無しに客の素性を探っては商人としての評判に致命的な傷が付く。
「ああ、でも王都に暫く滞在するとは言っていました」
「そうですか、ありがとうございます」
王都で身体的特徴もない魔術師の男を特定するのは不可能に近い。だからといって大人しくしているわけにはいかないが、今のステインに何もできないのも事実だ。取り敢えずはハルムから蒼の瞳と代金を受け取り、魔術師の事は追々考えることにした。
空魔精錬術師になりハルムに手綱を渡して一件落着と思われたが、思わぬ事態になってしまったものだとステインが小さく溜め息を吐くと、新たな事態が飛び込んできた。平穏な村に似つかわしくない警鐘が鳴り響いたのだ。




