第111話
土の空魔精霊獣は村人達を愛していた。否、自らの手で反魂残存とした今も愛している。
村人達は土の空魔精霊獣へ生前から変わらぬ感謝を持っている。
当事者達が納得しているのならば、部外者が反発の声を挙げるべきではないのかもしれないが、シルフィアは理由を聞かずにはいられなかった。ベルフも始めから伝える心積もりであり、静かに語り出す。
「空魔魄霊獣が出現すれば、この国の生物も魔気も吸い付くされる。魔気がなくなればこの山も、下に広がっている草原も、先に見える湖も消え去る。そして、この国の侵攻が終われば隣国が、それが終われば更にその隣りが……ヤツは倒されるか、六百年溜め込んだ渇望が満たされるまで世界を侵攻し続ける。ワレはワレを慕ってくれた者達が、厄災の餌食になることは容認できなかった」
「だからって、あんな小さい子まで……」
ここまで案内してくれた男の子の姿が脳裏を過ぎる。空魔魄霊獣や魔気の説明をしたとしても、理解するには難しい歳の子までこの世での命を絶たれた事実に、シルフィアは確かな怒りと悲しみ覚えた。
「説明はした。完全な保証できないが逃げる為の選択肢も提示した。それでもこの地に……ワレに全てを託した。故にワレはこの地と魂を守る責務がある」
村人達が選んだ結果だとしても直ぐには納得し切れない。だが、村人達の決定に異議を唱える権利もない。シルフィアは少しの間、自分の胸に手を当てて押し黙っていたが、あることに気付く。
「ここはどうして景色も全て灰色になっているんですか?」
想定外の質問に、ベルフは丸い赤の目をくるりと回してから言葉を発する。
「問いに答える前に、ヌシは反魂残存についてどの程度の認識がある?」
「生前に空魔精霊獣と契約することで、死後も自我を持った霊体としてこの世に留まっていられる存在ですよね」
「その通り。空魔精錬術師でなくとも、生物……正確には魔力を持ったものならば全て反魂残存の契約を結ぶ事ができる」
この場にある大地も草木も建物も全てベルフと契約した反魂残存となっているのだ。だが、まだ不明な場所があり、シルフィアは空を見上げた。灰色の空に浮かぶ灰色の雲。
「空は魔力はなく魔気が漂う空間であるが、ワレは土の空魔精霊獣。魔気の流れを断つことで村と、空を含めた周囲を現世から切り取った。そうしてこの地を空魔魄霊獣の侵攻が及ばぬ地に変えた」
魔気の流れを断つ、現世から切り取る、といった人知では及ばぬ行為に圧倒されているシルフィアを余所に、ベルフは話しを続ける。
「ワレやヌシは色が残っているが、これはまだ現世に身体があるためだ。ヌシの身体は今、気を失っている状態だが仲間が運んでいる」
ベルフの言葉を受けて、この場所に来る前の事を思い出す。モンスターに崖を崩され転落し、掴み損ねたアンナの手の向こう側で、頂上からモンスターが降りて来ていたところまでは覚えているが、その後自分や仲間がどうなったのかは知らない。
「鉱山のモンスターはワレの管理下にあった筈だが、空魔魄霊獣の復活が近いからか、近頃は暴走気味になっている。だが安心してほしい、地形を操ることでヌシやその仲間を手助けをすることは容易だ」
モンスターの暴走はこれまでも何度か目にしている。空魔魄霊獣の復活にはまだ少し時間がかかると予想されるが、野に放たれているモンスターの脅威は高まっているのだ。
「遅くなったが、突然の呼び出しになったことは詫びよう。しかし、先も言ったがヌシにはこの世界について知ってもらわねばならぬ」
「セルファースさんとアンナさんが無事なら大丈夫です。聞かせてください」
「では少し話しを戻し、反魂残存について二つの問いだ。契約の内容は知っているか?反魂残存とは永遠にこの世に残り続けるのか、それとも任意で終わることができる存在なのか?」
問われ、回答を探すも思考の行き詰まりを自覚した。クヨーラやアニカから契約内容や、その後のことについては聞かされていないのだから当然である。
シルフィアの様子を見たベルフは呆れた様に身動ぎするが、それだけでは溜飲が下がり切らなかった。
「フライカイツめ、本当に何も言っていないのだな……」
「ごめんなさい。わたしも詳しく聞こうとしませんでした」
アニカが反魂残存になる時、クヨーラと約束を交わした事は知っている。それとなく内容を聞いたこともあるが、はぐらかされてしまったので「言いたくない事ならば無理に聞くのはやめよう」と判断したのだ。
「ならば、心して聞くが良い」
謝るシルフィアを見下ろして言い放ち、一度言葉を切る。心の準備をするには短いが、ないよりはあった方が良い間を置いてからベルフは話しを続ける。
「反魂残存とは死後も現世に留まる代わりに、その魂を世界に捧げる契約を交わした存在だ。世界から魔気が減衰した際、魂は消費され魔気が補充される。もしくは契約を交わした空魔精霊獣が後任へ継承を遂げた場合も魔気に変換される」
シルフィアの思考は再度行き詰る。しかし今度は分からない事が原因ではない。ベルフの言葉は理解できた。理解できたが為に、一つの答えに辿り着いた。だが、シルフィアは自身が辿り着いた答えを意識的に避けようとしていた。
「反魂残存になってしまえば普通の死には戻れぬし、自ら終わることもできない。生物が魔気となった場合、生命の円環から外れるが、それは終焉ではない。我ら空魔精霊獣と同じく永遠に世界を見守る存在となるのだ」
続けられる言葉も耳には入ってきていたが、シルフィアの脳は現在通行止めだ。
ベルフの言っていることは真実で間違いない。だからこそ、疑いようがないのだ。空魔精霊獣の力を継承した時点でアニカは既に魔気に変わっており、もう姿を見ることも、言葉を交わすこともできない存在となってしまった事は。
「ワレは空魔魄霊獣が過ぎ去った後、この村の者達を魔気に変換し世界を存続させる。土の魔気だけでは現在の土地の再現は難しいが、時間が経つにつれてまた生物が息づく場所となろう」
「どうして……」
大事なことを教えてくれないまま空魔精霊獣の力を継承させたのか。憤りを覚えるが、クヨーラのやり切れない表情を思い出して悲しみに変わる。クヨーラは反魂残存のことやアニカとの約束のことを伝えたかったのだが、恐らくそれをシルフィアに伝えないことも約束の内に含まれていたのだろう。
やり場のない感情が溢れそうになるのを、唇を噛み締めることでどうにか堪える。
「先ほども言ったが、現状では空魔魄霊獣を倒せる可能性は低い。遠からずヌシには世界を生かす為の選択を迫られる時が来よう」
「……わたしは、今生きている人を未来の為の犠牲にする気はありません」
思考も精神もまとまっていないが、シルフィアの口から出た言葉は本心で間違いなかった。フデンテイク村の様に、空魔精霊獣を信仰して未来の為に命を捧げることが正しいと認めたくなかった。
「無論、どう選択をするかはヌシの自由だ。ただ、ワレはこの村の選択が、一つの答えであることを伝えたかった」
「もし空魔魄霊獣が倒され、魔気の消費が少なかった場合、この村の人たちはどうなりますか?」
「このままだ。魔気になることもなく、人に戻ることもなく、この地で生活し続ける」
返答を得てから、シルフィアは振り返ってフデンテイク村に視線を投げた。
村の中を通り過ぎた時と同じく、人々は変わらず平穏に生活している。反魂残存になったことを後悔することなく、今という時間を過ごし、いずれ来る魔気への変換の時を待つ。
シルフィアにはどうしてもフデンテイク村の人々の心境を理解できなかったが、彼らの決断を否定することもできなかった。
「最後に一つだけ伝えよう。空魔魄霊獣は世界にとって脅威ではあるが、悪ではない」
「それは、どういう……!?」
意味深なことを告げられ、ベルフの方に振り返った途端に視界が歪む。
「よく覚えておくと良い。空魔魄霊獣を倒す気ならば尚更な。長く引き止めてすまなかった。後はヌシら、この世で生きる者達で選択すると良い」
薄れゆく意識の中でベルフの声だけは確かに聞こえてきたが、身体は硬直していて返事をすることは叶わなかった。
ベルフの声が聞こえなくなると、いよいよ意識は暗闇の中に落ちた。




