第109話
【ジチティグ鉱山】
レイセヘル王国南部に連なる山脈は国境に沿って東西に伸びており、有事の際には自然の要塞にも成り変わるが、南国との国交は百年単位で良好であるため、軍事的な整備は全くと言って良いほどされていない。
遠目から見る山脈は自然に富んで雄大にも見えるが、近付くと不自然に整理された姿であることが確認できる。
シルフィア達が人為的に開けられた横穴や、整地された山道を確認できる距離まで山に近付いたのは、グロート町を出立した翌日の昼であった。
マルリースが手配してくれたパーツに乗り、ピロフ荒野に建てられた道標の宿場で一泊してからの到着であるので、移動の疲れは軽減されている。天気はやや雲が多いが、強い日差しを遮ってくれるならば外での作業も幾分か楽になる。
鉱山と呼ばれているが、現在シルフィア達がいる西側は大部分が採掘されており半ば閉山されている。完全に閉山されていないのは、モンスターの出現率が高かったり、地形的に危うかったりして採掘が進められていない場所があるからだ。そういった危険性の高い場所は一般の鉱夫ではなく、採掘を依頼された冒険者や素材を必要とする錬金術師の手によって採掘されている。
広大な山を前にしてセルファースやアンナはどこから足を進めて良いかまごついていたが、シルフィアは整地された山道を見つけては悠々と登って行く。
「あ、シルフィアさん!ちょっと、待ってください!」
護衛が遅れる訳にはいかないと、セルファースが早足でシルフィアを追い、更にその後ろをアンナが追った。
「シルフィアさんは随分と慣れていますね」
「あ、ごめんなさい。住んでいた所が山の麓だったから、採取でよく登っていたんです。ゆっくり歩いて行きましょうね」
気を使わせまいと、申し出を断ろうとするアンナであったが、先にセルファースが口を開いた。
「すみません。助かります」
「……頼りないことを言うのですね」
「はは……すみません」
慣れない山道を我慢して歩いて、戦闘に支障をきたしては本末転倒なのでシルフィアの言葉に甘えた訳なのだが、アンナの細めた目に臆して理由を告げることは出来なかった。
「二人は鉱山に来たことはありますか?」
「自分は護衛で何度か来たことはありますが、普段は平地ばかり歩いているので慣れませんね」
「私も安全の調査の為に何度か訪れた程度です。何か気になることでも?」
「大したことではないんですけど、どんなモンスターが出てくるのかなって思いました」
シルフィアの問いに答えたのはアンナだ。彼女の記憶によれば鉱山には三種類のモンスターが生息している。
ギップスと呼ばれる大小の岩が十字にくっついたモンスターは土属性の魔術を行使してくる。浮いて移動しているが速度は遅く、魔術の効果範囲から逃げるのは難しくない。
ザンドストームと呼ばれる人間サイズの砂の竜巻は金色の目を持っており、倒すと砂金が手に入るのだが、有効打を与えられる攻撃が判明していない。幸いな事にザンドストーム側も攻撃手段に乏しく、大怪我に至ることはまず無い。
ミネラリサーチと呼ばれる石化した骸骨の戦士は好戦的で武器を持っていることが大半である。洞窟の奥に潜んでいることが多く、知らずに入った冒険者や鉱夫が犠牲になった事例も少なくない。
「へ~。霊山では見たことないモンスターばかりです」
未知のモンスターが潜んでいるというのに、シルフィアは恐れるどころか、モンスターから採れる素材はどんな効果があるのだろうか、と好奇心を昂らせていた。
「今回は鉱山物資の採取が主と聞いていますので、積極的な交戦は避けたいと思います」
「はい。わたしも周囲には気をつけます」
護衛を頼んでいる身であることは理解している為、自分の好奇心で危険を招くことはしないつもりである。シルフィアの言葉にアンナは一先ず安堵し、先に進んだ。
鉱山の中腹ぐらいまで登ると、シルフィアは坑口を見かける度に入り口付近の壁に手を当てて魔力を這わせた。素材になりそうな鉱石がないか魔力の流れで感じ取り、鉱石があれば坑道を進んで採取した。
「素晴らしいですね。ここまで正確に魔力の流れを判別できるなんて……隊長が尊敬するわけです」
魔術で掘り当てた鉱石を回収しながらアンナが感嘆の声を漏らした。
「魔力があってもこれくらいしか取り柄はないんですけどね。マリーはわたしの事を買い被っていますよ」
「他の誰かにできないことができるのであれば、誇って良いかと思います」
袋詰めにした鉱石はシルフィアが身に着けているポーチに収納される。
「それにしてもそのポーチ、便利過ぎるくらい不思議な物ですね。何でも入るんですか?」
セルファースが疑問に思うのも無理は無い。ポーチは小物程度しか入りそうにない見た目なのに、先程から数倍の量の鉱石を収納していっているのだから。
「数日分の食べ物や服くらいなら入りますよ。容量を精錬しているだけなので、割れ物とか液体をそのまま入れると大変なことになりますけどね」
「は~、そういったものが普及したら採取とか冒険も捗りますね」
「そうですね。わたしの以外だったらステインと……あとはテレシアには作ってあげたバッグくらいかな」
精錬の依頼が来ないのは単純に周囲が思いつかないだけである。容量を拡大したポーチはシルフィアにとって当たり前に存在している利便性であるが、周囲にとっては目に見えた容量の入れ物が当たり前なのである。
雑談を交えながら順調に採取を進めていき、銅を含んだコーペレン鉱や火の魔力と火薬の特性を持ったフラム石を中心とした鉱石が集まった。
モンスターとの遭遇は無かったわけではないが、見つかる前にセルファースやアンナが気配を感じ取って迂回することで交戦を避けた。シルフィアも、坑口から魔力を探知した際に素材と違った流れを感じた時は、坑道に入ることを止めることで危険を避けた。
「大分高いところまで来ましたね」
自然に戻った山道を登る途中、シルフィアは足を止めて眼下に広がる平原を見渡した。
「そうですね。時間にはまだ余裕はありますが、採取も予定より順調に進みましたので早めに引き上げてもよろしいかと」
石炭のような燃料もいくらか採取できた為、目標は達成されたと言って良いだろう。元々頂上を目指していたわけではなく、グロート町でテレシアを待たせている事もあり、早く戻れるに越した事はない。もっと高い場所や坑道深くを探せばまた違った素材があるかもしれないが、無理をする必要は一切ない状況である。シルフィアはアンナの言う通り引き上げる事にした。
護衛を二人も連れてきた割には拍子抜けするぐらい何事もなく採取が終わったと見えるが、これこそ護衛が優秀であった証拠である。モンスターを見かけることは数度あったが、危険に至る前に危険を回避してきたのだから。
尤も、三人の中で無事を退屈だと思う者はおらず、まだ下山が残っていたが、それぞれ心の内で安堵の溜め息を小さく漏らした。そこで何かが崩れた音がした。
大小の岩が崩れ、転げ落ちる音。落石ではない、後方から、足元から。
「シルフィアさん!」
振り返ったアンナが反射的に手を伸ばす。何が起きたか分からなかったシルフィアも、伸ばされた手を見て、自分の足が宙に浮いた感触を理解した。手を伸ばし返すが、判断が遅かった。二人の手は擦れ違うだけで、掴んだのは虚空のみであった。
「くっ!」
アンナはシルフィアを追って崖を飛び下りようとしたが、崩れた崖から岩石が十字に繋がったモンスター、ギップスが二体現れて土の魔術で岩の槍を伸ばしてきた為、咄嗟に体を逸らして地面に倒れる形で避けた。
飛び下りられれば、シルフィアの手を掴めさえすれば、着地は魔術でどうにもできた。アンナが手を差し伸べずとも、シルフィアの魔力量ならば着地どころか体を浮かせて落下を防げたが、突然の出来事でそこまで対応できる者がどれくらいいるのだろうか。事実、シルフィアは悲鳴を上げることすら出来ずに落ちて行ったのだ。
「邪魔を……!」
行く手を遮るギップスを火の魔術で焼き払おうとしたが、魔力が集中するより先に線が二本走り、ギップスは力無い岩石になって地面に落ちた。
「アンナさん、無事ですか!?」
刃と柄が分かれた特徴的な片手剣を手にしたセルファースからは普段の冴えない雰囲気は微塵も感じらなかった。アンナを気遣う言葉を掛けながらも崖から顔を出して下方の状況を確認していた。やや疎らに伸びた木々が見えるだけで、シルフィアの姿は見えない。
「魔術には明るくないのですが、アンナさん魔術で下におりれますか?」
髪の奥に潜んでいる瞳に射抜かれた錯覚を覚えたアンナは一瞬息を飲んだが、直ぐに頷きを返した。
「行けます。セルファースさんも一緒に……」
「いえ、自分は少しここに残ります。上からなだれ込まれては少し面倒ですからね」
アンナの横を通り過ぎたセルファースは頂上の方を見上げる。そこには、崖崩れの音を聞いて滑り、転がり落ちて来る石化した骸骨の戦士、ミネラリサーチが集まって来ていた。奴らの様子は自身の体が傷付くことを恐れておらず、対象に向かって直進して来ていた。セルファースがアンナと共に崖から飛び下りたとしても、躊躇なく追って来るだろう。
アンナとてセルファースの実力は耳にしていたが、足場の悪いところでモンスターに囲まれては普段の実力を発揮するのは難しい。本人も、山道は慣れていないと言っていたのだ。セルファースを説得しようと思う反面、今自分がするべきことも明確に理解していた。
「あなたもシルフィアさんの護衛が任務だということをお忘れなく」
「ええ。シルフィアさんを見つけたらそのまま下山してください。モンスターを撒いたら自分も来た道を辿って下りて行きます」
「承知しました」
アンナはセルファースの背中とミネラリサーチを交互に見た後、魔力を集中させながら崖から飛び下りた。
【グロート町】
ジチティグ鉱山に緊張が走った頃、町の中でも変化が訪れた。
港にほど近く、湖を眺めることのできる場所に建てられた、白い石造りの宿。その一室でメイド服の少女に看病されながら静かに眠り続けていた男は、目蓋が自分の体の一部であることを確かめる様にゆっくりと上げた。
予定より遅く、二日半ぶりに見た紫黒色の瞳に、メイド服の少女は歓喜の声を上げ男の体を締め上げた。男の瞳が光を映したのは僅かな時間だけで、再び闇の中に戻された。




