第108話
カーム薬:暗い黄色の炭酸飲料。王国内でも流通している魔力を回復させる効果の薬。精錬することで魔力や精神の安定作用も追加され、術式の効率が上昇する。
「悪いけど、あたしは付いて行けない」
宿屋で眠るステインを見守りながら、テレシアはシルフィアからの誘いを断った。半ば予想出来ていた返答だったが、シルフィアは残念そうに眉根を下げる。
「魔力の回復の具合からして、今日ぐらいに目覚めるんだろ?何日も開けるのは流石に心配だからさ」
「うん。魔力は順調に戻っているから、今日中には目覚めると思うよ。ごめんね、我が儘言って……」
「いや、依頼を受けるのはあたしも賛成したことだし、この町のためにもなることだから気にすることないって。ご主人様も、自分が寝てる間にシルフィアが依頼を受けてるって聞いたら、きっと感謝するよ」
ステインが目覚めてから鉱山に向かえば良い、とも考えたシルフィアであったが、その選択は反ってテレシアやステインに気を使わせてしまう結果になる。
「これ、ステインが起きた時辛そうだったら飲ませてあげて」
暗い黄色の液体が入った小瓶を差し出すと、テレシアは何の薬か心当たりがないのか、小首を傾げながら受け取った。
「カーム薬っていう魔力を回復させて安定させる効果のある薬だよ。発砲水を使ってるから、あんまり振らないでね」
「ありがと。様子見て飲ませるよ」
「それじゃあ、わたし行ってくるね」
「ああ、いってらっしゃい」
宿屋を出たシルフィアは真っ直ぐ庁舎に向かった。道すがら港の方を見たが、まだ船の往来は無く、停められたままの船は乗組員と共に暇を持て余していた。 昨日、魔術師団が湖の安全を調査した筈だが、湖底遺跡について調査が必要なこともあり、そう簡単に航路が再開する訳ではないようだ。
アレッタとイナは今頃水中に潜る為の道具の錬成に励んでいるのだろうか。水中で呼吸するくらいならば魔術でどうにかなるが、地上と同様に身動き出来るようにするとなると浮力や水圧に対して一々調整が必要となってくるので少々難しくなってくる。等々考えていると、あっという間に庁舎に着いてしまう。
深まっていた思考を切り替えて扉を開けると、強い日差しに当てられて火照った体を冷やす風が心地よく流れて来た。
「あ~!女神様~!」
シルフィアを出迎えてくれたのは冷風だけでは無かった。間延びした声と共にカルラが駆け寄って来る。大きな声で女神様などと言うものだから、庁舎の職員や依頼を確認しに来たギルドの人々や冒険者の視線が集められるのは当然だった。
「カルラさん、こんにちは!」
周囲の視線を気にせず、というよりは純粋に気付いていないシルフィアは手を振って明るく挨拶を交わす。
「今日はどうされたんですか~?お姉様は……いらっしゃらないようですね」
振られていた手に両手を伸ばして飛び付く様に握ると、テレシアの姿が見えないことに対し疑問を持った。
「今日はわたし一人です。カルラさんに聞きたいことがあるのですが、今大丈夫ですか?」
「女神様からご指名を頂けるとは、カルラは感激です~。して、どういったお話しでしょ~?」
握った手を離すことなく目を輝かせるカルラを、テレシアならば力尽くで引き剥がすところだが、シルフィアは引き離すどころか手を握り返した。
「これから鉱山に採取に行くので、護衛の人を探しています。どうやって探したら良いですか?」
「カルラの方で依頼を預かることもできますが~、これから向かわれるんですよね?それなら自警ギルドに直接行くか……あ!」
護衛を頼めそうな者がいないか庁舎内を見渡したカルラは、依頼斡旋所で受け付けと話していた一人の若者を目を付けた。
「少々お待ちくださ~い」
ゆったりした口調に反して素早く足を動かし、目当ての人物の元に向かう。会話の間に入り込んだカルラは受け付けの女性と若者といくつか言葉を交わすと、若者の手を取ってシルフィアの元に戻って来る。
「お待たせしました~。お勧めの人を連れて来ました」
「あ、あの、カルラさん?自分はモンスター退治の依頼がないか見に来たのですが……」
状況の説明が不十分だったのだろう。若者は水色の前髪で目が隠れているが、困惑した様子でカルラに手を引かれている。
「何を言っているんですか~?女神様の護衛という名誉ある仕事ですよ~。モンスター退治なら~自警ギルドに直接依頼しているので、大した物は残ってないで~す」
「カルラさん、無理に頼むのは悪いですよ」
「大丈夫ですよ~。セルファース君は非番の時もモンスター退治の依頼を漁りに来るぐらいですから~」
申し訳なさそうにしていたシルフィアだったが、若者の名前を聞いて目を大きく開いた。昨日アレッタに紹介されたギルド一の実力者が目の前の若者だったのだ。
身長が高い訳でもなければ筋肉隆々という訳でもない。どちらかというと細身で、前髪で目が隠れていることもあり、冴えない印象を抱かれそうな風貌である。
「あなたがセルファースさん?」
「あ、はい。そうですけど……あなたは確か、王子様と一緒にいた……」
「あれ~?二人とも知り合いですか~?」
「自警ギルドで一番強くて、王国の騎士団でも隊長になれるくらいだって聞きました。直接お会いするのは……ごめんなさい、初めてですよね?」
「そう、ですね。自分の方が一方的に見かけて知っているだけです」
「そうなんですね~。それにしてもセルファース君、すっかり有名人ですね~」
「い、いや……そんな大した人間じゃありませんよ」
照れながら否定的な言葉を発しているが、口端はやや上がり気味になっているところを見るに満更でもない様子である。
「ご存じであったならば話しは早いです~。女神様、セルファース君が護衛で良いならこのまま手続きしますよ~」
「えっと……」
話しを進めようとするカルラであったが、セルファースの都合も確認せずに返事をすることはできない。シルフィアは同意を求める様に視線を送る。
「まぁ……依頼を探していたところですし、指名されたのならば引き受けたいと思います。詳細について教えてください」
「ありがとうございます!」
少々強引な出会いであったが結果的に話しを聞いてくれることとなり、シルフィアは感謝の言葉を告げる。その後、ジチティグ鉱山へ採取に行くこと、護衛の報酬、雇用期間など話し合い、カルラが依頼書をまとめてくれた。
「確かに引き受けました。それでは早速向かいましょう、と言いたいところですが、少し準備に時間をもらえますか?」
「はい。もちろん良いですよ。ここでお待ちしてます」
「すいません。なるべく早く支度して来ます」
お辞儀をしてから駆け足で庁舎を出て行くセルファースを見送ると、入れ違いで聞き覚えのある声が届いた。
「シルフィアではありませんか」
「マリー!」
庁舎の上階から部下の魔術師一人を連れて階段を下りて来たマルリースは、出会いを喜んで薄っすらと笑みを浮かべており、すれ違ったギルドの者達は見てはいけないものを見たように目を見開いて固まっていた。
「お一人ですか?」
「うん。テレシアはステインのこと看てるよ」
「そうですか。ステイン王子はまだ目を覚ましませんか」
「魔力は回復してきてるから、今日中には目を覚ますと思うよ」
ステインの姿が見えない事から表情を硬くさせていたが、経過が順調であることを聞いた途端に表情を綻ばせる。
「それは何よりです。後で様子を伺いに行ってもよろしいですか?」
「大歓迎だよ!って言っても、わたしはこれから採取に行くんだけど」
「採取?どちらまで?」
「ジチティグ鉱山。火薬とか金属の採取に行くの」
マルリースは改めてシルフィアの周囲を見渡し、護衛の者がいないことを確認する。
「よろしければ私が護衛に付きましょうか?」
「隊長はこれから錬金術工房で会談があるでしょう」
後方から届いた部下の呆れ声に止められ、マルリースは心底不満そうにして振り返った。
「話しをするならば貴方一人で十分でしょう」
「あちらさんが代表を出すのに、こっちがひらじゃあ話しにならんでしょ。湖底遺跡なんて代物が関わってくるなら尚更ですよ」
部下の言い分は正しい。マルリースは言い返せない代わりに不満を隠そうともしなかった。
「湖底遺跡、やっぱり魔術師団の方でも調査するの?」
シルフィアに声を掛けられ、マルリースの不満は払拭される。元通りの表情に戻ってシルフィアに向き直った。
「調査について錬金術師側と話し合いに行くところです。しかし、シルフィアも湖底遺跡の存在を既に知っていたのですね」
「昨日、錬金術工房に用事があって行ったら話しを聞いたんだ」
「そうですか。今のところ湖自体に影響は出ていませんが、今後何が起こるか分かりません。なので、湖底遺跡の調査が終了するまで、航路の開放は様子見になっています。王都へ向かいたいところでしょうが、もう少し時間をください」
「ううん。気にしないで。マリーも大変だと思うけど、頑張ってね!」
「はい。ありがとうございます」
励ましの言葉に対し礼を言ったところで、マルリースは話しが逸れていたことに気付く。
「私のことより、シルフィアの護衛の件です。鉱山は平原や水辺とは違ったモンスターが現れますから、どんな危険があるか分かりません」
「それなら、セルファースさんが付いて来てくれることになりました」
「へぇ!それなら安心……あっ」
セルファースの名前を聞いて部下が気の良い声を発したが、マルリースが横目で睨んで来たので慌てて両手で口を塞いだ。
「セルファース・コルト……ですか。剣の心得はあるようですが、鉱山のモンスターに物理的な斬撃はあまり有効的ではない場合があります。少し待っていてください」
マルリースは魔術で庁舎三階にある事務所と通信を繋げた。傍から見れば、見えない誰かと話している変わり者に見える。
「私よ。ジチティグ鉱山まで採取の護衛に行ける者は速やかに一階に降りて来なさい。え?私の訳がないでしょう。シルフィアの護衛よ。……そう、分かったわ」
通信が終わって少し経つと、魔術師団の制服を着た女性が急ぎ足で階段を下りて来た。赤茶色のセミロングの髪は内側に巻かれており、素朴だが真面目そうな印象を受ける顔立ちをしていた。落ち着いた雰囲気があり、歳もシルフィアよりいくつか上に見えた。
「お待たせしました。アンナ・ブラッケと申します。シルフィアさんの護衛をさせて頂くことになりました。どうぞよろしくお願いします」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
礼儀正しく腰を折られたので、シルフィアは少し慌てながらも同じように腰を折った。霊山では生まれ育った地ということもあり、一人で採取して回っていた。なので、護衛を付けて採取に行くことに妙な緊張感が生まれていた。
「私が付いて行けない以上、不安は無くし切れませんが、並のモンスターに後れを取るような教育はしていません」
「ありがとう、マリー。この依頼の報酬はどうすればいいかな?」
「私の方で調整しておきますからシルフィアは気にしないでください。それと、カルラ」
「は、はい~!?なんでしょ~?」
受け付けを挟んで成り行きを見守っていた所を名指しされ、思わず背筋を伸ばして返事をする。
「私の名前でパーツを三頭手配して頂戴」
「は~い。かしこまりました~」
「出過ぎた真似かもしれませんが、鉱山までは距離がありますので良かったらお使いください。それでは、私は行きますので、くれぐれもお気をつけて」
護衛だけでなく移動用の足まで手配してくれたマルリースの背に向かってもう一度お礼を告げると、入れ違いで荷物をまとめてきたセルファースが戻って来た。
パーツ:長い四肢と発達した蹄、長い毛の尾を持った動物。四肢の付け根にも尾と同じような毛が生えていて、比較的長距離走ることができるが簡単に言えば馬。栗毛、白毛、青毛の三種類が存在しており、短距離であるが高速移動できるスネルパーツという品種も存在している。




