第11話
「ほほぉ、元気の良いお嬢さんだこと」
樹木の壁に開いた猫型の穴を眺めながら感嘆の声を上げているのはアニカであり、シルフィアもまた同様の思いでクヨーラの飛んで行った先へ視線を投げていた。
「あのエロ猫、今度会ったらただじゃおかねぇ」
まるで獲物に逃げられた物言いだが、蹴り飛ばしたのは他ならぬテレシアである。
「シルフィアも気を付けろよ。あの手癖は慣れた奴の物だ」
胸を両手で抱えながら注意を促すが、シルフィアは落ち着いた様子で一考してから答えた。
「んー、何年か一緒にいるけど、変な事された覚えはないかなぁ。子猫みたいにじゃれてくることはたまにあるけど」
「え!?じゃあなんであたしはいきなりっ!」
疑問を口にしたテレシアだったが、その答えは一瞬にして分かった。シルフィアの奥でこちらのやり取りを静観していたアニカの両目が、見る物全てを眩耀させんと輝いていたからだ。ちなみに、その輝きはステインの背中の一点へ集束されており、人知れず張り付くような汗を滲み出させていた。
「はは……なるほどね。心強い守護霊が憑いてるのか」
テレシアの苦笑の意味が分からず、シルフィアはただ小首を傾げるばかりであった。
「ところでさ、ばあさんはなんで灰色になってるんだ?」
「そりゃぁ、わし幽霊だからの」
「そうかそうか、姿も微妙にぼやけてると思ってたけど、幽霊だったのかー……えっ!?」
話題逸らしも兼ねて、初見の時から思っていたことを尋ねると、とんでもない答えが返ってきた。何食わぬ顔で告げられた言葉だったため、危うく何の疑いもなく受け入れてしまいそうになったが、ぎりぎりのところで常軌を逸脱していることに気付いた。
「知っていて守護霊と言ったのかと思ったけど……。テレシア、反魂残存って知ってる?」
視線の呪縛から解放されたステインは眼を丸くしている従者の隣りに立って問うと、無言で首を横に振られた。
「はぁ……。反魂残存っていうのは、空魔精霊獣と契約して死後も霊体となってこの世に留まっている人のこと。僕も実際に見たのは初めてだけど、空魔精霊獣が住む土地ではそう珍しい存在でもないよ」
「へー、でもばあさん、なんでまたあんな猫と契約までしてこの世に留まってるんだ?やっぱシルフィアのことが心配なのか?」
「テレシア!」
自分達と同じ空間に存在しており、視覚で認識できるので意識が薄れているのかもしれないが、アニカが尊ばれるべき死者である事に変わりはない。にも関わらずテレシアの質問があまりにも無礼な物だった為、ステインも思わず声を荒げてしまうが、アニカは気にした様子は無く、逆に落ち着いた笑みを浮かべながら空を仰いだ。
「勿論シルフィアのことも心配だけれど……約束、だからね」
「約束?」
反復しながら問い直そうとした従者をステインは手で制した。部外者がこれ以上踏み込んで良い話しではないからだ。
会話を邪魔されて不満を抱いたテレシアはいつもの調子で文句を言ってやろうと思ったが、こちらを見る主人の表情は痛ましい程に真剣だった。
ステインは知っているのだ。勿論アニカの言う約束の事ではない。反魂残存となった者の末路をだ。
空魔精霊獣と契約することで死後も霊体となってこの世に残ることが可能とは言ったが、これは表向きの答えに過ぎない。反魂残存を正確に言い表すなら“魂を空魔精霊獣に捧げた存在”である。魔気を生み出す存在に魂を捧げるとはどういうことか、そもそも魔気はどのように生み出されるのか、魂を捧げた後の肉体はどうなるのか、そういった詳細は国の秘匿事項になっており、今ここでテレシアに教えることは出来ない。
無言の圧力に押されたテレシアは食い下がることができず、黙したまま一歩後退った。
「あのよぉ、せっかく空魔精錬術師になったんだし、もっと目の前の明るい話しをしたらどうだ?重いのは年寄りの腰だけで十分だ」
随分久しぶりに感じる、低く渋い声が沈みかけた空気を緩やかにもたげた。
「あ!スケベ猫!覚悟しろ!」
クヨーラの姿を見た途端テレシアはいつもの調子に戻り、エプロンドレスからレードルを取り出して振り回す。
「うわっ!いきなり何しやがる!?」
「うっせぇ!なに平然と戻って来てやがる!」
綺麗に咲いていた花を好き勝手に散らしながら追いかけっこが始まると、二人の後を追うようにエトとアニカの笑い声が響く。
「ステインさんは色々と詳しいんですね」
いきなり騒がしくなった空間でも相変わらず穏やかな口調で話しかけるシルフィアのお陰で、ステインの心も平静を取り戻せた。
「君は僕の師匠だ。敬語は無用だよ」
「あ、じゃあ普通に話させてもらうね」
両手を合わせて妙に嬉しそうに笑うものだから、ステインの表情も自然と綻む。
「うん。で、詳しいって?」
「空魔精霊獣や反魂残存のこと……ううん、きっともっと根本的な魔気や魔力について」
「本で読んだだけだよ。自分ではまだ何も調べていない」
「わたしもばあちゃんから教えてもらった知識だけ。だから……」
「シルフィア!そっち行ったぞー!!」
「シルフィアー!助けてくれー!!」
何かを言い掛けたシルフィアの元へ張り上げられた二つの声と共にクヨーラが飛び込んで来る。
「おっ、ととと……。はは!二人共もう仲良しだね」
「「仲良しなもんか!!」」
必死の形相も純粋な笑顔の前には何の効果もないようで、シルフィアはクヨーラを抱き上げると何事もなかったかのようにテレシアへ差し出した。
「はい、じゃあ今度はクヨーラが追いかける番」
「えっえっ、えっ!?」
「サンキュー、シルフィア。ふふ~ん、観念しろよ変態猫」
クヨーラを脇に抱えたテレシアは満悦で邪悪な笑みを浮かべながら立ち去って行く。
「もっと皆が幸せに暮らせるような世界にするために、二人で頑張っていこうね、ステイン!」
言葉だけならば力強く頷き返す内容だったのだが、辺りに咲いた花々より優美で、吹き抜けから差し込む日光より明朗な笑顔を向けられ、ステインは時を止められた感覚に陥り、ただただシルフィアを見つめることしか出来なかった。




