第97話
鬱屈さを感じるほどに沈んだ空気の事務所であったが、二人の少女が現れた途端に朝の澄んだ空気で一杯になる。
「急に押し掛けてごめんなさい。今日もお仕事で忙しいの?」
「いえ、特別忙しいわけではありません。それに、丁度休憩にしようと思っていたところです」
「仕事熱心なこった。そんなマリーに、ほい、お土産」
正方形に似た形の白い紙袋が差し出され、マルリースは中身を気にしながらも受け取る。
「別に怪しいもんじゃねぇって。シルフィアと一緒に選んで来たケーキだよ」
商品名を聞いた途端、マルリースは目を丸くして微かに頬を緩ませた。表情の変化としては決して大きくはなかったが、間違いなく喜んでいることはテレシアには分かっていた。
ケーキの入った紙袋をお茶を用意してきた部下に預け、切り分けるように伝えてからマルリースは二人に座るよう促した。
「今日はどうかしましたか?」
内心で甘味を楽しみにしながら、外見は平静を装って用件を尋ねる。
「お礼を言いに来たの。昨日は慌ただしくて、きちんと言えてなかったから」
「お礼?」
「うん。マリーが魔気のことを気付いてくれたお陰でモンスターを倒す事ができたから、ありがとう!」
屈託なく笑って見せるシルフィアから他意は感じられず、純粋な感謝の気持ちを告げられていることは理解できていたが、マルリースはあの程度のことで感謝されるとは思っておらず、無意識に自嘲的な笑みを漏らした。
「大した役には立てていません。むしろ私の方からお礼を言わせてください。シルフィア、あなたがいなければクライペン・スラングの討伐は果たせませんでした。そして、王子を連れ帰ってくれたこと、深く感謝します」
お礼を言いにきたつもりが深々と礼を返されてしまい、シルフィアはテレシアに視線を向けて助けを求めた。
「ま、挨拶はそんくらいで良いんじゃないの。互いに助け合って目的を果たして湖も元通り平和になったんだし」
「いえ、まだ元通りとは言えません。湖は現在安全の確認中ですので、以前と同じように船が出せるまでは数日かかります」
頭を上げたマルリースがテレシアの言葉を訂正する。ステインが目覚めない今、湖を渡ることが急ぎではない為、テレシアは「ふぅん」と軽い頷きを返すだけで不満を口にすることはなかった。
「ここに顔を出しているということは問題ないと察しますが、シルフィアは体の方は大丈夫なのですか?」
「うん。私は一晩ぐっすり眠ったから元気だよ」
両手をぐっと握り締めて自らの調子を主張するシルフィアに、マルリースは微かに表情を緩ませた。
「なによりです。それで、ステイン王子の調子はいかがですか?」
「まだ目は覚めないけど、少しずつ魔力も回復しているから明日か明後日には目を覚ますと思うよ」
「そうですか。よかった……」
目を伏せてそう呟いたマリーの表情は、言葉通り安堵に満ちていた。真に彼の身を案じていなければ出ない表情に、シルフィアとテレシアは何故だか嬉しくなり、目を合わせて笑った。
「隊長、お待たせしました」
程よいタイミングで、切り分けたケーキを持った部下が部屋に入り、三人の前に皿を置いた。
「ご苦労様……どうして私のだけ大きいのかしら?」
半眼で部下を横目に見ながら聞くと、部下はさも当然の様に答える。
「え?だって隊長はいっぱい食べるでしょう?」
「バカ。お客と話しているのだから均等に切り分けるべきでしょう」
「わかりました。直ぐに切り直して来ます」
「ははっ!あたしら、お客なんて他人行儀な関係じゃないし、そのままでいいって」
テレシアの笑い声に動きを止めてケーキとマルリースを交互に見る部下に、一つ小さな溜め息が漏れる。
「はぁ……。もういいわ、あなたは下がっていなさい」
「はい。失礼します」
部下が一礼してから退室した後、テレシアは笑いを堪えながらマルリースへ話しかける。
「ぷっふふ……。隊長のことをよく理解している部下なんだな」
「やめて。あなた達が相手だからまだ良いけれど、私が恥をかくだけでしょう」
「慕われてるんだね。……あ!」
何かを思い付いたシルフィアに視線が集まり、言葉を待つ時間が生まれるが、それは非常に短いものだった。
「マリーの話を聞きたいな」
「私の?何の話でしょう?」
面白いと思わせる話を自分が持ち得ていただろうか、と思考を巡らせる。だが、シルフィアの望んだ話は非常に単純でいて、マルリースには凡そ面白味の分からない話であった。
「魔術師団の隊長になってからこれまでの話が聞きたい」
先日のクライペン・スラング討伐の折りに、部下がマルリースへ懇願していた様子を思い出していた。自分とさほど歳の違わぬ彼女が、あれほど部下に必要とされている事に興味と尊敬の念を抱いていたのだ。
「構いませんが、退屈だと思いますよ」
事前に断りを入れるが、シルフィアは目を輝かせて話を待つ。まるで吟遊詩人が歌う英雄の詩を心待ちにしている小さな子供のような目に、マルリースは観念して記憶を辿っていく。
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私が王国魔術師団第四部隊隊長に任命されたのは今から約一年と一月前。自分でも意外でした。早さではなく、任命された部隊が第四だったことがです。
魔術師団は一から四までありますが、特に番号によって優越がある訳ではなく、一から三までは所属している魔術師の特性によって振り分けがされています。第一は攻撃魔術、第二は防御・補助魔術、第三は回復魔術。残る第四はどれにも特化していない、平均者の集まりです。王や大臣は「遊撃部隊」などと呼ばれていますが、魔術師達……主に第四部隊に所属している者の間では「余りもの部隊」や「平々凡々の集まり」などど卑下していました。
私自身、攻撃魔術に特化してこれまで勉強してきましたので、第一部隊から外れるとは思っていませんでしたが、任命された以上は従う他ありません。尤も、どの部隊でも魔術の勉強はできますから、移動は別に気にする事ではありません。
隊長となって初めて見た第四部隊の魔術師達の印象は、そうですね……教師の目がなくなった学生がそのまま大人になった、とでも言い表しましょうか。部隊全体が仲良しなのは良いことなのでしょうが、非常に自由な空間でした。魔術師としての訓練は義務付けられた最低限度のみで、他は任務が無ければ自由時間。義務付けられた訓練でさえ、いかに不真面目がバレないように立ち振る舞うかを競う有り様でした。
もちろん、不真面目な人間だけではありません。向上心だけは高かったり、頑なに他人と同じ道を歩こうとしなかったり、長い物に巻かれるだけだったり、実戦になると途端に身の丈以上の魔術を使おうとしたり、性格は様々ですがきちんと訓練を受ける人間も多くいました。
前任の隊長は副隊長に降格となる形でしたが、随分疲れた様子で私にお礼を言った後、長期休暇を取って半月ほどどこかに旅立って行きました。
部隊が変わったことで魔術師としての役割も変化しました。第一部隊ではモンスターの討伐が主な任務でしたが、第四部隊は王都内外の巡回と他部隊の支援が主な任務で、私としては正直物足りなさを感じました。ですので、都合が良ければ他の部隊の仕事も片付けてしまう事にしました。
平原の巡回中にモンスターの集団が近くに潜んでいたらその場で殲滅し、森や川の奥に未開の地を見つければ調査に向かい、街中の設備が不調になれば復旧させていました。最初は私の独断でしたが、代わり映えのしない毎日に飽きていた団員達も各々の得意分野で行動するようになりました。
他の部隊の仕事に手を付けて注意されたり不満を抱かれたりしなかったのか、ですか?そういったことは、少なくとも組織単位では一切ありませんでした。逆に王から功績を認められ、第四部隊の株が上がりました。どうやら王は第四部隊には役割の枠に囚われぬ、個々の判断で行動する力を求めていたようです。
今一やる気の上がらなかった部隊員ですが、王から認められた事が大きく影響したのでしょう。魔術の訓練も妙にやる気を出し始め、私に模擬戦を挑んでくる者も少なくありませんでした。私としても、新しい魔術を試し打ちする相手が欲しかったので喜ばしいことだったのですが、一度模擬戦をした相手は二度と挑んで来なくなりました。残念です。
第四部隊がようやく機能し始めた頃ですが、良い事ばかりではありませんでした。これまで自分達を卑下し、抑圧していたからでしょう、周りに認められたことで不要に気を大きくしてしまう者も数人現れました。
魔術師団の間で自慢して回る程度なら魔術で小突くくらいで済ませていましたが、酒場で市民と揉めて最悪なことに魔術で怪我を負わせてしまったのです。魔術で脅そうとしたところ、相手が予想以上に驚いて足を捻ってしまったそうなのですが、魔術が起因したことに変わりません。殴った蹴ったの話しであれば呆れるだけでしたが、魔術が関係してはそうも行きません。
魔術師団を退団し、被害者の従者になるつもりだったのですが、先方から丁重に断られてしまい、寧ろ魔術師団の活躍を期待されてしまいました。被害者に許されたからといって不要な魔術が人を傷付けた事実は消えません。王に責任の所在を求めたところ、このグロート町の統治を任せられました。
ちなみに、問題を起こした魔術師というのが昨日船の上で私に向かって喚いていた者です。
一から三までの魔術師団から数名ずつ選出された魔術師からグロート町を引き継いだのは良いのですが、初日から揉め事を起こす始末でした。挨拶に回った部下が船乗りギルドと気が合わなかったという、本当にどうしようもない話しだったので部下を魔術で吹き飛ばして謝罪することでどうにか許しを得られました。
元々、昔から町を支えてきた船乗りギルドは王都から派遣されてくる魔術師団の事を快く思っていませんでしたが、同じ人間なのですから共に歩く手段が無い訳ではありません。話しを聞き、可能な限り相手のやり方に沿って協力することでどうにか魔術師団という組織を認めてもらうに至りました。部下達は私の行動に理解できず、苛立つ者や卒倒する者もいました……テレシア、何ですか、その奇天烈を見る様な表情は。
私は魔術が認められるならば手段は選びませんし、自尊心も捨てます。ただ自分の信じた道を進むだけです。
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「私が隊長になってからの話は大体この程度です」
話し終えたマルリースはお茶と一口サイズに切ったケーキを口に運んだ。思い返して改めて、面白味のない話だったと思う。
「大変だったんだね」
「いえ、そこまででは……!?」
目を閉じで口の中に広がる甘味を楽しんでいたら、突然体が引き寄せられ、驚いて目を開く。すると、いつの間にか隣りに座っていたシルフィアに抱き寄せられているではないか。
「あ、あの、シルフィア?これは?」
「ふふっ、ぎゅーってしたくなっちゃった」
「その……困ります」
シルフィアの胸元に頭を預けるような姿勢で、慈しむような笑みを向けられたマルリースであったが、素直に体重を預けるには気恥ずかしさがあった。
「嫌?」
「嫌ではないですが……」
「じゃあいいじゃん、シルフィア、あたしにも貸して」
シルフィアとは反対の方からテレシアの声がすると、両手を差し出して既に受け入れの体勢を整えていた。
「う~ん、もう少しこうしていたいけど……はい、どうぞ」
「私は物ではありません」
「いいから、いいから。こんな風に労われることなんて今までなかったんだろ。あたしのことをご主人様だと思って存分に甘えるが良い!」
座ったまま横向きで抱かれるマルリースの脳裏に、ステインに抱き締められながら自分の功労を褒められる光景が過ぎった。一瞬の気の迷いが見せた幻想であったが、マルリースの理性は瞬く間に沸騰し赤面した。
「ああ……平和って良いな」
「そっすね」
部屋の隅で存在を忘れられながらも依頼書の整理をしていた二人の魔術師は、仲良くふれあう少女達を見て、太陽と共に心が高く昇って行く錯覚を覚えた。




