本章 不良鴉の役割
ひっちゃかめっちゃかな世界
銀神月美
本章 不良鴉の役割
廃墟群を散策するのは楽しいのですが、同時に危険が伴ってきます。例えば野生化した犬が襲ってきたり突然塀が崩れてきたりと、生死に直結することばかりです。危ないことはしたくありませんが、それでも毎日にちょっとした変化が欲しくて出掛けてしまいます。
今もお昼ごはんを携えて、にゃんこと一緒に街へ下りてきたところです。いつものように旧我が家の変貌を確認してから適当な場所でごはんにする予定です。
「ただいま」
旧我が家は昨日よりもまた少し人の住処から遠ざかっています。蔦などに覆われても尚外形は保っているようですが、いつ崩壊してしまうのでしょうか。すぐ近くで暮らしておりますが、思わず懐かしい、そして哀しい感情を抱いていまします。
「にゃう~?」
さて、郷愁の念に浸るのはこのくらいにして、お昼ごはんにしましょう。いくら物悲しい気持ちになっても、お腹がいっぱいになる訳ではありません。それに、にゃんこも催促していることですし。
今日は駅のプラットホームでお昼ごはんです。この前見付けたブルーシートを敷いてお弁当を広げます。
「いただきます」
挨拶をして今現在も生きていることに感謝します。我ながらにこうして生きていることが不思議です。
にゃんことほのぼの食事しながら、緑に覆われた線路を眺めます。すっかり雑草が生い茂り、レールは錆び付いて、もう電車が走ることは叶いません。以前は多くの人が利用していただけに、今のこの光景には複雑な思いを抱いてしまいます。
ところで、本日ここまで来たのには実のところ理由があります。それは『調味料を補充してあわよくば食糧を手に入れること』です。野菜そのものの味を楽しむ、と言うとそれらしく聞こえますが、実際問題少しくらいの塩味がないと味気なくて悲しくなってきます。取り敢えず、塩は必須です。適当に保存していても大丈夫です。それから砂糖も。あとは醤油とか味噌とかも欲しいです――家にあったのはカビが生えました。
「ごちそうさまでした」
昼食も食べ終えたことですし、早速行動開始です。まずは商店街に繰り出しましょう。
拳を高々と突き上げて、これから探索する自分に活を入れ、にゃんこと一緒に向かいます。
よくよく考えてみますと、この非常事態に他人の物だとかと言って、使えそうなものを拝借しなかったのが間違いなのです。旧我が家と祖父母の家にあった物だけで遣り繰りするなんて、根本的に無理があります。これから生きていく為には誰の物と関係なく――そもそも既に持ち主はいませんし――利用していかなくては死んでしまいます。そう、死活問題です。
「……え?」
出鼻を挫かれたとはまさにことのこと。商店街に来て早々に、本来のそこにあるまじき光景を目の当たりにしてしまったのでした。
骨、骨、骨……商店街は墓場と化していました。路上や店の中に動物の骨が転がっています。おそらく食糧を求めて動物が荒らし回ったのでしょう。そして起こる獲物を巡る争い。その結果がこれです。
私はすぐに引き返しました。あんな所に立ち入る勇気を今は持ち合わせていませんし、何だか誰かに見られている気がしましたし……。
気を取り直してスーパーです。懲りもせずにと自分でも思ってしまいますが、一縷の望みを抱いて行くしかありません。にゃんこは心配そうですが、それでも私は行かねばならないのですっ。
でも、その意気込みは簡単に折られました。
††††
「最近ずっとそれ読んでいない?」
ここから面白くなるところで、不意に話し掛けられた。声の方を向くと友人がそこにいた。
「ずっとじゃないよ」
熱心な読書家ではない私が休み時間の度に本を開いているのだから、そんな質問をするのは当然だ。
「ちょっと見せてよ」
良い回答は期待しないが、取り敢えず見せる。友人は適当にぱらぱらと捲り、
「うーん、よく分からないや」
予測通りの返答をしてくる。そもそも友人は本とかをあまり読まない。極端に言うと、活字を見ると拒絶反応を示す。だから、殆どの本が「よく分からない」の対象に含まれることになる。
この本に関して言えば、私にとっては充分過ぎるほどに面白いと思う。笑いを誘う方向ではなくて、何かを示唆しているように感じられる。どの辺りが示唆的なのかと訊かれると答えに苦しむのだけれど、これを読んでいると色々なことを考えてしまう。
評論家でもないし実際に書いている人でもないから、詳しいことは知らないけれど、兎に角この本は私にとって大切な一冊ということになる。
「そうだ」
友人が何か思い付いた様子で、
「これ、面白いよ」
態々バッグの中を探って私に見せてきた。それは何処かで聞いたことのある知らない本だった。
「知らないの? これ有名なんだよ」
そう言って解説してくる。しかし、それを聞いても本当に面白いのか怪しくなって、そして試しに中を見て確信めいたものになった。決して私の好みの問題ではなくて、何というかそれが本当に小説を生業としている人が書いたものなのか疑わしい。何か新しいことをしているでもなく、美しいモザイク画のようになっている訳でもなく、ただ自分で分かれば良い程度に妄想を書き留めたような体裁だった。そんなものが有名だなんて――悪い方向ならまだしも良い方向で――私には到底信じられないことだった。
そして更なる疑惑が。活字嫌いな友人が本を読んでいるということだ。活字が駄目な友人をここまでにするなんて、一体その本に何があるのか。でも、その問題は友人の話を聞いている内に解決した。
『デマゴーグ』というサイトがある。そこは国内外を問わず、政治経済から芸能までの出来事を広く扱っているニュースサイトだ。サイト名に問題があると思わざるを得ないが、インターネットに触れる機会がある人の間では有名で、高確率で情報源になっている。
当然ながら友人もそのサイトをよく見ているようで、何かしら仕入れては私に話してくる。つまりは今回の件もそのサイトが原因で、活字嫌いすらもその有名な本へと引き寄せられてしまったらしい。
「もう、本当に何も知らないんだから。そういえば」
よく私に使われる台詞。でも、私は特段に何の感情も抱くことなく、次の話を聞いていた。
私はなるべく避けるようにしている。勿論、活字嫌いの友人をそこまでさせるくらいだから、完全に避けることなんて出来ない。それでも、最後の抵抗くらいに避けている。あそこには近付かない方がいい。
授業中の先生の雑談、休み時間の生徒達の会話、電車内での世間話。尽きることなく交わされ続ける言ノ葉は口伝えで人々に広まって、それこそ謎の水生生物のようになってそこら中を泳ぎ回っている。
棲家はあそこだと考えながら私は電車を降りた。
私は考え過ぎているのかもしれない。偶にそんなことを思うのだけれど、結局そんな簡単な話でないと首を横に振ってなかったことにする。そもそも、何でそんなことを考えないといけないのか。
いつもの通学路を歩いて家に着いた。
「かー」
玄関の扉を開けようとした時、いきなり話し掛けられた。と言っても、声の主は明らかに人間でない。
「くわぁ」
声のした方を見るとそこには鴉がいた。おそらくいつもうちのにゃんこといる奴だ。
またにゃんこと話しているのかと思ったが、そいつは私の方を向いて鳴いている。よく見るとにゃんこの姿もない。一体こいつは何用なのか。
「何、用でもあるの?」
案外私も物好きだなと思いつつも、ずっと鳴いているのはうるさいので、話し掛けてみた。
「かー。かぁ、くわ、あー」
当たり前だが言っていることが全く分からない。それは鴉も分かっていると思うのだが、必死に私に何か言ってくる。物好きな私は律儀に考えるけれど、最終的には馬鹿にされているとさえ思えた。
取り敢えず、いつまでもこうしていては解決しないので、私は適当に意志が伝わったことを述べた。すると鴉は納得したような顔をして飛び去った。
あの鴉は何だったのか、食事中も分からず仕舞いで――そもそも真剣に考えることが無意味なことだ――何だかんだで予習も碌に手が付けられない。
「にゃーん」
にゃんこが入室する。
「ねぇ、お前とよく一緒にいる鴉は何を言いたかったのかな。何か聞いていない?」
「にゃう?」
にゃんこは何も知らない様子。
†**†
数日して、鴉の言っていることが分かった気がする。
休み時間、いつものように本を読んでいると、友人がいつものように寄って来て、
「それ、面白いよね」
そう一言言った。最初何のことを言っているのか分からなかったが、冷静に考えると今私が読んでいる本のことなのは明らかだった。
返答をしないでいると友人が、
「それ、今話題なんだよ。私もすぐに買っちゃった」
そう言って同じ表紙の本を取り出す。
唖然としたのは言うまでもない。先日なんて「よく分からない」と唸っていたのに……。
その後は何処が面白いのか話していた。流石に適当に相槌を打つことしか出来なかった。
ここまで来ると病気か何かかと思ってしまうけれど、実際のところ自分の方がおかしいのかもしれない。それはみんなが同じ方を向いている時に自分だけが違う方を向いている感覚に近い。事実、私はみんなが信用しているものを敢えて信用していない。敢えてなんて言ったけれど、言葉に出来ないのだから尚のこと。
友人の一言から私はずっと得体の知れない恐怖を抱いていた。いや、以前から感じていたことなのかもしれない。だから、私は避けていた。それが今では言葉に出来ないとはいえ強いものになった。
勝手な解釈だけれど、これがあの鴉が伝えようとしていたことだろう。それを事前に察知して……。都合の良い解釈だが、自分の中では納得の行くものだった。
帰宅すると、にゃんこと鴉がいた。
「くわぁー」
ほら俺の言った通りだったろう、と聞こえる。やはりこの鴉は知っていた。それで私にそのことを。
「かぁー」
今度はきっと「安心するのはまだ早い」と言っている。確認しても何も言わないのだからそうだろう。
暫くこの鴉との会話を続けた。傍から見ればおかしな人に違いなかっただろうけど、それでも私は必要なことだと思い、真剣に聞いていた。
玄関先でそんなことをやっていたものだから、到頭母に怒られた挙句、悩み事があるのではと心配された。
それにしても不思議なのは、どうしてあの鴉が知っていたのかということ。直接本人に訊いた方が早いとはいえ、いくらなんでも相手は鴉。鴉の話を理解したつもりでいるけど、結局のところ解釈に過ぎない。
「何か知らない?」
「にゃうー」
にゃんこは知らない様子で、撫でろと要求してくる。
明日、鴉に確認する必要があるようで。
****
調味料の補給はうまくいきませんでした。商店街があのような状態だったのですから、スーパーは尚の事で、もう酷い有様で変な植物が生えているわ腐敗した肉の臭いがするわ……。取り敢えず、欲張らずに塩を掻っ攫って行くのがやっとだったのでした。
とはいえ、これで引き下がる私ではありません。どんな状態であろうとも、一応衣食住が確保されているのですから、贅沢な暮らしをしたいものです。
にゃんこに心配されながら「いざ行かん」と意気込んだところで、何処からともなく不良鴉が。
「くわぁー」
私を制止するかのように私の前に降り立って、身振りを交えて盛んに何か訴えます。それでも私は「止めてくれるな、行かねばならん」と格好良く言って先に進もうとするのですが、その度に鴉は私の前に立ち塞がって、さも危険があるかのように鳴くのです。この先に一体何があるというのでしょうか。
「にゃう?」
流石のにゃんこも心配になって尋ねます。すると、
「……かー」
そう少し躊躇いがちに答えました。
驚いたことは言うまでもありません。鴉の言葉が意味しているのはとんでもないことで、どうして今の今になって教えたのかと、問い詰めたくなります。
「にゃー」
にゃんこの言う通り、兎に角逃げるしかありません。こんな街の中心部にいては無事で済まされません。
私達は必死になって家を目指しました。骨の散乱している商店街など構わずに、旧我が家に挨拶することもなく、出来る限りの近道をして自宅に急ぎます。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
久し振りの全力疾走で息が上がっています。にゃんこは身軽で楽々走り、鴉は悠々と飛んでいます。
鴉に殺意が湧きましたが、今ここで半殺しにしている余裕はありません。それこそ無事に帰ってからでないと。後の楽しみで今の苦しみを紛らわせて走ります。
『クレオン』という存在がこの世界にはいます。それはこの世界がまだ文明的で文化的生活を享受していた頃からいて、人々はクレオンの言う言葉を信じ、その言葉が絶対的な真実だと思っていました。
そのクレオンですが、今の世界ではどういう訳か発せられる言葉が世界の真理になるらしく、魚が飛んでいたのもその所為で、雨が地面から降る(?)のも同じです。もしかしたら、みんなが消えたのもあるいは。
兎に角、すっかり世界の覇者以上になったのですが、その言葉の為に近付くことは出来ません。理由は簡単、何が起こるか分からないから。
世界の法則を変えることが出来るのですから、逃げても無駄なのかもしれませんが、それでも言葉の届く範囲から遠ざかろうとするのが人間というものです。
無事に帰宅した私達はお腹が膨れるほどに水を飲みました。スーパー近くからずっと全力でしたから、喉が渇いて仕方がありません。でも――
「お前は飛んでいただけだろうがっ」
「くゎー!!」
鴉を半殺しにしました。
以前でしたらよく分からない団体が来たものですが、今のこの状態を見たら何を言うでしょうか。「これが我々の求めていたことだ!」とでも言うでしょうか。
さて、鴉からの報告で、無事にクレオンと遭遇することなく回避することが出来ました。
街の中心を徘徊しているようなので、街に行く時は気を付けないといけませんが、ここにいる限りは安全。
一息吐いて、夕食でも作りましょう。一応調味料は確保出来ましたし。……ドジはしません。
鴉が活躍してくれました、いいことです。それにしても一体このお話は何処へ向かおうとしているのでしょうね、私にも分かりません。