楓の決意
懐かしい夢を見た。
幼馴染の少年が出てくる夢だ。
その少年は、優しくて格好良くて、私はいつもその少年の後を追いかけていた。
でも、その少年は心に傷を作りながら暮らしていた。愛情の薄い両親のもとに生まれ、学校でもそのことでいじめを受けていた。それでも少年は、平気な風を装って私の前では明るく振る舞っていた。私は、そんな彼の振る舞いの中に、時々つらさを必死に我慢するような一面を見出していた。それを見るたびに私の心は痛んだ。
彼は優しい。
だからいくら私がそのつらさを聞いてあげたいと思っても、彼は逆に私のことを心配して口を閉ざすのだ。表層の痛みは話しても、深層の痛みは一人で抱える……。
そんな彼が、私はいつも心配だった。
彼の優しさが嬉しくもあり、またその優しさが心配の種でもあったのだ。
私は、決めた。
せめて彼がつらさを見せた時くらいは、何でもいいから大好きな彼を助けてあげよう。
これ以上、彼が傷つかないように――
††††
目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入ってきた。
「……そうか、私保健室で横になってたんだっけ」
ここに行きつく前の記憶を掘り起し、楓は確認するように小さくつぶやく。目の前に見える天井は、学校の保健室のものだったのだ。場所を把握したその後は、視線を泳がせて時間を確認する。すると、ベッドのすぐ横に置いてある棚の上に、小さな時計を発見した。時刻は一時ちょっと手前。
「もうお昼か。確か三時間目あたりから横になってたから……、二時間くらい寝てたのね」
ゆっくりと体を起こして、ふうと小さく息を吐いた。寝起きと、未だに少しこびりついている疲労のせいで頭がぼうっとしている。
「道理で騒がしいわけ、か」
重い頭を振って、眠気を散らす。そのあとベッドから離れ、仕切っていたカーテンを開けた。
「……先生、いないわね」
カーテンを開けた先の、狭くもなく広くもない保健室には、身体測定の時に用いる機器たちのほかに、消毒液などが入った大きな棚や、ソファーやらテーブルやら色々書かれたホワイトボードなんかが目に付くが、肝心の保健の先生の姿が見えなかった。時間的に、昼食でも食べに離席しているのだろうか。
「……仕方ない、シーツ直して戻っちゃうか」
くるりとベッドに向き直ったときに髪に違和感を感じ、ふと、髪を結んでいないことに気が付いた。
……そういえば、横になるにあたって解いたんだった。
軽く辺りを見回すと、時計の置いてあった棚の上に、愛用のリボンの姿を発見した。横になってた時には、ちょうど時計の陰に隠れ見えなかったらしい。
「鏡は……ない、のね……」
保健室中を見回したが、それらしきものは見当たらなかったので、「……お手洗いで直してくるか」とため息半分。
さっさとシーツの体裁を戻し、楓は「失礼しました」と言った後、保健室を出た。
保健室は北の校舎の一階に位置する。楓のクラスは中央の校舎にあり、一度連絡通路を通らなければならない。
「ん、あれは……」
北と中央間の連絡通路を横切ろうとした時、中庭の大きな木の下で人影を見つけた。
人影は二つあった。一つは高校生とは思えない小柄なもので、もう一つは楓くらいの身長だと思われるものだ。どちらも、ここ古宮高校のブラウスを着ており、日本人とは思えない色の髪を持っていた。二人とも、学校内では有名な『留学生』で、楓自身も知っていた。片方とは、子供のころからの付き合いだ。……姿は二か月ほど前に大分様変わりしてしまったが。
「雷牙……と、確かソロナさん……だったわよね? 知り合いだったんだ」
足を止めて、遠巻きから二人の姿を眺める。一階の連絡通路は、そのまま中庭に出られるつくりになっている。声をかけに行くべきか、少し悩む。
「それにしても、珍しい組み合わせね。勠也とか愛梨たちはどうしたのかしら?」
てっきり雷牙は、そのどちらかと昼食をとっていると思っていたので、楓は小首をかしげた。
「……私も混ぜてもらおうかな」
見たところ、食べ始めてさほど経っていないように感じたのでそうつぶやくと、楓は二人から視線を外した。混ざるなら、自分も教室から弁当を持ってくる必要がある。教室に一旦戻るべく、楓は連絡通路を歩きぬけようとした。
「……!?」
不意に、表情をわずかに強張らせて立ち止まる。そして軽く辺りを警戒して、身構えた。
「これ……魔力の気配だわ」
微かだが確かに感じる違和感に、楓は一層表情を固くした。
前衛で戦わず、魔法を駆使して戦う後衛である楓は、前で戦っている雷牙や勠也たちが戦闘訓練している間、代わりに魔力に対して敏感に反応できるように訓練をしている。昨日『扉』を使うに当たって高度な結界を拝むことになったが、その時もわずかだが違和感を感じるほどには敏感だった。詳しい場所までは特定できなかったが、全く気が付かなかった雷牙よりは鋭かったといえよう。勠也は感じていたのか不明。以前に見たことがあったらしいので、わずかな魔力に気が付いていなかったとしても、場所は分かっていたわけだから、確認しようがない。
「一体、どこから……」
最小限の動きであたりを確認する。初めのうちは、わずかすぎて見当もつかなかった。だが、魔力の気配は徐々に強くなり始め、ついに方向の見当がついた。
その方向は、まさに雷牙とソロナが食事をしている中庭の方向だった。
「らい――」
急ぎ雷牙に声をかけようとしたところで、楓は言葉を切った。
「これは……結界!?」
ごくわずかに、目の前の空間に揺らぎが見えたのだ。見たところ、この結界はまだ完成していないようだ。完成してしまうと、結界は周りの景色に同化し、おそらく二人の姿は消え、外からは普通に中庭だけが見える状態になるだろう。そして中に入るには、結界を壊さないといけなくなる。威力の高い光魔法を操る楓なら、その結界を壊すことも可能だろうが、ここは人目につく可能性がある。うかつに魔法は使えない。
つまりは、この結界が完成してしまう前に中に入らないといけないということだ。
そうなると、他の生徒会役員を呼びに行く時間はないだろう。誰かこの魔力に気付いた人は必ずいるのだろうが、まだこの場に来ていない。待っている時間はなさそうだ。
このまま結界の中に入るしかない。
何の準備もない、疲労がたまった状態で。たった一人で。
だが、楓はすぐさま決断した。
中に雷牙がいる。
危機が迫っているであろう彼を助けてあげたい。
それだけで、楓には十分な動機になる。
たとえどんなに危険なことであったとしても、その決心は揺らがない。
「雷牙ぁ!!」
楓は一気に未完成の結界の中に飛び込んだ。あたりの景色が途端に色褪せる。騒がしく聞こえていた生徒たちの声が、一瞬で遠のいた。
代わりに、
一発の銃声があたりに響いた。
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