日常乖離のきっかけ 4
「……」
オレはゆっくりとまぶたを開けた。あたりは暗闇に包まれていてあまり視界は良くなかったが、窓から差し込む薄い光が、多少オレに周りの景色を見させてくれた。……まったく見覚えのない景色だったが。
「……ここは?」
オレは体を起こしてもっとあたりを確認しようとしたが、予想外に体が重く全く動かない。
「……いつっ」
不意に頭のあたりにピキッと痛みが走った。そのせいか、寝起きでおぼろげな意識が少し覚醒した。先ほどよりも情報が頭に入ってくる。暗闇だからよくわからないが、おそらく白一色であろう壁。飾り気
のない空間。かすかににおう消毒の香り――。
「……病院、か」
オレは力んでいた体の力を抜き、ベッドに体を預けた。よく見ると外は夜なのか、淡い月の光が病室に差し込んでいる。おぼろげに見える天井を仰ぎ見ながら、オレは気を失う前の記憶をたどる。
「……頭を打たれたせいかよく覚えてないな」
オレが思い出せたのは、不良たちに一斉にフクロにされたところまでだった。それ以上先――誰が駆けつけて、誰が病院に連れてきたのかは分からない。
「……ん?」
そういえばと、オレはふと気になることを思い出した。
「……なんか、楓の声がしたような…?」
かすみがかってはっきりとしない記憶の中、気のせいかもしれないが、オレは楓の声を聴いたような気がした。
……もしかして、あの場に楓がいたのか?
「……」
オレは小さくため息をついた。もし、いたのだとしたら、また心配をかけてしまったことになる。謝る理由が増えるわけだ。
「……ん?」
と、オレは何か物音がするのに気が付いた。空気の流れる音というか、むしろこれは呼吸の音――
「……まさか」
つぶやき、かろうじて動く頭を動かして、自分の寝ているベッドのわきを見る。そこには……。
「……まったく、お前は」
オレは再びため息をついた。目線の先には、幼少のころからずっと見てきたよく知った女の子、楓がいた。ベッドのわきにある小さな丸い椅子に座り、ベッドに伏せるようにしている。……おそらくずっとそこにいたのであろう、眠っている彼女は制服姿であった。
「……ごめんな、楓」
ぼそっと、オレはつぶやく。
「お前はいつもオレを心配してくれてるけど、……オレにはそんな価値なんて――」
「……ん、…らい、が?」
と、楓は身じろぎしたと思ったら、うっすらと目を開けた。オレは聞かれたかと思い一瞬びくっとしたが、表には出さないように努力した。
「……よ、よう」
「……っ、目が覚めたのね! 大丈夫、雷牙?」
しばらくは眠たげに眼をこすっていた楓だったが、オレの顔を見るや急に顔色を変えた。最初はうれしそうに、そしてすぐに心配そうな顔になる。
「……別に、なんともない、……でもないか。体がさっぱり動かない。あと、なんか体がすごくだるいわ」
どうせ楓は大丈夫と言っても嘘だと気づくだろう。そう思い、オレは正直に言うことにした。変にはぐらかすと、逆効果なのは長い付き合いで分かっている。……分かってた、はずなんだがな。
「それはそうでしょう、いきなりあんなに魔力を解放するから……」
「……は? なんていった?」
「えっ、ああ、いえこっちの話!」
少しぼうっとしていたのと、楓自身の声が小さかったのもあって、オレは楓の言葉がよく聞き取れなかった。なんか、魔法とか聞こえたような気がしたが。聞き返すと、楓は慌てて首を振った。……?
「……お医者さんの話では、二週間は絶対安静だって」
「……だろうなぁ」
オレは自分の体の感覚を調べるように目をつぶった。全身に力が入らない。それに加え、気にすると急に全身が鈍く痛み出した。動けないから見ることはできないが、さぞ色々な個所が青くなっていることだろう。
オレは目を開け、うつむき何も言わずオレのベッドを見つめている楓の横顔を盗み見た。そこには、何かを期待するような高揚感と、何かにおびえるような不安感の入り混じった、読みにくい表情が張り付いていた。オレはその横顔を不審げに眺めたが、すぐに目をそらし暗い天井を眺め始めた。
そのまま何も会話がない時間が過ぎて行った。……だが、
「……あ」
「え?」
「……いや」
最初に沈黙を破ったのはオレだった。でも、ためらってしまい一度口をつぐんだ。このままうやむやにしようかとも思ったが、どうしても楓に聞いておきたいことがあった。
オレは一度楓の顔を見た。楓はオレの言葉を待っているようだ。ばっちり目があった。オレはふいとそっぽを向いて、
「……何も、聞かないのかよ」
「え? 聞くって?」
聞き返してきた楓に、オレは苛立たしげにため息をついた。もし体が動いて入れば、頭をかきむしっていたことだろう。
「だから……。…オレが何をやってたのか、聞かないのかよ」
「……」
……すぐに返事は返ってこなかった。だが、それがオレには少しありがたかった。言った後に後悔したが、実際に聞かれたらどう言うつもりだ。
といっても別に悩むほどでもないかもしれない。……だってオレはただケンカを――
「……人助け、してたんだよね」
……楓のその言葉に、思わずオレは小さく息をのんだ。そしてよくわからない素振りを出来るだけ作りつつ――出来たかどうかは保証できないが――オレは反応した。
「お前、何言って……」
だが、楓のほうは確固たる情報源を持っていたようだ。
「その場に偶然鉢合わせた友人から聞いたの。昨日不良に絡まれてた人が、雷牙に助けられてたって」
「……」
オレは黙る。野次馬がいたことは知っていたが、まさかその中に楓の友人がいたとは……。
「……だから、さ。雷牙は別に悪いことをしようとしてケンカしたわけじゃ、ないんだよね?」
優しい声で楓が言う。オレは少し間をおいて、
「……結局ケンカしたのには変わりないだろ」
少々ひねくれた返事を返す。なぜ素直に認められないのか。……そりゃ、オレにも分からない。
すると楓はうつむいて、
「……うん、そうだよね。ケンカはよくないよね」
ちいさく、悲しむ声がもれる。だが、次の瞬間にはその声は一変した。
「……でもさ。それでも人助けよ。確かにケンカはよくないけどさ、そうでもしないと助けられなかったんでしょ?」
「……。なんでオレが助けようとしたって思うんだよ。ただ単にケンカがしたかっただけで、そこにたまたまあいつがいただけかもしれないだろ」
優しく問いかける楓に、オレはあくまでぶっきらぼうに答えた。
すると、ゆるぎない確信を持った様子で楓は言った。
「そんなの決まってるじゃない。……雷牙は優しいからだよ」
「はぁ?」
オレは思わず楓を振り返る。
「な、何言ってんだよお前。オレが優しいとか、何を根拠にそんな…」
「だって、雷牙はその人のこと放っておけなかったんでしょ? わざわざけがまで負って、その人を何の見返りも求めずに帰したんでしょ? ……雷牙は昔からそうだった。いっつも誰かをかばってけがをするよね」
「……あのね、雷牙」と楓はオレから目を離して虚空を見上げた。
「実は私、その話を聞いてすごくうれしかったの。やっぱり雷牙は雷牙なんだ、ってね。変わったと思ったけど、全然変わってない。それがうれしくて……」
とそこで小さな嗚咽が楓の口から洩れた。オレは慌てる。
「お、おい……」
「……ごめん」
楓はそういって流れていた涙をぬぐった。そして明るい声とともに立ち上がった。
「……さて、もう遅くなるから私帰るね。大けが負ってるんだから、雷牙も無理して起きてちゃだめよ?」
そういって足元にあったバッグを持ち上げ、おやすみと言って踵を返す。
「……楓」
オレが呼び止めると、楓はスライドドアに手をかけたまま振り返った。
「なに?」
「あー、……えっと」
オレはすぐに言葉が出ずに、目を泳がせた。そして一度小さく深呼吸して、
「……その、悪かったな。昨日怒鳴ったりして」
すると楓は最初驚いた顔をして、
「……早く傷を治して学校に行ってくれたら、許してあげる」
次の瞬間には満面の笑みを浮かべた。その頬が少し赤くなっていたように見えたのは、オレの気のせいか。
「はぁ? お、おいちょっと待て。それとこれとは話が――」
「じゃあね、雷牙。おやすみなさい」
「あ、おい!」
そう言い残して、楓は病室を去った。一人オレが取り残される。
「……はぁ」
オレはため息をつきつつ、力なく頭をまくらにうずめた。
そしてぽつりと、
「……学校、か」
††††
病院に搬送された翌日の朝、医者には二週間ほど様子を見ましょうと言われた。楓から聞いていたので、改めて聞いた形だった。
だが、入院して四日。いつものように診に来た医者に、あと数日で退院出来るでしょうと言われた。おいなんだそれは、とオレは思ったが、それは医者のほうも同じだったらしい。予想外にオレの回復が早かったとのこと。
奇妙なことはもう二つある。
一つは、楓が見舞いにくるとオレはとたんに寝てしまうといこと。
というのも、楓は律儀に夕方には必ず見舞いに来ているのだが、どうも楓がくると眠くなるのだ。さっきまで寝ていて、眠気がないときにも関わらず、だ。
楓は決まって窓際に一回立つ。窓の外を覗き込むようにするのだが、いつも何をやっているのか見当もつかない。なにかをつぶやいているようにも見えるのだが、定かではない。
そういえば窓際に立たれた後に、決まって眠くなっていたような気がする。……よく思い返してみると、その行動は決まって晴れて日差しのある日にとっていたような。天気が悪いときは蛍光灯をなにやら複雑そうな目で見ていなかったか……?
まあ、よくわからないけどとりあえずばっちり寝顔を見られているのは、恥ずかしい限りだ。
もう一方のほうは奇妙というか、むしろ驚いたという方が正しい。
……オレの病室を、あの俳優男が訪ねてきたのだ。
楓さんオンステージ……
1/25 指摘があり最後の方の文章を編集しました。