謎の風魔法使い 4
「イエロスピアっ!」
謎のガラスの破砕音のようなものがしたすぐ後、今度は男の声が聞こえた。カチっと水が固まる音が聞こえ、次の瞬間には、それが弾けるような音がした。すると近くの木の一本が、ぐらっと傾いた。そしてがさがさがさ! とけたたましい音を響かせながら、ゆっくりとその木は倒れてしまった。
突然のことに、オレはしばし呆然とする。集中が解けて、シュインと両手の双剣が小さな音を立てて霧散した。
「な……にが、起こってるんだ?」
オレの口から思わずそんな言葉が漏れる。その時、バンバンと複数の銃撃音が響いた。その音にさっと現実に戻されたオレだったが、一向に弾が飛んでこないところを見るに、その音はオレの方に向けたものではないようだ。どうやら風魔法を使う相手は、突然乱入してきた男に集中しているのだろう。ほんの少し気の余裕ができたところで、オレはふと疑問を覚えた。
イエロスピアは……。
突然乱入してきた男の声のやつが使った魔法――イエロスピア。オレはそれを見たことがあった。
大きさはある程度自由に変えられるらしいが、氷柱を作り出し相手にぶつける……氷属性の初歩の魔法だ。氷属性を得意としている勠也が、試しに見せてくれた魔法であった。
「……まさか、勠也が?」
その時、がさがさと木々の上から大きな音がした。その音は、だんだんと遠ざかっていく。まるで、なにかが逃げるみたいに……。
「よう、大丈夫だったか雷牙?」
音のした方を凝視していたら、不意に聞いたことのある皮肉気な声と、日が少なく薄いが、大きな影がオレに落とされた。オレはそのまま視線を真上に向ける。
見えたのは、小さく口元に笑みを浮かべ、大剣を肩に担いだ勠也の姿だった。
「り、勠也。……やっぱりさっきの魔法はお前だったのか」
「イエロスピアか」
「そうそう」
「……残念ながら、外されちまったがな」
そう言いつつ、勠也は何か――おそらくあの古宮高校の女子用制服を着た少女であろうが――が離れていった方向を眺めて、小さく嘆息した。
「なんだったんだろう、今のやつ……?」
オレも同じく少女の逃げた方向を眺め、つぶやく。
「さあな」
勠也はそっけなく答えた。おそらく彼もうまく状況が呑み込めていないのだろう。
「……ところで、どうして勠也はここに? お前も近く通って魔力波を感じたのか?」
明後日の方角から視線を外し、オレは勠也の顔を見上げた。勠也は横目でこちらを見下ろしながら言った。
「いや、俺のほうはレオンがその魔力波を感じたらしくてな。確認がてら寄ってみたら、結界が張ってあった。切り破ったら、あいつとお前が戦ってたってわけだ」
「そうか……」
言いつつオレはなんとなく視線を下の方に下げる。
「……お前は、結構手痛くやられたみたいだな」
小さな光を放ちながら勠也の大剣が消える。大剣を魔力の粒子に還元して、体内に取り込んだのだ。そのまま勠也は腰をかがめた。
「……そんなやられてないし」
「強がんなって」
「強がってなんか……むぐ」
不意に勠也がオレの口元を手の親指で拭う。赤くなって抗議の声を上げようとしたところで、オレはその勠也が拭った指先に血がついているのをとらえた。一体なんの血だと考え始めたところで、オレは口の中に血の味が広がっていることに初めて気が付いた。どうやらその一部が、よだれよろしく垂れていたらしい。
「あ……」
「さっきからお前の体が力が入ってなさそうだからな。おおかた木に叩きつけられでもしたんだろう?」
言いつつ勠也は、ズボンのポケットからシックなハンカチを取り出した。
「ま、拭いとけ。まだ残ってるから」
「あ、……ありがと」
オレは礼を言いつつ差し出されたハンカチに手を差し伸べる。ただ手を伸ばしているだけなのに、嫌に腕が震えた。
「あ――」
手をかけたハンカチがするりと落ちて、思わず声が出た。慌てて地面に落ちたハンカチを取ろうと手を伸ばし――
……伸ばせなかった。
「あ……、え」
腕の震えが激しく、震えが体全体にも伝播したからだ。
「ちょ、なんで……」
オレは驚きの表情を浮かべて震える自分の体を抱いた。傍から見たら、青い顔で小動物のように震えるその様子は、ひどく脆い印象を受けるであろう。
「なんなんだよ、一体……」
自分の体に何が起こっているのか分からない。何故だか、震えは止まらなかった。
「…………」
勠也はさてどうしたものか、といった様子で頭を掻いた。
「……恐怖、だな」
不意に、勠也がぽつんとつぶやいた。
「きょう……ふ?」
「ようやっと体が――意識が気づきだしたのさ。自分が殺されそうだった、ってことにな」
勠也はぽんと、呆けたように自分を見るオレの頭に手を置いた。
「昨夜の討伐のときも、もちろんそういうのがあったんだろうが、まだ『この世界』に慣れていないお前にとっては、どうしても『リアル感』が薄かったはずだ。それに対して今回のは相手が人間だったし、魔法用に改造されたモンなんだろうが、武器は銃だった。魔物なんてファンタジックな存在よりも、ずっとリアルに恐怖したはずさ」
ぐしぐしと勠也がオレの頭を撫でる。
「ま、安心しろ。とりあえず相手は逃げて行った。もう怖いもんはねえよ」
勠也の撫では、オレの震えが落ち着くまで続いた。
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