日常乖離のきっかけ 1
ちょっと主人公、不遇が続きます
「…あ~、ダリィ…」
夕方の土手を、一人の少年が両手をズボンのポケットに突っ込みながら歩く。
「今日も一日ロクなことがなかったな…」
五月某日、高校生活を送るようになってから一か月ほどたった平日。今日もまた学校をさぼって、一日無為に過ごした。あった出来事と言えば、つい先ほど同じような年頃の野郎とケンカしたくらいか。
「…ん?」
オレはふと正面を見て表情を曇らせた。目線の先には見知った高校の制服を着た男子生徒らがいた。楽しげに談笑している。
「……、もうそんな時間か」
ゲーセンで時間をつぶしていたら、どうやら下校時刻と重なったらしい。
オレは素知らぬ顔で男子生徒らの横を通り過ぎようとした。その際にちらと生徒らの顔を見て、オレは軽く舌打ちをした。
…よりにもよってクラスメイトかよ。
生徒らの顔をオレは知っていた。……もちろん、向こうも。
「…おい、さっきのって宝条、だよな」
「ああ、だよな…」
オレが離れた後、背後からそう声が聞こえた。オレはそのまま歩き続け、やつらが見えなくなったところで立ち止まった。おもむろに携帯を取り出し、時間を確認する。
「…はあ、ダリ…」
小さくため息をつき、オレは再び歩き出した。
††††
オレの名前は宝条雷牙。…アホみたいな名前だが、本名。自分で言うのもなんだが、世間一般に言うところの『不良』だ。ロクに学校にも行かず、ゲーセンで時間をつぶすようなことばかりしているやつを不良というなら、まさしくオレはそれに当てはまる。
両親はだいぶ前に離婚。母方に引き取られたが、当の本人は子供――オレがいることを否定し、新たな男を捕まえてどこかへ消えてしまった。父も母もどちらも遊び人で、親戚筋はオレの両親を毛嫌いしているらしく、半ば絶縁関係でみな近くにはいない。オレ自身もこのように不良少年なので、喜び勇んでオレを引き取ろうとする者はいなかった。
つまり、オレは一人浮いている、あるいは『存在しない人物』として血縁関係筋には認識されているようなのである。まあ、別にオレはそれでもかまわない。両親が残した小さな貸家|(どうなっているのかよくわからないが、オレが居座り続けてもなんの警告もない)で普通に生活しているし、なにより…、もう慣れた。
一人で生きていかれる。
戸籍とかはあるのだろうが、『存在しない人物』として扱われ、無駄に生きている。
将来なんてどうでもいい。
だから、将来の道を作る土台になるだろう学校ですらも意味を感じられない。
それがオレ、宝条雷牙だ。
まさしく『不良』人間といえるだろう。誰も近づきもしないろくでなしの人間。
だが、世の中『例外』というものもあるようだ。
「雷牙!」
住宅街を歩いていると、後ろからオレを呼ぶ声がした。
「あんた今日も学校さぼったでしょ!」
オレが振り返る前に、声の主はオレの肩をぐいとつかんだ。オレはため息をつきつつ、そいつを振り返った。
「悪いかよ」
「悪いに決まってるでしょ!」
振り返った先には、学校帰りだろう、制服姿にスクールバッグをもったオレと同じ年頃の女の子がいた。自慢の長いポニーテイルを不満げに揺らし、同じく不機嫌そうな表情でオレをにらんでいる。
コイツの名前は日向楓。子供のころからずっと隣に住んでいる、いわば幼馴染の女の子だ。昔から真面目な奴で、しかも長年一緒にいるせいか物怖じせず、ことあるごとにオレにこうして忠告をする。
「…放せよ」
オレは面倒臭そうに楓に言った。すると楓は力強く首を横に振った。長いポニーテイルが大きく揺れる。
「いいえ、放さないわよ。アンタがきちんと学校に行くって言ってくれるまではね! ……って」
きつい口調で責めたてていた楓が、オレの首筋を指さして言葉をのんだ。
「アンタここ、血が出ているじゃない」
「ん? ……あ」
示された個所に軽く触れると、ぬるっとした感触と軽い痛みが走った。おそらく先ほどケンカした際に作ったものだろう。
…心配そうにこちらを見上げる楓が目に留まり、オレは顔をそらした。
「…ほっとけ」
「放っておけるわけないでしょう! なに、またケンカでもしたの? …大丈夫?」
責めるような口調の中に、『心配』の感情が混じる。
「お前には、…関係ないだろ」
その感情がいやにうっとうしく感じて、オレは楓を突き放すように言い放った。しかし楓はオレから離れるどころか、さらに近づいてポケットからハンカチを取り出した。
「関係ないことないでしょう。何年一緒にいると思ってんのよ。ああもう、ちょっと動かないで。止血だけでも…」
「…ほっとけよ」
「だから動かないでって言ってるでしょ。放っておくとばい菌が――」
「ほっとけつってんだろ!!」
「!?」
楓はびくっと体を震わせうつむき、ゆっくりとオレから身を離した。
「…ちっ」
オレは何とも言えない心境を覚え、舌打ちを残してその場を去ろうと――
「…なんで、なの?」
ふと、足を止める。
「どうしてそんなに、変わっちゃったの…」
楓の小さな声が聞こえて、
「確かに、おじさんおばさんはひどい人だった。それが雷牙の負担になっているんだと思う。一人苦しんでいるのかなって、思う。…けど―」
そこで楓が顔を上げた。いつも強気な目が、オレをとらえる。
「あんたが変わる必要ないじゃない!!」
「…っ」
オレは言葉を失った。
だって…
「昔は、あんなに格好いい男の子だったのに」
楓の目に、涙が見えたから。
「…雷牙の、ばかっ」
涙をためた目でオレをにらみ、楓はオレの前から走り去った。
「……っ」
ダンッ
楓が見えなくなって、オレは思い切りすぐ横のブロック塀を殴りつけた。
「…最悪だ」
そのまま、ずるずるとブロック塀に身を預け、オレは地面に腰を下ろした。
「…いってえ」
殴りつけた拳がジンジンと痛む。見ると少し血がにじんでいた。ついでに思い出したかのように首筋の傷も痛みだし、もう一度オレはつぶやいた。
「……いってえ」
††††
翌朝、いつも起こしに来ていた楓は結局来なかった。オレはあまり寝付けず重い頭をかきながら、ゆっくりと体を起こした。
「…くそ」
鈍く走る頭痛に顔をしかめ、オレは洗面台に向かう。蛇口から出た冷たい水を乱暴に顔にかける。しかし、頭痛は治らなかった。
「…なんだよ、ちくしょう」
顔を洗って少しだけ目が覚めたせいか、昨日のことが鮮明に思い出されてしまった。
『…雷牙の、ばかっ』
目に涙を浮かべてにらむ楓の顔を。
「……」
オレは少しの間ぼうっと蛇口から出る水流を眺めていたが、小さくため息をつき蛇口を閉め、服を着がえに自室に戻った。
††††
ピンポーン
インターホンが鳴ったのは、オレが外出しようとしていた矢先だった。
「…!?」
訪問者の顔を見ずに玄関ドアを開けて、オレは驚いた。