記憶の居場所
記憶の居場所
「貴方が言うのなら、それは本当の事かもしれないわね」
母親が亡くなる少し前に、俺がちょっとした秘密を話したらそう返された。
別に信じてくれなくとも。と、その時はそう思った。だが、打ち明けられてよかったと思う。この話をした次の日に、母親は思ったとおり交通事故で亡くなった。
父親を知らないで育ってきた俺は、唯一の育て親を失い、母方の親戚の家に連行された。向こうの勝手な都合で、だ。未成年が一人で生活するのが余程気に食わなかったらしい。ただ、二十歳になれば何してもいいとだけは言われたが。
あまりに腹が立ったから、逃亡を試みる事にした。
逃げてすぐに見付かって何度も捕まったり、旨く行って半年もあちこちを放浪したり、最後には知り合いに見付かって連れ帰される。それを俺の気が済むまで何度も繰り返した。
そんな事をしている最中に、現在の荷物兼邪魔者のアレを俺は拾ってしまったのだった。
一応、引き取り手の方でも高校は通っていたが、中退。現在ニートというのが、現在の俺の肩書きだ。俺はそれが不満でならない。何故なら、就職する意思はなくても、やる事はわかっていたからだ。
何重にも鍵を掛けられた部屋の中、暇つぶしがてらに外で手に入れた部厚い本を読む。他にやる事が無いからだ。
パソコンは無い。携帯も無い。唯一あるのはベッドと机ぐらいで、ベッドには現在〝荷物〟が寝ている。俺が閉じ込められているのはそんな部屋だった。
何度も逃亡を繰り返す内に監視の目が厳しくなり、窓にはそう簡単には開かない特殊な鍵、ドアには三重鍵の状況。だが、別に気にしない。今は関係が無いからだ。
栞を挟んで本を机に置く。
「おい」
俺は、のうのうとベッドで寝ているヤツに声を掛ける。だが、相手は何の反応もしない。爆睡中だ。
「いい加減にしろ。俺は寝たい。さっさと退け」
現在の時刻は深夜の一時。ニートだろうが何だろうが、さすがに眠くなる時間だ。
「聞いているのか?」
俺はヤツの頭を目掛けて、机の上の本を投げた。
「いたっ」
見事に当たった。
「あたた・・・。何すんの、聖夜」
頭を擦りながら起き上がったのは、アルビノの子供。不機嫌なその目は、ご多分に洩れず赤。
「《せいや》じゃない、《しょうや》だと何度言ったらわかる」
ちなみに、俺の名前は津木聖夜だ。こいつは四崎雪。
「わかり辛いんだって、聖夜の読み方。俺に文句言わないでよ」
文字通りのお坊ちゃま。ムカつく奴だ。見た目が中学生ぐらいなのも、俺を不快にさせる原因かもしれない。実年齢は、俺と三つ下の十六歳だ
「もういい。邪魔だ。俺は寝る」
あいつをベッドから引き摺り下ろして(最初からこうしてやればよかった)俺はベッドに倒れ込んだ。あいつが寝ていたせいで生温い。
電気を点けっ放しだったが、そんな事も気にせず俺は眠りについた。
目を覚ました俺は、壁に掛かっている時計で時間を確認する。午後一時だった。
起き上がろうとして、白子の馬鹿が抱き付いているのに気付いた。何となく顔面に肘鉄。
「きゃっ」
残念な事に鼻は折れなかった。
「離れろ」
「うわっ。鼻血出てきた!」
ポタポタとあいつの鼻から血が垂れている。
俺はあいつを無視して机の脇に掛けているリュックの中身を確認する。それから、雪に机の上にあったティッシュを箱ごと投げる。
「今日は何曜日だ?」
「しょ、聖夜。またやるつもり?」
鼻を摘んでいる所為で、雪の声がおかしい。
「軟禁は嫌いだ。お前は日を浴びなくて済むから、いいかもしれないが」
リュックから鍵開けセットを取り出して、窓の開錠を試みる。掛けられるなら開けられる。というのが、俺の信条だ。
「開けられるの?」
「・・・開いたぞ」
「嘘っ!?」
雪が慌てて準備を始める。日焼け止めを塗り、黒いフード付きのパーカーと手袋と・・・。説明が面倒になってきた。
俺の部屋は二階。だがギリギリ一階の屋根があるため、無事に降りられる。
「早くしろ。いつ帰ってくるか、わからない」
机の下から隠し持って来た靴を、二足引っ張り出す。
「オッケー。準備万端!」
雪を先に下ろした俺は、丁寧に窓の鍵を閉める。これで時間稼ぎぐらいできるだろう。
しばらく最寄りの駅まで歩いて、そこで俺と雪は足を止めた。
「聖夜、今度はどこに行くの?前回は山だったし」
そう、前回もこいつはいた。
俺は答えず、二人分の切符を買う。一枚雪に渡すと、改札を通った。
「文句があるなら、勝手に自分の家へ帰れ。向かう途中にあるぞ?」
四崎家は、それでなくとも家があちこちにある。金持ちはいいよな。
首を横に振った雪が、むすくれながら俺の横へ。一緒に電車を待つ。
「聖夜って、意味わかんない」
「じゃあ、理解するな」
はっきり言って、馴れ合いは嫌いだ。こいつと行動しているのだって、飽きさせるためだ。面白そうだからと言って、ついて来た雪を。
電車に乗って、運良く空いていた席に座れた。
「もう一度聞くけど、聖夜は今回どこへ行くつもりなの?」
雪はまだ諦めていなかった。
「・・・お前が行きたいところでいい」
「決めて、なかったんだ・・・」
雪が呆れた顔をする。たまには、こういう旅もいいだろう。
「じゃあ、お魚食べられる海」
「海、か」
電車の窓から見える見慣れた景色を眺めながら、どの地方に行こうか考える。
「・・・・」
どの海も、魚が食べられるな。いっそ塩湖にするか?日本には・・・ないな。汚染された海なら、選択肢から除外できるのか。
必要な情報を選別していたら、退屈した雪に邪魔された。
「何?そんな難しい顔して」
「話し掛けるな。一言も喋るな。俺から離れろ」
集中が切れそうになる。まだ何も決まってないのに、だ。俺が嫌うパターンだな。
目を閉じて寝た振りをする。そうしないと、また邪魔が入るだろう。
日本の海に関しての情報をありったけ集めていると、景色が綺麗かつ四崎家の別荘地がある場所を見付ける事が出来た。時に、俺の記憶も役に立つな。
瀬戸内海に行こう。と心に決め、雪に言おうと目を開ける。が、真っ暗で開けた感覚がない。
「・・・・」
深入りしすぎたらしい。しかし、そのまま放っておいてもいずれは戻れる。いらない物と一緒にだが。
寝ているのか起きているのかわからないまま、俺はこれから来る事を思ってため息をついた。
「聖夜、聖夜ってば!大丈夫?」
ぼやけた視界に雪の顔が映り込む。
「・・・あぁ。寝てたのか」
「寝てたのか。じゃないよ!急に苦しそうな顔してさ、痙攣までしてさ、どんな病気なの?」
顎を伝って落ちる液体を拭って、震える身体を立て直した。幸いな事に、雪以外誰も見ていない。
「ただの・・・悪夢だ」
いつもとは違い、今日は完全に死んだ。のめり込みすぎたようだ。
「どんな、夢?」
雪が聞いてくる。
「・・・どうして話さなくてはいけない?お前には関係ない」
感覚の鈍い手をゆっくり動かして感覚を取り戻す。足も同様だ。まさか四肢が吹っ飛んで死んだ奴がいたとは、さすがの俺も予想外だった。戦争か、拷問か。どちらだろうな?
俺は一瞬で粉々にされた自分を造り直していると、急に揺さ振られてまたバラバラになった。
「関係ないとか、そういうのじゃないってば。俺は心配してんの。もう何回もやってんじゃん」
「俺にとってはいつもの事だ」
雪の追究から逃れている内に、電車は終点に着いた。どうやら俺は、一時間程寝ていたようだ。
まだ喋っている雪を引っ張り、駅構内を歩く。
「・・・聖夜、ちょっと聞いていい?どこに行こうとしてるの?」
別の質問だったから、耳に入れておく。
「中国地方だ。海に行きたいんだろう?」
「初めて聞いた・・・」
「言ってなかったか?」
「言ってないよ!」
そうか。それは初耳だ。
今度は雪が俺を引っ張る。そして、辿り着いたのは緑の窓口という何か。ここで何をするというんだ?
「もう、わからないんだったら俺を頼っていいってば」
そう言って雪は、俺を置いてそこに入っていったきりしばらく戻ってこなかった。
「・・・おまたせ。はい、これ。聖夜の切符ね」
戻ってくるなり、大きな切符を差し出す雪。
「いつものより、大きいな」
「・・・って、本当にわかってないんだ」
「新幹線の切符だろう?」
切符の行き先は福山。ご丁寧なことに、指定席だ。
「カード持っててよかった」
パーカーのポケットからクレジットカードが見えている。・・・貧乏で悪かったな。
俺は雪を無視すると、一人でホームに向かった。
「待ってよ!」
ここから福山までは四時間半ぐらいだろう。今度は寝ないで行かないと、ダメだろうな。次は、何が出て来るかわからない。
新幹線乗り場で昼飯を買う。
「そういえばお前、本当に帰らなくて良いのか?」
俺が質問するのが珍しかったのだろう。雪は少し目を見開くと、すぐに不機嫌な顔になった。
「いいんだ。俺、お父さんの邪魔だし、勉強なんてしたくない」
「そうか。なら、いい」
いわゆる、反抗期だな。
到着した新幹線に乗り込んだ俺達は、席を見付けてそこに座った。
「聖夜」
「何だ?」
雪は言葉を発しようと口を開き、だがすぐに閉じてしまった。
「・・・やっぱり、いい」
そんな雪の様子に俺は肩を竦めると、雪の前に昼飯の弁当を置いてやった。
いたって普通の味だと思いながら箸を進めていると、服を引っ張られる感覚がした。
「雪?」
「聖夜、やっぱり・・・俺ってさ。帰った方がいいのかな?」
当たり前だ。
俯いている雪に、言ってやる。
「三ヶ月の家出は、相当怒られるだろうな」
やった事はあるが、そもそもあれは俺の家ではない。
「えぇー・・・。やだぁ」
「・・・というより、恐らく向こうで掴まるだろう。カードの情報が、お前の親にキャッチされた可能性がある。どうする?」
俺の言葉に、雪が慌て始める。これだから、お坊ちゃまは・・・。
「ど、どうしよ?俺、広島で行きたいとこがあるのに」
そこに行ってから、戻る計画だったらしい。だったらカードを使うなと言ってやりたいが、俺はそれでこうしている以上、言えない。
「・・・俺が、なんとかしてやる」
「えっ?本当?」
・・・余計な事を口走ってしまった。
期待に満ちた目で見てくる雪の顔を押し退けて、俺はリュックから本を取り出した。
「出た。聖夜の照れ隠し」
「うるさい。こっちを見るな」
本を開き、外界との接触をなるべくしないように集中する。頬が熱いのは気のせいだと、自分に言い聞かせる。
「うわぁ、まっかっかのあっちっちだぁ」
「触るな!」
半分ぐらい読んだ時だろうか、俺の耳に車内アナウンスが聞こえてきた。
『間もなく、神戸。神戸です。出口は――』
神戸、か。あと少しだな。
本に栞を挟み、ふと横を見ると雪が幸せそうに寝ていた。それも俺に寄りかかって。手がなくなったと思ったら、そういう事だったのか。
叩き起こそうと思ったが、結局はやらなかった。この白子は相当無理をしている。体が弱いくせに、平気で俺に付いて回る。それを考えると、起こせなかった。
本をリュックに仕舞い、代わりにメモとペンを取り出す。
岡山を通過して、程なくすると雪が目を覚ました。
「・・・ん?ここ、どこ?」
「次が福山だ。随分幸せそうに寝ていたな」
ペンを走らせながら。
「夢は見てないよ・・・。たぶん」
寝惚けている雪は、目を擦りながら俺を見る。
「邪魔するな」
「わかってるよ。そうじゃなくて、何やってんのかって事」
俺は無言で雪にメモを見せた。
「えっ?」
「お前の親がとるであろう行動を、とりあえず書き出しておいた。この中で確率が高そうなものを選べ」
メモを奪い取った雪は、苦い顔をしながらも二つ、三つ選んでくれた。
「・・・たぶん、こんな感じだと思う」
「金にモノを言わせるパターンが一つあるな」
俺は雪が選んだものに印をつける。何となく、雪から見た親の像が見えた気がした。
「あとは、それ以外にじいやを使って探してるかも」
「じ・・・。お前の執事か何かか?」
「うん、そう。じいやだったら、わかってくれるかな・・・?」
不安と恐れが綯い交ぜになっている声で、言ってくる。
「・・・最悪、その場の乗りだな」
「海だぁ・・・」
途方に暮れたような声で、雪が言う。
「言わなくとも、それぐらい知っている」
「聖夜には、感慨とかないかもね」
珍しく雪に嫌味を言われた。
「冷血漢だと言うなら、別にそれで構わない。言われ続けた事だ」
俺は雪を置いて、海岸沿いを歩く。
まるで湖のように静かな海を横目に見ながら、俺と雪は歩く。時に電車を利用しながら。
福山に着いて、結局俺の杞憂で終わってくれた雪の親。気付いていないのか、それとも・・・。
俺は、何事もなく海岸線まで来れたことに疑問を感じた。
「やばいよ。もう夕方じゃん」
「そうだな」
何時間も歩いて、立ち止まって、気が付けば尾道の近くまで来ていた。
「・・・あ、ここら辺だ。車で来た事、あるんだ」
「そうか」
俺は、今見ている風景に既視感を覚えていた。建物が違い、人の姿も違っているが、どこかに同じ部分が残っているのだろう。それ以前に、俺はここにもいたのかと少し驚いてしまった。
雪の記憶を頼りに歩いていくと、海岸沿いに一本だけある道が見えた。
「ここ・・・?」
雪は俺を振り返ると、海の向こうに見える島を指差した。
「俺に聞くな。ここは・・・いや、お前が言っていたのは“島に挟まれた海”だったよな?それだったら、まだ先にも同じような場所がある」
「どうして・・・?あ、うん、なんでもない」
景色を見ながら、一本道を少しずつ辿る。すると、雪の言っていた事とぴったり一致する場所に出た。
「あっ!ここだ!」
異様な程静かで、日が落ちた海は何もいないかのように波が小さい。大きな波は、遠くで船が通ってきた時のみ来そうだ。
道から砂浜へ下りて、波打ち際へ。水が澄んでいて、数匹魚が泳いでいるのが暗くてもかすかに見えた。
「・・・知ってるな、ここを。俺は・・・」
ざっ、と雪が砂浜を歩いている音が聞こえた。
「ここって、昔お父さんが俺を連れて遊びに来た場所なんだ。聖夜が中国地方に行くって言うから、ついでに寄ってみたかった。ほんとは夏がよかったなぁ」
そう言って、砂浜に腰を下ろす。
「・・・あれ?聖夜、変な顔してどうしたの?」
「いや、なんでもない。ただの感傷だ」
一つ大きく息を吐いて、砂浜に座り込む。なんか、もう・・・さすがに疲れた。
「・・・お前は、これで満足か?」
「うん。帰って、盛大に怒られて、沢山謝って、また勉強漬けになってみる。いっぱい外を歩けて、楽しかった」
雪は自分の家に本気で帰る事にしたようだ。これで、また一人になる。
冷たい風に吹かれながら、暗く沈んだ海を眺める。そういえば、もう十一月か。
「聖夜にも帰る所が出来るといいね」
唐突にそんな事を言われ、少し苦笑いする。
「俺には、どこもそんな風に感じるがな」
「どういう意味?」
「過去の俺が言ったことのある全ての場所が、懐かしく感じる。ただ、それだけの事だ」
俺の言葉の意味を知ろうとしているのか、雪が黙りこくる。そして、破顔した。
「・・・そっか。聖夜、初めて自分の事教えてくれたね」
どう思おうが雪の勝手だが、今回はそういう事にしておいてやろう。
「なんか、誤魔化さないといけない理由でもあるの?」
「・・・俺の事を知ってる奴は、全員死んだ」
砂浜から立ち上がった俺は、服についた砂を払いながら元来た道を引き返す。
「帰るぞ」
「えっ!?もう帰るの?」
「寒い。それと、そろそろ満潮だ」
冬が近いのに、海に来るなど愚の骨頂だった。
歩いて一本道から大通りに出た時、高そうな車が視界の端に映ってその場に立ち止まった。
「何?」
まだ理解していない雪が聞いてくる。
「お迎えらしいぞ、雪。じゃあな」
雪を置いて、一人で別の方向へ歩く。すると、後ろで何人かの人間の声が聞こえた。
振り返らずにひたすら歩いて、ふと後ろを向いた時にはもう雪の姿も何も見えなくなっていた。
一人になれた嬉しさの他に、何故か寂しさが含まれていて、あいつにどれだけ心を許していたのかを思い知った。まともに別れを告げなくてよかったと、少し思う。そんな事をすれば、また過ちを起こす事ぐらい簡単に予想できた。死ぬにはまだ、若すぎる。
・・・さて、これからどこへ行こうか。瀬戸大橋を渡って四国一周でもするのか、それとも九州まで行くのか。どちらにせよ、一ヶ月掛かるのは間違いない。俺の交通手段は徒歩しかないからだ。ここまで来るのに、ほとんど使ってしまった。
リュックから小型のカレンダーと地図を取り出す。
「・・・あぁ、そうか」
そろそろ、誕生日だ。それも二十歳の。なら、自由は目の前に落ちている。ゆっくり歩くとするか。
帰らない、という意思表示を込めて九州方面に足を向ける。あっちに、知り合いはいないだろう。少なくとも、俺の知る限りそんな奴は存在しない。
田舎の薄暗く誰もいない道を歩きながら、頭の中で次の計画を立てる事にした。
初の短編小説です。というのも、私はあまり短編が得意ではないのです。
本作品のコンセプトは記憶。あえてぼかして(ぼかしすぎ?)書いているので、わかりにくかったかもしれません。
まったく纏まりのない文章でしたが、ここまで読んで下さってありがとうございました。