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ルンピニ・ナイトバザール
大きな公園の横にある、タイにいくつかあるバザールの中の一つである。
ここは、その中でも夕暮れになると人がどこからともなく集まり、夜になると活気があふれる。
大きなビアガーデンもついており、観光客にはもちろん、地元の人間にも活用されている。
売っているものと言えば、観光客向けのおみやげはもちろん(最近ではD&Gやディーゼルの偽物が多い。一昔前はエイプが主流だったが)、洋服、化粧品、アロマオイル、靴やカバン、そして、インテリア用品である。
春人とかすみは昼間に市内観光を終え、夕暮れとともにこのナイトバザールにやってきたのだった。
「うわぁ~、すごい人!どこから見ていいかわからないね。楽しみ楽しみ!」
かすみはキョロキョロしながら、はしゃいでいる。
現地ツアースタッフのハルさんがライトバンから声をかけた。
「バンゴハンはここでどうぞ、ビールもある。ここは、パッタイ、おいしい。」
「パッタイ?」
春人は汗を手に持っていたタオルでぬぐいながら聞き返した。夜になったといえど、タイの気温は下がらない。
「日本の焼きそば、みたいなもの。おいしい。ビール、パッタイ、これ最高」
ハルさんは、20代後半の現地のタイ人だった。日本に言語留学を1年しておる。太いまゆげがトレードマークのいい男だった。
「ハルさん、いつ迎えにきてくれるの?」
もうすっかり打ち解けた春人が聞く。
「後、2時間後ね。僕も、ご飯食べてくる。ビールも飲んじゃおうかな?」
ニッと白い歯を見せて、ハルさんは笑った。本当に仕事中でもお酒を飲みそうだから怖い。
「いいんじゃない。酒飲んでるみたいなテンションだしさ。」
春人も笑いながら答えた。
ハルさんと別れ、春人とかすみは、ビールを片手にバザーに繰り出した。
春人は、自分用のTシャツ、シューズ、お土産用のチョコレートなどを買い、かすみは化粧品などを買い、お互いに満足することとなった。
「春人さん、なんかこの先の区画は、アートやインテリアのものを置いてるみたい。お店におけるようなもの買って行ったら、オーナーに喜んでもらえんじゃない?」
春人は、市内のイタリアンレストランに勤務している。店の名前は「チェルヴィーチュ」、イタリア語で「うなじ」の意味である。オーナーの趣味なのか、フェチなのかは、春人には未だ聞けず仕舞であった。
「そうかもね、何かオリエンタルな壁掛けとかなら、意外とマッチするかもしれないね」
「でしょ?行ってみましょうよ。」
かすみは春人の手を引く。
その店は、その区画の中にあった。
ナイトバザールは、基本的に屋外にある屋台なのだがその店は壁があり、他の店とは一線を画していた。
扉を開けると、ヒヤッとした空気が春人の頬を触れた。エアコンがしっかり聞いているようだ。
店内には、様々なインテリア用品が置いてあった。日本にもよくある、インテリア雑貨屋さんという感じであろうか。
驚いたのは、その値段である。イームズのチェアーはレプリカなのだろうか。日本で買う3分の1ほどの値段で置いてある。
かすみは年頃の女性であるので、インテリアにも興味がある。目を輝かせながら、店内を物色していく。
春人は、そんな中、壁掛けの絵を見つけた。
真っ黒の背景に浮かびあがる、大輪のひまわり。写真のようなリアルさがある。
その絵を見て、春人は動けなくなった。なんだか、体の中に電気が走ったようである。
どうしてこの絵が気になったのかはわからないが、春人は茫然とその絵を見つめていた。
「春人さん、この絵が気に入ったの?ひまわり?」
かすみが後ろから声をかける。
「素敵な絵ね。これ。私もこういうの好きだな。」
春人は答えずに、絵を見つめている。
「これ、お店にいいんじゃない?これ、買いましょうよ。ねぇ春人さん。・・・ねぇ?」
「ん、あぁ。そうだね。なんだか、すごい俺もこれに惹かれたんだよね。なんでだろう?なんかすごいグッとくるんだ。」
「いくらくらいするんだろう?お店の人、いないのかな?サワディーカップ」
片言のタイ語で、かすみは控えめに声を出した。奥の扉から、一人の女性が出てくる。
「はーい、あら日本の方ですか?」
中からは、同じ日本人の女性が出てきた。
その姿を見たとき、春人は理解した。なぜ、この絵に惹かれたのか。
このひまわりは、この女性に似ていたんだ。
「いらっしゃいませー」
その女性は、春人を見て、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに何事もなかったかのような顔をした。肩までのショートボブの茶色の髪を揺らし、笑顔で言った。
春人は、茫然として先ほどまで絵を見つめていた代わりに女性を見つめていた。
その顔を忘れる訳がない。2年前のあの日、空港の改札の向こうに消えていったあの笑顔だった。
女性と目が合った。
「幸・・・」
春人は声をもらした。
「あ、この絵ですね~?これ、私が描いたんですよ。なかなかうまくできたと思って。」
女性は、笑顔で話しかけてきた。春人の言葉をかき消すように。
「あ~、お客さんたちはハネムーンですか?幸せそうでいいですね~?」
「いやいや、違いますよ~。でも、二人で来る初めての海外旅行なんですよ。ね、春人さん?」
かすみは、店員が日本人だったようで、安心した様子だった。ハネムーンという言葉にまんざらでもない様子だった。
「あぁ、うん。そうなんだ。」
幸は春人に目を合わせずに言った。
「そうなんですか~、うらやましいですね。私も、2年前にこっちに引っ越してきてから、彼氏なんていませんもん。」
「あら、2年前にタイに?どうしてタイに引っ越されたんですか?」
かすみは現地であう日本人に興味津々だった。
「もともと私は、日本のインテリアショップで働いていたんですけど、こっちで買付とかして働かないかって話があったんですよ。ところで、お客さんたちは、日本のどこから?」
「札幌なんです。」
幸はこれ見よがしに驚いたように答える。
「札幌なんですか?!私も札幌に住んでいたんですよ。今ならなまら寒い時期ですよね~」
「あっ、北海道弁だ。すごい、こんな偶然ってあるんですね?ね、春人さん。あれ、春人さんどうかした?」
春人が何も言わないのに気づいたかすみは言った。
「いや、なんにも。こんな偶然ってあるんだね。ところで、タイに引っ越してから大変じゃなかったですか?」
春人は、なるべく平然を装いながら言った。
「大変でしたよ~。食べ物は全然違うし、言葉は通じないし。日本語少し通じる人がスタッフにいたから、その人を頼りながらなんとかやってきました。」
「すごいなぁ。私なら絶対独りで外国に住むなんて、できないです。不安じゃなかったですか?」
「めちゃくちゃ不安でしたよ。本当はね、一緒についてきてほしい人もいたんですけど、振られちゃって・・・って、なんだってこんな話してるんでしょうね?」
からからと笑いながら幸は話をやめない。春人が何かを話す暇を与えようとしていないようだ。
「この絵の値段でしたよね。えっと・・・これくらいでいいですよ?」
店の電卓を見せながら幸は言った。破格の値段である。
かすみは驚きながら言った。
「そんな値段でいいんですか?日本でなら、絶対そんな値段じゃ買えない!」
「同じ道産子に出会えたってことでね。オマケです。でも、他のスタッフに言ったらだめですよ。」
幸は、絵を壁から外し、丁寧に梱包し始めた。
春人は、その一挙一動を見ていた。もう2度と見ることができないと思っていた幸が目の前にいる。
幸も気づいていないはずがない。でも、女の人と一緒に来ている春人のことを気遣っているのは、明らかだった。春人も、その気持ちを無駄にすることはできなかった。
それは、2年前のことを責めているようにも春人には感じるのであった。
かすみは、レジでお金を払い、絵を受け取った。
「ありがとうございます。いや~、こんなに安くて嬉しいな。またタイに来ることがあったら、ぜひきますね!」
「札幌にも、うちの商品を扱ってる店ありますよ。HPもありますから、見てみてください。これ、名詞にHPのアドレスあるんで。」
と、言いながら名刺を差し出してきた。春人も名刺を受取る。
名刺には、日本語で、「青山幸」という名前が書かれていた。
「あれ?日本語ですか?」
かすみが気付いて言った。
「そうなんです。もうすぐ日本に帰ろうと思っていて、少しでも日本人とネットワークを作ろうと思っているんです。だから、日本人のお客さんにはこうやって渡してるんですよ。友達になってくださいね。」
オレンジ色の笑顔で言いながら、幸は手を差し出してきた。
「あはは、じゃあ、日本に戻ってきたらぜひ。」
社交辞令を言いながら、かすみは差し出された手を握り返す。
「ボーイフレンドのあなたもよろしくね。」
幸は少し、含みを持たせた目を春人に向け、手を差し出してきた。
春人は、恐る恐る手を伸ばす。
「さっきの話ですけど」
春人は、からからに乾いたのどを振り絞るように言った。
「2年前の別れた人が、もう一度やり直したいって言ってきたらどうします?」
春人は幸から目をそらさずに言った。かすみは、不思議そうに見ているが構わなかった。
幸は、手をぎゅっと力を込めながら握って言った。
「どうでしょうね?私には、わからないです。やり直すかもしれない。」
ニッコリと笑って、幸は言った。
「ありがとうございました。サワディーカップ」
もうすっかり発音の良くなったタイ語で言いながら、幸は挨拶をして、奥に消えていった。
春人とかすみは店内に出た。
ムアッとした熱気が春人には、息苦しかった。
「ねぇ、春人さん。私ならね、たぶん2年前の別れた人が現れたら、まだ新しい彼氏ができてなかったらついていっちゃうと思うな。」
かすみは、春人の腕を取りながら言った。
「でも、なんであんな質問したの?」
不思議そうに言う。
春人は答えた。
「なんで・・・なんだろうね?」
ナイトバザールは、どんどん人が増え活気が増していく。
春人には、この喧騒がありがたかった。ぐちゃぐちゃの心のまま、がやがやしたビヤガーデンに向かい、ビールを呷りたかったのだ。




