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もうやだ!仕事やだ!! ~頭を休めるために夜会へ向かった貧乏伯爵令嬢、見目麗しい英雄に「私が養います」と宣言してしまう~

作者: ななめ尚央
掲載日:2026/10/07



「ああああああ、とにかく恋愛がしたい!!」

「彼氏がほしい!」

「もうやだ、貧乏伯爵令嬢」


 村人たちが新しい決裁書を置いて退室したあと、疲れていた彼女は少しだけ大きな独り言を発した。薄い赤茶色の髪に、平凡なこげ茶色の瞳が少しだけ揺れる。


「みんなセレナ様、セレナ様、セレナ様って。書類が山積みすぎる。まあ、私しかいないから、当たり前なんですけど」


 貧乏伯爵令嬢セレナは、山積みの決裁書を前にうなだれた。


(……このままでは、一生男性と会話することもなく机の上で死ぬ)


 セレナは、将来を憂いて周りを見渡した。


「こんな家に嫁いできてくれる都合の良い婿様なんて、いないわよね」


 木目の家具で揃えられたセレナの執務室は、伯爵家としては質素だ。あらゆる家具・貴金属は売却した。そして、残っているのは『伯爵家』という名ばかりの貴族である証と、辺鄙な荒れた小さな領地――といっても、村がひとつ存在するだけだ。


 父親が事業に失敗し、逃亡してから三年。

 セレナは、一人でウィラット伯爵家を切り盛りしていた。


「いや、待て。男性とは会話しているのか?」


 セレナは、領地の気のいい村人たちを思い返した。彼らはセレナを助けてくれる熱心な仕事相手だ。もはや異性として意識することのない、大切な仲間たちだ。


(――そうじゃないのよ。うん。何か頭が休まるような男性と会話してみたいのよ)


 セレナは、すぐさま諦めて決裁書に目を通し、しばらく考え込んだ。そこに、決裁書に紛れた一通の招待状が目に留まった。


「……! これだ! これに行くしかない」


 そう呟くと山積みになった決裁書を、恐ろしい速度でさばき始めた。




******



「うっし! 全方向よーし」


 セレナは誰の力も借りることなく身支度を整え、鏡台の前で自分の姿を確認した。お母さまの形見の生成りがかったドレスを身に着け、髪をきれいに結い上げた。化粧は薄く紅を引き、あくまで上品に見えるように。


(……流行は知らん)


 これから行く場所は恐らく社交界の戦場であることは間違いないだろう。いつも以上に、気合の入った目でセレナは鏡を見つめた。


(貧乏令嬢となめられないように……いや、それは諦めるしかないよね)


 傍に置いてあった唯一持っているヒールの高い靴へ足を通す。ぴっと背筋は伸び、何だかいつもと違う自分にくすぐったくなる。セレナは、もう一度最後に鏡を見て、べっと舌を出し変顔をきめた。


「今日は恥をかいても大丈夫。このドレスが私を守ってくれるはず。見ていてください、お母さま」


 そう小さく呟き、変顔を緩めて頬をぱんっと軽く叩いて気合を入れた。


「頭が休まるような見目麗しい男性と会話して帰る。ただそれだけだ」


 セレナは、そう熱く決意し自宅を出発した。彼女が今日、この夜会に行くことにしたのには、理由があった。それは、英雄メルヴェイン・ブルームケルンの婚約相手を探す夜会であったからだ。


 ブルームケルン伯爵家の三男といえば、騎士で見目麗しく、社交界に興味のなかった――いや、それは強がりだ。社交界に参加する機会のなかったセレナも、王都新聞で目にしたことのある有名人だ。


(……ドラゴンを退治したとか何とか。結婚しようと思っているわけではないけど、少しくらい頭を休めるために、現実から逃げてもいいわよね。見目麗しい男性が無料で見られるんですもの)


 セレナは、気分転換になることを期待して、村人が好意で出してくれた馬車の荷台に乗り込んだ。日が落ちてきた夜風が心地よい。セレナの住む辺鄙な土地から、王宮まではそう離れていない。馬車に揺られて、王宮近くまで到着したところで、セレナは馬車を降りた。


「帰りは、どうなさるんですか?お迎えに行きましょうか」

「いえ、適当に商人の荷馬車に乗せてもらって帰るつもりよ。交通費も浮くし」


 初老の男性の心配をよそに、セレナは明るく答えた。



******




(王宮にくるなんて、何年ぶりかしら? まだ、うちが栄えていた頃以来ね)


王宮の大広間に入ると、こちらが気後れしてしまうような厳かな音楽、高い天井に素敵なシャンデリア、大階段の上にある扉から入ってくるのは、身分の高い主役たち――セレナは、緊張のあまり、幼い頃、お母様のドレスの裾をつかみ後ろに隠れ、会場を見渡していたことを思い出した。


 セレナは、できるだけ目立たないように広間の隅へ寄った。


(……視線を感じる)


「ねえ、見てあの子」

「地味なドレスですわね。どこのご令嬢かしら? 流行も知らないなんて」


 セレナは、明らかに自分の方へ向けられる陰口を静かに聞いていた。想定内よ、こんなことは――と、静かに飲み物を口にし空のグラスを従者へ渡す。


「英雄メルヴェイン・ブルームケルン様の入場です」


 騎士の声とともに、会場中の視線が一斉に大階段へ集まる。陰口を叩いていた令嬢たちも、黙り込んでその人物を眺めていた。


 実物のメルヴェインは、褐色の肌に、長身で鍛え上げられた身体。金色の髪に、意思の強そうな青い瞳。その姿は、王都新聞に描かれていたものよりもずっと素敵だった。


(本物の破壊力よ……)


 注目を集めながら入場したメルヴェインは、無言で王の前へ片膝をついた。


「堅苦しい挨拶など、今日は必要ない。ドラゴンを倒した褒賞として、自由に花嫁を選べる権利を与える」

「……」

「ここに集まった令嬢は、伯爵家以上の家格を持つ令嬢たちだ。皆、本人・家族の了承を得て、自身の意思で参加している。心ゆくまで宴を楽しみ、仲を深めるがよい」

「……」


 メルヴェインは、王の言葉に頭を下げたまま一言も返事をしなかった。王はそんなメルヴェインの様子を全く気にせず、夜会の開幕を宣言した。セレナは、その様子を遠巻きに眺めていた。


(あまり乗り気じゃないのかしら? こんなにも盛大に宴が開かれたから、てっきり結婚したいものだと思ってたけど)


 幕が開けると一斉にメルヴェインの周りに令嬢たちの人だかりができた。どの女性も流行のドレスを身にまとい、身につけた宝石も最先端のものなのだろう。誰もが素敵に着飾っている。


(さ、さすがに可愛い、綺麗な子ばかり。でも、ここまで来たんだから挨拶程度の会話をしないと)


 セレナは、メルヴェインを囲む人の群れに混じった。メルヴェインの姿は、美の壁が高すぎて見えない。女性たちは、我先にとメルヴェインに押し寄せる。


(……ちょっと、ちゃんと整列させてくれる係の方はいないの)


「ちょっと、押さないでいただけますか?」

「あなたが、押さないでよ」

「メルヴェイン様とお話するのは、私が先ですわ」


 そんな令嬢たちの話を近くで聞きながら、慣れないヒールの高い靴のまま、押し出されたセレナは大きくよろめいた。


(転ぶ! ちゃんと令嬢たちを整列する係を作らないから! 夜会の責任者!出てこい!)


 よろめいた体を立て直すこともできず、どんっと壁のような固い物にぶつかった。一瞬にして、会場が静まり返る。セレナは何が起きたか理解できず、目を閉じたまま体を硬直させる。


「……はあ、もういい。このご令嬢と婚約する」

 メルヴェインは短くそう告げた。


(……婚約? だれと。この状況は)


 セレナは恐る恐る目を開けた。そして、見上げると眉間に皺をよせ不機嫌そうに思えるメルヴェインが視界に入った。


(何だ何だ何だ、この状況は!メ、メルヴェイン様?)


 セレナは、間があって状況を理解した。どうやら転びそうになった所を、メルヴェインに抱き止められたようだった。バランスを崩したセレナを抱きとめた手は、どこか優しい。


 メルヴェインはセレナを抱き留めたまま、こっそり耳打ちした。


「申し訳ないが、少し付き合ってほしい」

 セレナはメルヴェインの困っている様子を察し、断ることができず小さく頷いた。


(男性に抱き留められるなど、一生で一回のチャンスかもしれない……どうせ夜会なんて二度と来ないんだから、身をゆだねましょう。うん)


「……どういうことですか? メルヴェイン」


 メルヴェインを囲んでいた令嬢の中でも、ひときわ目立つ令嬢が声を上げた。気品溢れる姿や威圧感にセレナは少しだけ恐縮した。そんなセレナの様子を気に留めることもなく、メルヴェインは令嬢を見たまま、はっきり告げる。


「俺は王の命令通り、婚約者を選んだだけだ」


「だから、なぜ、そのご令嬢を選んだのかとお聞きしているのです。失礼ですが、婚約者としては公爵令嬢である――この私、ハシリア・ローディスが誰よりも相応しいと思いますが」


(えー公爵令嬢だった。た、確かに。あなたの方が相応しい……なんだか、とんでもないことになってしまったような)


 セレナは、貧乏伯爵令嬢であることを言いだせないまま、一触即発の空気に圧倒されていた。ハシリアは、メルヴェインの腕の中に捕獲されたままのセレナに視線を落とした。


「あなた、どこのご令嬢なんですの? 社交界では、お見かけしませんが」

「どこのご令嬢かは関係ないだろう。このご令嬢は婚約者候補として夜会に参加し、俺は彼女を選んだ。それだけだ」


 セレナが慌てて口を開くよりも早く、メルヴェインが返答する。


(……軽い気持ちで来て本当にすみません)


 セレナはただ見目麗しい男性と会話し、領地の経営で疲れた頭を休めようと安易に参加してしまった自分を猛省した。しかし、古いドレスで参加し、地味な装いの女が、こんなご都合主義なことになるとは、誰も想像がつかないだろう。


(まあ、一時的に婚約という形になったとしても、メルヴェイン様側から解消していただければ、貧乏伯爵令嬢には何の痛手もないか)


 長年、仕事以外での人付き合いをしてこなかったセレナの思考回路は、突然のできごとにぐるぐると変化した。そんなセレナの様子を気に留めることもなく、頭上で二人は会話を続けた。


「ハシリア公爵令嬢。申し訳ないが、きみとの関係は随分と前に終わっている」

「まだ、根にもっていらっしゃるの?」

「君とは婚約できない。……俺はこの場で与えられた役目は果たした。ご理解いただこう」

「公の場で恥をかかせるなんて」


(なんだか頭上ですごい話が展開している……)


「では失礼する」


 メルヴェインは、そう告げるとセレナの手を引いて会場を後にした。

 重い空気だけが、夜会の会場に残された。



******




 窓から陽が優しく差し込む中、セレナは落ち着きなく家の中をうろうろとしていた。


 持っているドレスの中で一番高いものを着用し、母の形見で売ることのできなかったネックレスで首元を装飾し、何とか令嬢として見た目だけ整えた。しかし、使用人もいない一人暮らしの邸宅で、ブルームケルン伯爵家の息子を待つのは荷が重い。


「いやいや、身分なら私も伯爵家よ。堂々としましょう」

 そう言い聞かせて、母の形見のネックレスをそっと握る。


 軽い気持ちで婚約者を募集する夜会に参加してしまった。そのお詫びとして、料理には腕をふるい村の特産物である最高級のワインを用意した。これ以上のおもてなしは、人員的にも困難だから致し方ない。


(とにかく非礼をわびましょう)


 食堂の窓から庭を覗く。まだ、メルヴェインの姿はない。あの重苦しい夜会から抜け出した直後、『きちんと話をさせてほしい。――あとお詫びを』と、彼から申し出があり、セレナも断り切れず、屋敷へ招くこととなってしまったのだ。


(ブルームケルン伯爵家を訪ねるなんて、格式が高すぎて気後れする。それにこの状況を見せれば、がっかりして、すぐに婚約破棄されるでしょう。その方が話が早いわ)


 セレナは食堂を見渡した。きれいに掃除はしたが、二人が座れるほどの小さな丸机と椅子、今時、平民だってもっと豪華な机と椅子を持っているはずだ。父が逃亡後、豪華な家財はほとんど売って処分したので、今の家具は村人たちが無償で提供してくれた物だった。


(いえ、これはこれで素敵なんですけどね)


 馬の音が響き、玄関の門が叩かれる音がする。慌ててセレナは玄関へ向かい、扉を開けた。そこには、馬を引き連れたまま、戸惑っているメルヴェインの姿があった。重厚な騎士服ではなく、シャツに黒いパンツスタイルが一層、見目の麗しさを引き立てている。


「すまない。馬はどこに?」

「あ、申し訳ありません。こちらです」


 セレナはメルヴェインを少しだけ荒れた庭の片隅にある馬小屋へ案内した。


「馬で来る可能性も考慮して、掃除はしましたが……気に入ってくれるかしら?」


 セレナは、メルヴェインに繋がれた漆黒の馬を、そっと撫でようとした。慌ててメルヴェインは、その手を握った。


「この馬は気性が荒い。むやみに触れない方が良い」

「あ! そうですのね。失礼いたしました。高貴なお馬さんには、少しだけ不自由かもしれませんが、最高級の草と水は用意しましたので。こちらで、しばしお待ちください」


 セレナが馬に真剣に話しかけるため、メルヴェインは思わずふきだした。


「ははっ、すまない。気を使わせて」

「いえ、とんでもございません。わざわざ、足を運んで頂いて申し訳ありません。こちらへ」


 そう言うとセレナは、メルヴェインを食堂に案内した。


 メルヴェインは、自身の屋敷とも見比べることもなく静かに古い丸テーブルの椅子へ腰をおろした。目の前には、セレナが調理した肉料理と色とりどりの野菜やパンが並んでいる。セレナは一通り食卓の準備が終わると、同じテーブルの席へついた。


「昼食のお約束でしたから、私が用意したもので……お口に合うのか分からないのですが。よろしければ」

「これは、セレナ嬢が……?」

「ええ、お気づきかと思いますが。一人暮らしなもので」

「さらなる苦労をかけてしまって、すまない。やっぱり、わが家へ招待した方が良かったよな」


 セレナは大慌てで首を横に振った。


「ブルームケルン伯爵家を訪ねるなんて、恐縮してしまいます。来てくださって、助かりました」

「同じ伯爵家の身分なのに、そんなことを気にする必要はない」

「いや、気にしますって……! とにかくお料理が冷めてしまわないうちに、よろしければ」


 セレナの言葉に「ああ、では」と、メルヴェインは料理を口に運んだ。料理を口にすると、何とも言えない温かさがメルヴェインを刺激し、思わず少し顔が緩んだ。


(すっごく美味しそうに食べてくれる人だな。不機嫌な顔しか見てなかったけど。目の保養すぎる)


 セレナはワインを注ごうと思ったが、馬で来ている人にお酒はよくないと思いなおして、最高級の葡萄ジュースをグラスへ注いだ。


「もし、よろしければ。村で作っている葡萄ジュースなんです。できるだけワインの味に近づけるように、領地の住民と一緒に改良したものです。最近、少しだけ社交界でも話題なんですよ」


 メルヴェインは、葡萄ジュースを一口嗜んだ。


「……本当だ。最高級ワインと同じ味がする」

「でしょう?夜会で、お酒を飲めない方にも良いかなと思って。まあ、私は社交界に行くことがないので。需要があるかは、まだ、はっきりとは掴めてないんですけど」

「じゃあ、先日の夜会も――」


 メルヴェインが言葉を続けようとしたのを遮って、セレナは頭を下げた。


「本当にすみませんでした! 申し訳ございません! 私が仕事に疲れ、見目麗しい男性と挨拶だけして帰りたいなど、不純な動機を抱えたために! あのような事態になってしまい、本当にごめんなさい!」


 すみません、ごめんなさい、申し訳ありません!の連続した謝罪の言葉に思わず、メルヴェインは圧倒され、少しだけ吹きだした。そして、少しひっかかった言葉を声に出した。


「見目麗しい?」

「ええ、仕事が溜まり机の上で死ぬくらいであれば……せめて見目麗しい男性と一言お話してみたいと興味本位で行きました。婚約するつもりなどなく、安易な考えで行ってしまったこと、猛省しております」


 メルヴェインは少しだけ複雑そうな表情となり、考えこんだあと口を開いた。


「そんなに疲れているとは、無理をしすぎでは?」

「無理する必要があるんです。最近、ほんの少し領地が利益になってきて、いい感じなんです」

「そうか」


 メルヴェインが短く返事をしたあと、食堂を見渡していることにセレナは気がついた。恐らく、使用人もおらず、両親が不在、屋敷に一人暮らしなことに戸惑っているのだろう。メルヴェインが視線をセレナに戻した瞬間、穏やかにセレナは笑いかけた。


 メルヴェインは少しの間だけ、笑うセレナを見つめていたが、重い口を開いた。


「……婚約する気がなかったのに、巻き込んでしまい、すまない。うんざりしていた所に、ちょうど救世主のように飛び込んできたものだから、つい」


「いえ、しっかりと抱き留めていただき、一生の思い出になりました。さすが、ドラゴンを倒した腕! 素晴らしかったです」

「?」

「私が元々悪いのです。罪人になる以外の理由で、どうか、メルヴェイン様の都合の良い理由で婚約を解消してください。私はただの貧乏伯爵家。婚約破棄など、痛くもかゆくもありません」


 メルヴェインは真剣な表情で、セレナを見た。


「申し訳ない。婚約の件に関しては、そのままにしてくれないだろうか」

「え?」

 セレナは思考停止したまま、聞き返した。


「――ハシリアに会っただろう? 実は彼女とは幼馴染で、長い間交際をし結婚する予定だった。だが、彼女は俺の親友とも付き合っていた。俺は事実を知り身をひいたんだが、家族や王族、公爵家は何も事情を知らない」


「事情をお話しにならなかったんですね」

 セレナは、少しだけ視線を下に向けたが、またメルヴェインを静かに見つめた。


「婚約発表をする前だったから、彼女の名誉のために沈黙していたんだ。そのまま、親友と婚約するものだと思っていた」

「なぜハシリア様は、メルヴェイン様のご親友と婚約されなかったのですか?」


「詳細は知らない。ただ、ドラゴンを倒した後から、ハシリアが婚約を迫ってくるようになった。俺が断り続けるから、王に根回しされたんだ」


 メルヴェインは気まずそうに話し、葡萄ジュースを口にした。


「ああ、それで夜会での婚約募集という状況になってしまったと」


 親友と二股をかけられたなど、それは凄く心折れることだったのだろう。経験はないが、孤独感なら少しだけセレナにも理解はできた。セレナは、少しだけ考え込んで言葉を続けた。


「まあ、婚約という騒動になってしまった以上、数か月このまま置いておいて、お互い合わなかったと解消する方が自然でしょうか」

「すまない。さらなる迷惑をかけてしまい……」

「いえ、私はかまいません。元々、私にも原因がありますし、こうして見目麗しい男性とお話できるだけで、頭が休まりました」


 そう言うとセレナは、嬉しそうに笑った。



******




「……ふう、葡萄ジュースの受注は何とかなりそう!」

「セレナ様! ありがとうございます。セレナ様のアイデアのおかげで、たくさんの発注が」

「いいのよ、私も税収が増えるのは助かるから!」


 葡萄ジュース生産の用件で訪ねてきた村人と軽口をたたいていると、コンコンと執務室の扉を叩く音がする。


「どうぞ」

「失礼する。しかし、いつもながら従者にも会わず、この執務室まで来られるのは少し心配だ」

「大丈夫です。危険な目にあったことないし、夜は戸締りしますよ?」


 あっさりと執務室へ到達できた防犯の薄さ、それに関心のないセレナを心配した表情で、メルヴェインは室内へ足を踏み入れた。


「メルヴェイン様、お仕事は?」

「今日は非番だ」

「先週も聞いたような」


 初めは一週間に一回程度の訪問だった。婚約を継続してから三か月程度、何故か徐々に頻度が増え、今ではメルヴェインはセレナの邸宅に一週間に三回は足を運んでいる。


(まあ、律儀な方なんでしょうね。偽りの婚約を不自然に見せないための配慮なんでしょうが)


 メルヴェインは慣れた様子で執務室のソファへ腰をおろした。初めは『何か手伝うことは』『困りごとは』とセレナに問いかけたメルヴェインだったが、日数を重ねていくごとに声をかけずに仕事が終わるまで、静かに待っているようになった。


「まだ、決裁書類が終わってないの。少し待っていてください」

「ああ、そちらを優先してもらってかまわない」

「毎回待つの、退屈じゃないんですか?」

「いや、別に」


(私は麗しい姿に目が休まるから良いけど、本当に退屈じゃないのかしら? 時々、密かに私を見て笑っているし……私って仕事中、変な顔しているのかしら)


「……いえ! セレナ様! こちらはもう、決裁していただきましたし。他は、どう考えても急ぎじゃありませんよね? 俺は失礼します」


 慌てて村人は執務室から退室する。


(……そんな慌てて出て行かなくとも)


「いつも気を使わせてしまってるな」

「こんな見目麗しい男性がいらしたら、みんな恐縮してしまいます!」

「全く、セレナは見た目の話しかしないじゃないか」


 少しだけむっとして話すメルヴェインの様子に、何か悪い発言をしてしまったかしら? とセレナは疑問に思いながらも、メルヴェインの隣へ腰をおろした。


「毎回、狭くてごめんなさい」


 執務室にソファは、一個しかない。きちんと話をしようとすると隣に座るしかないので、二人の距離感は少々近かった。


「いや、それは役得だ。それより、セレナ。例の夜会の件なんだが……」

「どうしても参加しなければなりませんか?」

「ああ。君にも同席してもらって、公の場できちんと決着をつけたい」


(……私たちの婚約に、終止符を打つために)


 初めから数か月だけの話だった。分かっていたはずなのに、セレナはどう返事をすればよいのか分からず、黙り込んだ。メルヴェインから、ハシリア公爵令嬢も出席する夜会へ同行してほしいと頼まれてから、一週間ほどが経過していた。


「私が婚約者となってからも、ハシリア様からのお誘いは続いているんですよね?」

「ああ。あの場で断ったつもりだったが、婚約を破棄しろと圧力をかけてきている」

「まあ、私では婚約者としては弱いですから」


 メルヴェインは、十分に偽の婚約者としての義務は果たしてくれた。メルヴェインは、英雄であり、公務もたくさんある人だ。でも、この孤独な屋敷に一週間に三回も訪れ、他愛のない話に付き合い、笑いかけてくれた。


(気が緩んでしまい、ずいぶん自分のことを話し過ぎてしまったわ)


 逃げた父のこと。

 亡くなった母のこと。

 残された時のさみしさ。


 その全てを話した時も、メルヴェインは同情したり、軽々しい言葉を投げかけたりせず、ただ、セレナの話を静かに聞いてくれていた。


(……いくら休まるからって、私、いつの間にか甘えすぎていた)


 婚約破棄をするのは、正直、少しさみしい。でも、じゅうぶん良くしてもらったのに、これ以上のわがままは違う。元々、都合のいい偶然から生まれた関係性だ。これ以上の贅沢は、罰があたってしまう。セレナはそう思い直し、口を開いた。


「夜会、最後のお勤めとして、お付き合いいたします」

「……最後?」


 メルヴェインが小さく呟いた言葉は、セレナには届かなかった。



*******




「メイドや馬車……ドレスや宝石まで手配してくださるとは、メルヴェイン様。仕事ができすぎる」


 鏡の前で、上質な生地で作られたドレスに身を包んだセレナは、驚きの声をあげた。初めてメルヴェインと会った夜会に向かうときの意気込みを思い出し、背筋が自然に伸びる。


(社交界は戦場だから、気合を入れないと)


 セレナは仕上げに、低いヒールの靴に足を通す。この靴の高さは、メルヴェインの配慮であろう。


(盛大に転げたもんな。最後のお姫様ごっこ存分に楽しもう)



「全方向よすぎる。ありがとうございます」


 セレナはメイドにお礼を告げ、わざわざ迎えに来てくれたメルヴェインの馬車へ乗り込んだ。エスコートされ、そっと馬車に腰をおろす。窓から夜の風が、優しく吹き込んだ。


「メルヴェイン様、ありがとうございます。すっごく素敵なドレスで」

「いや……俺のためにやったようなことだから」


 メルヴェインはセレナのドレス姿を改めて眺め、一瞬だけ視線を外へ落とした。何か変かしら? セレナは少しだけ疑問に思ったが、目の前のメルヴェインがあまりにも素敵だったため、すぐにどうでもよくなった。


(ああああ! 目が、頭が、休まる! 正直、婚約破棄の件を忘れるくらいに癒される)


「いよいよ決戦ですね」

「ああ。よろしく頼む」

「そう言えば、よく確認していませんでしたが。何とおっしゃるつもりなんですか?ハシリア様に」


 メルヴェインはセレナの隣で一瞬無言になったあと、そっと彼女の左手をとった。彼の手つきがエスコート慣れしている人間の自然な所作に思え、セレナは特に触れられた手を気にしなかった。メルヴェインは、真剣な表情でセレナを見つめた。


「俺は圧力に負けるつもりはない。ちゃんと言うつもりだ――セレナと婚約破棄するつもりはないと」

「⋯⋯」


(いやいやいや何? 何が? 期間延長の契約――ということかしら?)


 なんとなくいつもと違うメルヴェインの姿に、セレナは少しだけ動揺した。


「期間延長の契約ではない」

「私、声に出してましたか」

「声には出てないが、セレナの鈍さには気がついている。誰の手でもとるわけではないぞ。俺は」


 メルヴェインの熱がセレナの左手から伝わり、セレナの手は緊張で少しだけ震えた。セレナは、少し下を向いて考えたあと、メルヴェインへ強い視線を向けた。


「メルヴェイン様。これ以上は、贅沢というものです。私は十分、癒していただきました。それに、私を選ぶ理由がわかりません。見ましたよね?私の家。普通の伯爵家とは違うんですよ。無理です」


 『無理――』という言葉に一瞬、メルヴェインは肩を落としたが、セレナの白い手に褐色の指を絡ませ自分の頬によせた。


「ああ、全部見た。家の中も、伯爵家を立て直している姿も。少しでもセレナの中に入る隙間があるなら、入れてほしい。きみは忙しそうだけど」


 大切そうに手に触れたまま、メルヴェインは微笑んだ。


「もし、嫌なら今日、公の場で振ってくれてかまわない」

「……なかなか、今の状況はずるい。容姿も相まって」

「ははっ! この顔で生まれて良かったよ。見た目なんか面倒なだけだったが」


 そうして馬車は、夜会へと到着した。



******




「まあ、見て。素敵な装い」

「メルヴェイン様と婚約者の方ね。婚約者募集の夜会では、ぱっとしなかったけど。こうして見ると、まあお似合いじゃない」


 メルヴェインにエスコートされ、王宮の夜会会場へ入ったセレナに視線が集まる。メルヴェインが準備してくれた装いは、装飾や一部の色がペアになっていた。メルヴェインがこれから何を言うつもりなのか……少しだけ想像がつくセレナは緊張に包まれていた。


(公の場で振ってくれてかまわないなど、ずるい。でも、簡単に婚約してくださいなど、この先を考えたらメルヴェイン様の人生をめちゃくちゃにするかもしれない)


 セレナが息をゆっくり吐いたその時、二人の前にハシリア公爵令嬢が立ちはだかった。厳かな音楽が流れるまま、周りにいた夜会の客人たちの注目が一斉に集まる。


「こんばんは。セレナ嬢とメルヴェイン。婚約破棄を発表する準備はできていて?」


 ハシリアは、セレナを汚いものでもみるかのように見下ろしている。セレナは馬車の中で、婚約を続けるかどうかの答えを出せなかった。迷いの中、挨拶の言葉を返すことすらできず、セレナは頭だけ下げた。そんなセレナを無視して、ハシリアは言葉を続けた。


「火遊びでしたら、私も一度は許します」

「どの口が言う」

「メルヴェイン。私を取り戻したいがために、他の女性と婚約しているのでしょう? 帰ってあげますから、さっさと破棄されたらどうですの」


 メルヴェインは冷たい眼差しでハシリアを見たが、彼女は怯まなかった。


「勘違いだ。公爵家を使って、圧力をかけるのをやめろ」

「圧力?私は、きっかけを与えているだけですわ。昔から、顔と筋力しか取り柄のないあなたに、再び私を手に入れられる機会を与えてあげているのですよ」


(……顔と筋力しか取り柄がない?何を)


 その言葉を聞いた瞬間、セレナの何かがプツンと音を立てた。顔と筋力も魅力がある――しかし、それ以上にメルヴェインは、ずっと寄り添ってくれる素敵な人だった。


「――メルヴェイン様。私、覚悟が決まりました。恐れるのをやめます」


 そうはっきり告げると、メルヴェインの手を離しハシリアにセレナは近づいた。


「何かしら? あなたを調べさせてもらったけど、父親が事業に失敗して貧乏な邸宅に、小さな村ひとつの傾きかけた伯爵家じゃない」

「……それが何か?」

「あなたと英雄のメルヴェインじゃ、釣り合わないわよ」


 ハシリアは近づいてきたセレナを睨みつけたが、セレナは、もう動じることはなかった。


「お言葉ですが、ハシリア様。私、自力で領地を守っています。今さら、貧乏伯爵家と皆様の前で罵られても痛くも痒くもありません」


「なっ……育ちが悪い方はこれだから。無礼ですよ。公爵令嬢である私に大人しく従うべきですわ」


「家格を盾に人を軽く扱うことが、育ちの良さだとおっしゃるのですか? 私は、そんな育ちであれば悪いままでかまいません。直接的な表現は避けますが、その育ちの良さがメルヴェイン様を傷つけたのではありませんか?」


「なんてことを」


 ハシリアは持っていた扇を開き、口元を隠して苛立っている様子を見せた。セレナは、少しだけ視線を落とし冷静な声色で言葉を続けた。


「お二人の間に何があったのか、私には分かりません。ですが、私が知るメルヴェイン様は、人をないがしろにするような方ではありません。私には、ずいぶんと尽くしていただきました。そんな方を今も軽く扱い、侮辱するハシリア様に、お返しするつもりはありません」


「何を! 私のせいだと? この令嬢を下がらせて、公爵家の私を選ばないと後悔するわよ。メルヴェイン」


 ハシリアはぱちんと扇を閉じ、苛立たしげに顎を上げた。


「いいえ、私を選んでいただいたこと、後悔させません! もし、この婚約のせいでメルヴェイン様が家を追い出されるようなことがあれば、私の婿としてお迎えし、必ず幸せにしてみせます!」


「セレナ、止まって」

 メルヴェインは、セレナに近づき口元に手をあてた。


「それ以上は、俺の立場がない」

「あっ、失礼いたしました。でも、今言ったことは本心です。私を安心して選んでくださって大丈夫です。私はあなたの見目麗しい姿も、中身も全力で守ります」


 メルヴェインは、耐えきれず吹き出した。


「ははっ! 英雄の俺を守るとは……ハシリア公爵令嬢、改めてきみには礼を言う。おかげで、セレナから結婚の承諾を得ることができた」


「後悔しますわよ、メルヴェイン」

「どうやら、一生後悔はさせてもらえないみたいだ」


 メルヴェインはそう言うと、そっと興奮し荒ぶっているセレナに口づけをした。


「……」


 セレナは、しばし停止する。メルヴェインは、夜会の群衆に対して高らかに宣言した。


「婚約破棄するつもりはない! ドラゴンを倒した褒賞として、セレナ・ウィラット伯爵令嬢との婚約を受け取る!」


 そう告げると、メルヴェインはセレナの手を引いて夜会を後にした。



******




「お父様! 何度聞いてもすてきね。お母様の話」

「そうだろ?」

「メルヴェイン、もう。娘に聞かせるのはやめて下さい。あなたのドラゴン討伐の話の方が、楽しいと思いますけど!」


 メルヴェインは、五歳になる娘に夜会での婚約騒動をベッドの上で聞かせていた。


「そんな話とか楽しくないよな」

「ねー! かっこいいお母様の話、好き!」


 褐色の肌をした、よく似た二人は、意気投合して楽しそうにベッドの上で話している。


 結局、メルヴェインは英雄の仕事は捨てなかったが、あっさりと実家を離れ、本当にセレナの婿となった。セレナは、結婚してからも約束を守り続けた。そして、メルヴェインも英雄として、国と家庭を大切にしていた。


 二人がおさめる領地は、少しだけ豊かになった。


「もう寝ましょう」

「ああ、セレナもここへ」


 セレナがベッドへ入り横になると、子供越しにメルヴェインがセレナを抱きしめるように腕を伸ばした。


「わー!お父様! 苦しい」

 挟まれた娘が楽しそうに声をあげた。メルヴェインは、セレナに視線を移し笑いかける。セレナも、笑った。



――もう、屋敷で一人きりになることはなかった。一日の仕事の疲れは、夜のこのひとときにすべて癒やされるようになっていた。



おわり




だいぶ序盤を削りましたが、長めの短編となりました。


本当は、ハシリア様の悪女っぷりや、英雄とその親友を二股にかけてしまうほどの魅力も、もう少し書いてみたかったです。そして、もっと盛大にセレナにぼこぼこにされていただきたかったなあと。そこまで書くと短編では収まらなくなりそうなので、今回はここで幕を閉じました。機会があれば、長編として書いてみたいと思っています。


当初はギャグ一本でいくつもりでしたが、どうやらセレナにも素敵な男性が現れたようで、作者も安心しました。


基本的に、敬語で相手を殴る令嬢を書くことが多い作者です。また別の物語でお会いできましたら、よろしくお願いいたします。これからも、より魅力的な子たちを表現できるよう精進してまいります。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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