楽しい食事を─①
≪漆黒の槍≫の野営地にある巨大なテントの中にて、重苦しい空気が場を包み込む。
先程到着したウェスタ―辺境伯もまた、久方ぶりに味わう緊張感を感じ、それはこの場にいるほとんどの者が同じだろう。
その原因は、エリアスの隣に立つ朝倉光のせいだ──あまりにもあり得ない報告を、エリアスとセオから聞いていたからである。
「──さて。まずは、貴公の名前を聞こうか?」
ウェスタ―辺境伯が初めて光を見た印象は、ただの凡夫という印象だった。
それがあまりにも恐ろしい──自分の部下達の報告が、虚偽であった方がどれだけ良かったか。
だが、この凡夫は少なくとも≪夕闇の嘆き≫に所属する≪赤の雫≫と交戦し──吸血鬼の血肉を喰らったと報告を受けていた。
それは即ち、常人であれば既に吸血症の末期を意味し、間もなく新たな吸血鬼になる段階なのだ。
何故か吸血症の治療を拒み、ただの腹痛が続いてるだけだと言い放つ光に対して、何故恐怖を抱かない者がいようか?
≪災厄の使徒≫とは別種の異常なる存在──それが朝倉光という名の凡夫の皮を被った化け物。
味方になるか、はたまた敵になるかは、これからの光の言葉次第でもあった。
「俺の名は朝倉光、異国の貴族です。辺境伯様、お会いできて光栄です」
(何故、絶対強者が頭を下げるのだ……)
やはりこの青年は、化け物だ。
絶対なる力を有しながらも、その力に慢心することなく、下手に出ることを厭わない存在を化け物と呼ばずしてなんと呼ぶ?
「いやはや、貴公とお会いできる機会がやってこようとは。誠に今日は喜ばしい日でありますな。光様は、肉料理が好みと聞きましてな? 質素ではありますが、どうぞお食べください」
ウェスタ―辺境伯は、相手を読み取る際に食事の席を用意する。
食べ方や仕草、目線の動きなどの情報を元に、対象をどう攻略するかを調べるのだ。
しかし、今回用意したのは肉は肉でも──人肉のステーキ類だ。
そして、吸血鬼であれば決して抗えない血のワインも用意している。
エリアスとセオの報告が本当かどうかを、ウェスタ―辺境伯はこの場で見定めるつもりでいた。
「うわー! 美味しそうですね! えっと、皆さんもどうですか?」
その発言を聞いた者達は、思わずその場で悲鳴とどよめきが走った。
何せその料理の詳細を知っており、だからこそこの場の空気の重苦しさが料理のせいでもあった。
あまりにも行き過ぎた行為であったせいか、ある者はその場で嘔吐し、泡を吹き出し気絶してしまった。
「え!? た、体調が悪いんですか!? エリアスにセオ! あの人をこの場から連れ出してあげて! 今すぐに!」
エリアスとセオもまた、正直この場から逃げ出したかった。
朝倉光からの助け舟と悟った二人は速やかに行動し、いそいそとその場から抜け出していった。
「折角のお食事会が……。辺境伯様、また別の機会にしますか?」
「──いえ。少し場は汚れましたが、温かいうちにお食べください」
「そ、それはそれは……。では、折角ですので、ワインを注いでいいですか? 俺の国の文化で、自分よりも立場が上の者に対して酒を注ぎ、その者が飲み終わった後に飲むのが習わしなのです。さぁさぁ、どうぞどうぞ! ぐいっとどうぞ!」
(こ……、この化け物……! ま、まさか──読み取っていたというのか!? この私を、吸血症に感染させたいというのか!)
その血のワインは、吸血鬼から搾り取った血で出来た代物だ。
吸血鬼同士の交流の際に、自分の血を飲ませる文化があり、それをあろうことか光は、ウェスタ―辺境伯に試そうとしていたのだ。
故に、ウェスタ―辺境伯の顔色が急激に青褪めていくのは至極当然の反応である。
「こ、この無礼者! 閣下に対してなんたる無礼か!?」
「えぇ!? あ! こ、この国の文化をあまり理解してなくて、すみません! だったらこのステーキを切り分けてあげますね! おぉ! ミディアムレアですよ! さぁさぁ、どうぞどうぞ!」
(ば、化け物め……! でなければ、このような暴挙をするはずがない! じ、人肉を食えと!? ふ、ふざ、ふざけ──)
ウェスタ―辺境伯が最後に見た光景は、光の無邪気な笑みであった。
やがて彼の視界から光が消え失せ──そして彼はその場で気を失い、意識は闇の中へ落ちていった。
§
もしかして、皆体調が悪かったのかな?
あれだけ豪勢な食事を用意してくれたのに、その場で吐いちゃうんだし。
体調管理はやはり大事だし、ジニーさんの家で大人しく筋トレしてよっと。
「あら? お戻りになりましたか?」
うん、普通に黒桜がいるんだけどさ?
なんで君、当たり前のようにジニーさんの家で掃除をしているのかな?
ここはジニーさんの家であって、君の家じゃないんだよ? 旅芸人なんだし、旅しろよ。
「……ジニーさんは?」
「黒桜を連れて、畑を耕しておりますよ? ほら、見えるでしょ?」
おいおい、馬耕をしてるよジニーさん。
馬の黒桜が俺以外の人と仲良くしてるのは、なんか新鮮だな。
「流石は黒桜ちゃん。ちゃんと餌をくれる人の言うことは聞くようだな」
「光様がお世話になっていますからね。少なくともまだ喰ら──危害を加えるわけないじゃないですか」
「え? なんで黒桜が、俺の愛馬のことよく知ってるの?」
「っ!? そ、そんな気がしただけですよ? そ、それにほら! 見てください! 私の背中に乗っても構いませんよ、光様!」
何を言っているんだ、この女は。
どうしてそんなに鼻息を荒げているの? 乗らないよ? 普通に乗らないからね!?
「いや……。黒桜ちゃんじゃないと……」
「っ?! う、馬フェチなのですか?! そういうことなんですか!? 馬耳と尻尾をつければいいんですか!?」
どういう発想してるんだよ、この女はぁぁぁぁぁ!?
確かに付けて欲しいけど、ここはジニーさんの家だから!
時と、場所と、場合を考えなさいよ! 異世界の人間って、皆頭おかしいの!?
「というより、黒桜! 今日は何の用なんだ? 勝手にジニーさんの家にやってきてさ……」
「え? その……、お忘れですか? 美味しいステーキを一緒に食べるという約束したじゃないですか……」
……あ。完全に忘れていた。
なるほどね、完全に理解したよ。食いしん坊だな、この子は!
だからジニーさんの家を掃除してたわけね! 衛生管理は完璧だよ、褒めて遣わす。
さて、肝心のステーキだが──残念ながら用意していない。
いや、だって急に来たってさ? 鹿肉のステーキなんて作れるはずが──あ!
「黒桜! ちょっといい話があるんだ!」
俺は思わず黒桜の肩を強く握って揺らした。
こういうのは勢いが大事だし、考えさせちゃ駄目だ。
「あぁ! 光様が私を求めて──喰らってもいいのですね!?」
ステーキ的な意味かな?
「実はな、お前にどうしても食べさせたくて別の場所で用意してたんだよ! 今なら美味しい肉料理や酒が楽しめるんだ! ちょっとここまで持って帰ってくれないか!」
「な、なるほど! わ、私なんかのために! 私に隠れてそんなことをしてくださったんですね! 場所を教えてください! すぐに持って帰りますので!」
きっと、ウェスタ―辺境伯も許してくれるに違いない。
あれだけの量の肉と酒類を捨てるなんてあまりにも勿体ないからね!




