入学式
プロローグ追加しました。
◈◈◈◈◈◈◈(天花視点)
『こら、そんなに顔をしかめないって。』
天音の声が頭の中で軽く響く。
目の前には、高級そうな車がずらりと並び、門の前は人でごった返していた。
(いや、しかめたくもなるでしょ。貴族の集まりかよ…めんどくさ。)
一年近く“無表情”で生きてきたおかげで、顔だけは完璧に整えていられる。
「ここからお入りくださーい!お気をつけて!」
汗だくの警備員さんが、必死に私たちを誘導していた。
『あー…あの人絶対今日だけで寿命縮む。』
天音はぽつりと言うと、飽きたのか私の中にふわりと戻ってきた。
流れに乗って歩いていくと、大きな掲示板にクラス分けが貼り出されている。
(確か、成績順…って言ってたよね。)
『あの試験、満点余裕だったじゃん。退屈すぎた。』
天音がため息をつく。
(だって本気出したら浮くじゃん。調整する方がめんどいんだよ。)
『その“調整”が一番難しいってば。』
天音が笑い、その声につられて私の口元も少しだけゆるむ。
そのとき、掲示板の中に見慣れた名前が目に入った。
──理沙。
胸の奥が、ほんの少しだけ揺れる。
(今回は、作り笑いを浮かべなくていいんだ。)
思ったよりも、心は軽かった。寂しさも、どこかにはあるはずなのに。
前へ進む足取りのほうが、今の私にはしっくりきていた。
「あの…教室ってどこですか?」
近くに立っていた教員に声をかけると、淡々とした案内が返ってきた。その言葉を背中で受けながら、私は渡り廊下を歩き出す。
『理沙ちゃん、いたね。』
天音がぽつりとつぶやく。
次の瞬間、しまった——という気配が、心の中にふっと揺れた。
(大丈夫。もう過去のことだし。)
あんなふうに言える自分に、少しだけ驚く。
でも、今のほうがずっと楽なのも本当だった。
『そう。ならいいけど…』
心細そうに目を伏せる天音の気配には気づかないまま、私は教室の扉を引いた。
中はざわざわと、春の空気みたいに落ち着かない音で満ちていた。
「誰?あの子?」
「こんにちは、名前は?」
「どこから来たの?」
矢のように向けられる言葉を、私は全部素通りさせた。
机に荷物を置き、静かに椅子に座ると、私から興味が離れていく気配がする。
(よし…これで、しばらく話しかけられずにすむ。)
内心で大きくガッツポーズしているのに、顔だけはいつも通り無表情だ。
『ほんと、内心が表に出たら世界変わるのに。』
天音は呆れたようにため息をつく。でも、その声色はどこか慣れていて、優しい。
「はい、出席取るぞー!」
のんきな声とともに、男の先生が入ってくる。
出席簿をぱらぱらとめくる音が、教室の空気を一瞬だけ整えた。
「月城天花!」
自分の名前が呼ばれ、返事をする。
「はい。」
その一言とともに、私の学園生活は静かに幕を開けた。
「じゃ、すぐに入学式行くぞー。ほら並べー。」
こちらの気分などお構いなしに、先生は生徒たちを引き連れて歩き出す。
流れに押されるように、私もその後ろへと足を向けた。
「ようこそ、セラフィーナ学園へ。——この学園は、生徒の神聖さや格式の高さを育み……」
壇上の学園長の声は、よく響くのに、不思議と頭にはまったく残らなかった。
私はただ、天井のシャンデリアの光が、少しだけまぶしいな、とぼんやり思っていた。
(だるい…早く終わってくれないかな。)
視線を横に流すと、周りの新入生も同じ気持ちらしい。
ハンカチでそっと口元を隠してあくびをしている子、姿勢を保ったまま目だけ虚無になっている子。
全体が静かなため息で覆われている感じ。
『建前だけだしね、こういう式って。』
天音は完全に飽きていて、心の中で好き勝手に喋っていた。
「よい学園生活を!」
その言葉だけが妙に耳に届き、私は慌てて拍手に紛れ込んだ。
(……なんの話してたっけ。)
でも、周りの子たちも同じだろう。
半分眠そうな表情のまま、とりあえず手を叩いている。
「では、静かに教室に戻ってください。」
締めの言葉が教員から告げられた瞬間、空気がぱん、とゆるむ。
「やった!」
「終わった〜!」
「つっかれた……。」
一気にざわめきが弾け、椅子を引く音がそこかしこで重なる。
「し・ず・か・に!」
先生の声が背中を追ってくるけれど、誰も気にしていない。
ざわざわした波に押されるように、私も教室へと歩き出した。
「んじゃ、自己紹介な。」
全員が席についたのを確認すると、先生は腕を組んだ。
「俺の名前はオルフェン・カリストだ。カリスト先生でいい。この学校では身分は関係ない。ただし、節度くらいは守れよ。」
淡々と言い放つその声に、教室の空気がピンと張る。
(身分なし…?へえ。思ったより面倒はなさそう。)
私は無表情のまま、先生の癖や雰囲気を観察する。危険性は――たぶん、ない。
「私は、高橋理沙です!」
自己紹介が始まり、理沙ちゃんの明るい声が響く。
「好きなものは魔法です!うまくないけど、楽しいです。」
ぱちぱちと拍手が起こる中、私はぼんやりとその言葉を反芻していた。
(魔法、ね。)
「じゃ、次。」
考え事をしていたら、突然自分の名前が呼ばれる。
「月城天花です。好きなものは特にありません。」
そう言って座ると、空気が一瞬、固まった。
(関わらないで。)
静かな拒絶が教室に広がっていく。カリスト先生も、少し困ったように、
「じゃ、じゃあ次…」
と自己紹介を進めた。
その後、授業は説明だけで終わり、あっという間に放課後になる。
廊下を歩いていると、
「あの…天花?」
不意に呼び止められた。
「何?」
なるべく関わりたくなくて、冷たく振り向く。そこには一人の男子が立っている。
(確か…朝霧彰、だよね?)
過去に仲が良かった“彰”の姿が、重なる。
「あの…天花だよね? 昔、遊んだ…」
彰は不安そうに言葉を探している。
『よかったじゃん!覚えてたよ。』
天音が嬉しそうに囁く。
(……やっぱり。)
胸の奥がじわっと温かくなり、笑顔になりそうになる。
必死に、無表情を作り直す。
「なにそれ?別人じゃない?」
冷たく言い捨てて、足早に歩き出す。
(やめて…関わらないで。また理沙ちゃんみたいになったら…)
だから、背中越しに聞こえた彰の小さなつぶやきに、私は気づけなかった。
「やっぱり、天花だ…」
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