日記
理沙ちゃん視点は終了です。
天花の話に戻ります。
がちゃり、と扉を開ける。
お母さんの部屋は、うっすらと埃をかぶっていたけれど、何年も前のままだった。
「うわ、埃っぽ……。それにしても、懐かしい。」
机の上を指でなぞりながら、ここで過ごした日々を思い出す。
「いろいろ、あったなぁ。」
しみじみとつぶやく。少し胸の奥がきゅっとしたけれど、涙は出なかった。
(ほんとに、この数年で――ちゃんと“過去”として受け入れられるようになったのかも。)
『そうね。あの頃のあんた、まるでこの世の終わりみたいな顔してたもの。』
明るいけど、どこか優しく包み込むような天音の声。
その響きに、自然と笑みがこぼれた。
「……ありがと。」
その小さな気遣いが、思った以上に嬉しかった。
「あ、ここかな。」
ベッドに近づき、身をかがめて下を覗き込む。
(えっと、確か――“ベッドの下に隠し部屋があるの。本棚の下から六段目の黄色い本に、このペンダントをはめて。そこに私の日記があるから、それを読んで”――だっけ。)
お母さんの言葉を思い出す。あの声も、息づかいまで、今でもはっきり覚えている。
『そうそう。じゃあ、行こう!』
天音の声が、少し軽やかに響いた。
(……忘れたい記憶ほど、どうしてこう、焼きつくんだろう。)
無意識に顔を伏せた瞬間、
『どうした? 大丈夫?』
天音が、そっと心配そうに覗き込んでいた。
「あ、大丈夫だよ。」
慌てて、心配を隠すように笑う。
『ふーん。まあ、ならよしとしよう。』
疑うように片眉を上げたあと、天音はわざとらしくえらそうな声を出した。
「何で上から目線なの。」
思わずつっこんで、ほんの少しだけ気分が軽くなる。
(よし、行こう。)
ベッドを魔法でふわりと浮かせ、床を確かめる。
『これじゃない?』
天音が指差したのは、取っ手のついた床の一角。
「確かに。開けてみるね。」
しゃがみこみ、ゆっくりと取っ手を引く。
軋む音とともに、薄暗いはしごが姿を現した。
「わあ……」
特別すごいわけじゃないのに、胸の奥が高鳴って、声が漏れた。
深呼吸して心を落ち着け、はしごを一段ずつ下りていく。
足音が木の壁にこだまするたび、胸の奥がざわめいた。
下まで着くと、そこは――まるで普通の書斎。
けれど、どこか現実から切り離されたような空気が漂っていた。
「すごい。こんなとこ、あったんだ……」
指先で机をなぞる。ほんのり温もりが残っている気がして、息を呑む。
『人がさっきまでいたみたい。保護魔法とか、かかってんのかな?』
天音も同じことを思ったらしく、首をかしげた。
「わかんない。」
言いながら部屋を見渡すと、目を引くのは壁一面の本棚。
背表紙が時間の層みたいに並んでいる。
「あ、あれじゃない?」
指差すと、天音がすぐに頷く。
『だね!あ、古い本がいっぱい……読みたい……!』
もう目がきらきらしてる。
「また今度ね。目的を忘れないで。」
軽く笑ってなだめ、ポケットからペンダントを取り出す。
天音は我に返ったように、黄色い本を探し始めた。
『あ、これでしょ!』
下から六段目。指差す先に、確かに黄色い背表紙。
「じゃあ、やるか。」
本を取り出し、ページを開く。
そして、ペンダントをはめ込んだ瞬間――空気が、かすかに震えた。
「……?」
何の反応もない。本を閉じ、周囲を見渡したそのとき――
「あ、本棚が……」
音もなく、本棚全体がゆっくりと動き出した。
埃一つ舞わず、壁と一体だった面が滑るようにずれていく。
その奥に、隠されたドアが現れた。
『こんなところにドアがあったんだ……』
天音が息を呑むように言い、次の瞬間にはもう目を輝かせていた。
『行こう!』
満面の笑みで手を引こうとしてくる。
「え〜……わかったよ。」
少し怖くて、足がすくむ。
けれど、ここまで来て引くわけにもいかない。
胸の奥で何かを押し込むように息を吸い込み、そっとドアノブに手をかけた。
きい、と小さな音が鳴り、闇の向こうに新しい空気が流れ込んだ。
階段が下へと続いていた。
「うーん……じゃあ、行くか。」
息をひとつ吸い、足を踏み出す。
狭い階段。両側の壁に手を添えながら、慎重に降りていく。
『本、あるかな?』
天音は、さっきの本棚を思い出して少し浮かれている。
「まずはお母さんの日記だね。」
そう返したとき、足が床に触れた。
小さなドアが一枚、目の前にある。
「……もう、何でもいいや。」
独り言のように呟き、ドアノブを回す。
軋む音もなく開いたその先には、
思いのほかきれいで整った寝室が広がっていた。
机の上には、一冊の日記。
奥にはもう二つ、別の部屋へと続く扉。
『本がある!』
天音が目を輝かせて走り出しかけ、
途中で思い出したように立ち止まる。
『いかないの?』
日記を指差して、こちらを振り向いた。
「うーん……奥の部屋を、先に見てからでもいい?」
自分でもわかるくらい、声が少し弱気になる。
『わかったよ。』
天音は軽く頬をふくらませ、
いちばん近くのドアに向かうと、魔法で鍵を外した。
「天音、ドア開けられたの?」
『まあね』
どや顔で返す天音に少し笑ってしまう。
中は、棚が並び、乾いた薬草や瓶がびっしり。
「倉庫、かな。」
興味を失って部屋を出た。
『待って~』
天音が慌てて駆け寄ってくる。
天音が倉庫から出てきた瞬間、私は別の部屋のドアを開けた。
「ここは……?」
覗き込むと、魔法の練習場のような場所だった。
壁には焦げ跡、床には魔法陣の跡。長いあいだ使われていなかった気配がする。
『魔法の練習に使えるね。』
天音が少し驚いたように言う。
「だね。」
私も頷く。
『じゃあ、日記読もう。』
もう天音の頭の中は日記でいっぱいらしい。
指さすその仕草に、少し笑ってしまう。
「わかったよ。」
そう言って練習場を後にした。
ぱたり、とドアが閉まる音が妙に重く響く。
(まだ、覚悟ができてないな。)
日記を前に、心の中で呟く。
『私が先に読むよ。』
「天音はただ読みたいだけでしょう。」
天音は私の考えを読んで言ったが、目が輝いている。
――確信犯だ。
けど、たぶん私を励まそうとしてくれたんだろう。
ふてくされるわけでもなく笑うその顔に、つられて私も笑った。
深呼吸をひとつ。
震える指で日記を開く。
―――覚悟を決めたら、最後まで貫きなさい。
最初のページに、そう書かれていた。
くしゃくしゃになった紙に、急いで書かれた筆跡。
(お母さんは、自分がいなくなるって分かってたのかも。)
『お母さん、止めようとしてたみたいよ。』
天音が、消された文字の跡をなぞりながら呟いた。
その瞬間、視界がぼやけた。
「お母さんって……優しいね。」
それだけしか言えなかった。
胸がいっぱいで、言葉が出ない。
天音は黙って、ただあたたかい目で見守っていた。
「よし、もう大丈夫。読もう。」
涙を拭き、次のページをめくる。
もう、逃げないと決めた。
◈◈◈◈◈◈◈(琴音視点)
コンコン――と、ドアを叩く音。
顔を上げると、天花が立っていた。
「あら、どうしたの?」
聞かなくても分かる。
その目は、もう何かを決意した人のものだった。
(“誓い”を立てたのね。)
「決めたよ。」
天花はまっすぐに言う。
「私は、もっと強くなって……復讐をする。」
その声は静かで、まっすぐだった。
日記を読んでいる部分はフラグとして…。
(立ててみたかったんです(>_<))




