怒りの天使(理沙ちゃんside)②
前の話の最後の部分を直しました。
―――けれど、意識が急にはっきりしてきた。
まぶたをうっすら開けると、天ちゃんがいた。
「治って……? ね?」
必死に魔法を使って、私の傷を治そうとしている。
その手が震えているのが見えた。
「あーあ、残念。ちょっとずれちゃった。一撃でやりたかったなぁ。」
女の人の声が、つまらなそうに響く。
その軽さが、かえって背筋を冷やした。
思わず体がびくりと震える。
天ちゃんを見ると、拳を血がにじむほど握りしめ、女の人を睨んでいた。
その瞳が、ゆっくりと赤く染まっていく。
髪の毛の一房が、炎のような赤に変わり――そして。
背中に、黒い翼が、音もなく広がった。
力強く、どこか悲しげに。
「なっ……! まだ“天使”になれるって情報は入ってないのに!」
女の人が、初めて焦った声を上げた。
その瞬間、空気が、破裂するように震えた。
天ちゃんは、無言のまま女の人に歩み寄った。
その瞳は、ただひとり――あの女の人だけを見据えている。
表情は消えて、冷たい静けさが張りついていた。
「ひっ……! ご、ごめんなさい……!」
さっきまでの余裕が嘘のように、女の人は後ずさる。
その背が、闇の中で小刻みに震えていた。
天ちゃんは右手を上げ、空中に光の矢を生み出した。
ためらいの欠片もなく、それを放つ。
私は、息を呑んだ。
その横顔が、さっきまでの“優しい天ちゃん”と重ならなかった。
ガキン――!
金属がぶつかるような音が響く。
女の人は、瞬時に魔法の障壁を張っていた。
けれど、それも一瞬だった。
天ちゃんの矢が障壁を突き破り、
女の人の頭に強くぶつかる。
(うそ……!? 天ちゃんが……?)
恐怖と混乱が同時に押し寄せて、
体が小さく震えた。
(ついさっきまで、私を必死に守ってくれてたのに……)
信じられない思いで、私は天ちゃんを見つめた。
彼女の横顔には、怒りでも悲しみでもない――
ただ、凍てついた決意だけが浮かんでいた。
そして、天ちゃんが、ふいに私の方を振り向いた。
その瞳が――あまりにも冷たく、冷徹で。
思わず「怖い」と思ってしまった。
ほんの一瞬、私を見つめたあと、
天ちゃんは再び女の人に視線を戻す。
すると、目の色が静かに青に戻り、
髪も、翼も、いつもの姿へと戻っていった。
すべてが何事もなかったように。
「え……なにが、起きたの……?」
天ちゃんは、戸惑いの表情を浮かべていた。
まるで、さっきまでのことを覚えていないみたいに。
その顔から、すっと血の気が引いていく。
(なんで……? 天ちゃんがやったんじゃないの?)
頭の中で疑問が渦巻く。
天ちゃんは何かを探すように、焦った目で辺りを見回した。
ぱちり、と視線がぶつかる。
――怖い。
心の底から、そう思った。
その瞳の奥に、さっきの“赤い目”がちらついて、直視できなかった。
私は、そっと目をそらした。
そのときの天ちゃんの表情を、私は見なかった。
この世の終わりを見つめるような顔をしていたことに――
気づかなかった。
いや、気づこうとしなかった。
(やっぱり、天ちゃんがやったんだ。)
そう、決めつけていた。
「大丈夫?」
気まずい沈黙の中に、凛とした声が響く。
振り向くと――通学路で助けてくれた琴音さんが立っていた。
「よかった。無事だった。」
そう言って、琴音さんは天ちゃんに駆け寄り、
そのまま強く抱きしめた。
「――治れ。」
小さくつぶやく声。
その言葉に呼応するように、私たちの傷も、あの女の人の傷までも、
淡い光に包まれていく。
ゆっくりと、痛みが消えていった。
「妹を、人殺しにさせるわけにはいかないもの。」
琴音さんは、天ちゃんに微笑みかけた。
その笑顔はやさしかった。
けれど、どこか背筋に冷たいものが走る。
(……? 天ちゃんって、一人っ子だったよね?)
胸の奥で、疑問がひとつ浮かんで、沈んだ。
「あなたが理沙ちゃん? 大丈夫?」
琴音さんが私のそばに来て、しゃがみこんだ。
そっと腕を取られる。
その表情が、ゆっくりと曇った。
「あなた、運がよかったね。腕はもう動かないけれど……。
最悪なら、傷が広がって、体じゅうが動かなくなっていたかもしれない。」
その言葉に、ぞっとする。
(やっぱり……腕、動かないんだ。)
でも、“最悪ではなかった”と聞いて、
無理に笑ってみせた。
「利き腕じゃなかったので、よかったです。」
天ちゃんが驚いたようにこちらを見た気がした。
けれど、私はその視線を避けた。
もう、見たくなかった。
(もう、何でもいいや……)
そう思って、目を伏せる。
「あ、理沙ちゃん……?」
天ちゃんの声が、かすかに聞こえた。
けれど、その声は途中で小さくなって――
私は、聞かなかった。
「じゃあ、帰ろう。あなたも一度、私の家においで。
いろいろ事情があるから。」
琴音さんが静かに指を鳴らすと、空気がわずかに震えた。
光が広がり、視界が白く染まる。
その瞬間、世界がゆがんで――気づいたときには、誰かの家のリビングに立っていた。
「天花は、部屋で寝てる? 一緒にいる?」
琴音さんが、天ちゃんに声をかける。
(なんで? 声をかける必要なんて、ないはずなのに。)
私の中では、もう天ちゃんは“悪”に見えていた。
「……一緒にいる。」
静かな声。
私は喉の奥がつかえて、言葉が出なかった。
結局、黙って口を閉じるしかなかった。
天ちゃんはため息をついて、ソファに腰を下ろす。
私も、少し間をおいて隣に座る。
「お茶とお菓子、持ってくるね。」
琴音さんはそう言い、足音も立てずにキッチンへ消えていった。
静寂が落ちる。
時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いた。
息を潜めたまま、時間だけが過ぎていく。
「はい。」
琴音さんが戻ってきて、湯気の立つお茶をテーブルに置く。
その香りだけが、この部屋で唯一あたたかかった。
「これから言うことは、誰にも言わないでね。というか――言えないの。」
声が少し低くなる。
私は背筋をのばした。
「いろいろあってね。あの人のことは、“悪い人”だと思っておけばいいわ。
それで充分。」
琴音さんはお茶を一口飲み、湯気の向こうで表情をかすかに曇らせた。
「あなたの怪我は、魔法のことが知られないように、“事故”ってことにしておく。
治癒魔法を使ったけど、全部は治らなかった。
……そう言えば、恨まれても、納得はされるでしょう?」
「……はい。わかりました。」
うなずくしかなかった。
私は何もできない。ただ、それを受け止めるしかなかった。
「今日は泊まっていって。
ご両親には私が連絡しておくから、連絡先を教えてもらえる?」
私は素直にうなずき、スマホを取り出す。
天ちゃんは無言で立ち上がり、部屋を出て行った。
「ありがとう。そこで寝ていいよ。」
琴音さんもそう言って、静かに部屋を出ていく。
◈◈◈◈◈◈◈(理沙の家で)
「……これ、もう、いらないよね。」
手のひらの上で、ミサンガが小さく光った。
「じゃ……」とつぶやき、捨てようとした瞬間、手が止まる。
視界の輪郭が、少しずつほどけていく。
涙で世界がにじみ、形がなくなっていく。
私は、ベッドに顔を伏せて、眠りに落ちるまで泣いていた。
おかしいな?
もうちょい短くするはずだったのに。
すみません。長くなりすぎました。




