怒りの天使(理沙ちゃんside)①
これは、学校の、理沙ちゃん視点の話です。
◈◈◈◈◈◈◈(理沙ちゃん視点)
「天ちゃん、一緒に帰ろ♪」
天ちゃんに声をかける。
天ちゃんは、ほんとに可愛い女の子で、趣味も合う。私の一番の友達。
毎日、放課後は一緒に帰るのが当たり前になっていた。
「いいよ。ちょっと待ってね。」
天ちゃんは、ランドセルにノートを詰めながら笑った。
その横顔が、なんだか陽の光に透けて見えた。
「テスト、どうだった? 私、九十点!」
「私は満点。」
「さすが天ちゃん! 天才だ!」
「いやいや、そんなことないって。」
そんな他愛ない話をしながら、校門を出る。
風が頬を撫でて、空の青さがやけに眩しかった。
「……やば! 宿題忘れた! 今日、多かったよね?
絶対間に合わない……ねえ、天ちゃん、一緒に取りに行ってくれない?」
「うん、いいよ。」
即答してくれたその声が、やっぱり優しくて、
胸の奥が少しだけ温かくなる。
(天ちゃん、ほんとに……天使みたいだな)
私は小さく笑って、彼女の隣を歩き出した。
学校につくと、私たちはすぐに教室に向かった。
「ちょっと待っててね。机の中にあるはず……」
天ちゃんが言って、私の机をのぞき込む。
私は廊下側で見守っていたけれど、なんとなく空気がひんやりしている気がした。
夕方の光が窓から差し込み、黒板に長い影を落としている。
「……あっ、あった!」
その瞬間だった。
教室の空気がふっと揺れたように見え、
次の瞬間、私の目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。
まばたきをしたときには、もうそこは真っ暗だった。
床も、壁も、空もない。ただ、冷たい風だけが頬を撫でていく。
「……ここ、どこ?」
声を出しても、闇に吸い込まれていくばかり。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
怖い。誰か、助けて――そう思ったとき。
「あら、あなたはだれ? 天花という人を知らない?」
その声は、暗闇の中から滑るように響いた。
女の人の声は、ねっとりと耳に絡みつくようだった。
まるで冷たい指で、鼓膜をなぞられているみたいに気味が悪い。
私はおそるおそる、その方向を見た。
そこには、黒い影のような女の人が立っていた。
顔はぼんやりとしていて、形が定まらない。けれど、笑っているのだけは分かった。
「天ちゃんを知っているの? なんか、急に知らないところにいて……はぐれちゃったの。」
震える声で説明すると、女の人は小さく笑った。
「ふふ……そうなのね。あなたがここにいるのは――わ・た・し・の・お♡か♡げ♡」
唇をゆっくり動かしながら、まるで歌うように言葉をつづける。
「感謝しなさいね。あ、あなたには――“罠”になってもらうから。」
闇が、その笑い声ごと溶けていった。
そして、不意に周りが明るくなる。
けれど――闇はまだ、そこにいた。
光はあるのに、空気だけが重く冷たく、
私はまるで見えない鎖に縛られたみたいに、動けなかった。
(怖い――)
喉の奥で震えが跳ねた、そのとき。
「理沙ちゃーん……いるの?」
暗闇の向こうから、声がした。
はっと顔を上げる。
返そうとして、ぎりぎりで止めた。
(もし、これが罠だったら――)
息を潜めたまま、耳を澄ます。
静寂の底で、コツ、コツ、と靴音が響く。
それが近づくたびに、胸の奥の鼓動が、ひとつずつ強く打った。
「理沙ちゃん! 大丈夫⁉」
天ちゃんの声とほぼ同時に、天ちゃんの姿が見えた。
「っ……!」
(あの人が、私は罠だって――)
そう言いかけたけど、急に空気がさらに重くなった気がして、口を閉じた。
天ちゃんが駆け寄ってくる。
「よかったぁ……あ、これ、理沙ちゃんのミサンガ。」
ポケットから取り出したミサンガを、天ちゃんがそっと差し出す。
光を受けて、糸が小さくきらめいた。
(え……? 私、ここに来たとき、つけてなかったのに……)
不意に、あの女の人の顔が浮かぶ。
(まさか……あの人が?)
「……あ、うん。ありがと。」
天ちゃんの笑顔を見ながらも、胸の奥では言葉が凍ったままだった。
(言ったら――大変なことになる……)
そう不安に思って、口を開けずにいると、
「どうした? 不安そ――」
天ちゃんが言いかけて、女の人が消えた方へ振り向いた。
その瞬間、空気が凍る。
ひやりとした風が頬をかすめた。
「あら、もうばれちゃった?」
闇の奥から、あの女の人がすうっと姿を現した。
ひんやりとした空気をまとって、
いたずらが成功したみたいな笑みを浮かべている。
(なんで、笑ってるの……?)
「――ああ、あなたが見ていたからなのね。使えないわ。」
私の方へ視線を移した瞬間、
その笑顔がぴたりと消えた。
吐き捨てるような低い声が落ちる。
その響きに、肩がびくりと震えた。
「だ……れ……?」
天ちゃんの声がかすれる。
「あら、気を失わないの? 相当な魔力の量ね。あなたは例外として」
女の人は天ちゃんの言葉を無視するように、私を見つめる。
口元に小さく笑みを浮かべながら。
(え……なに? 怖い……)
本能が逃げろと叫ぶのに、体は動かない。
「あら、わからなそうな顔しているわね。私の魔力量は多くて、うまく使うと圧を出せるの。差がありすぎると気を失うわ。私の圧は、普通の人でも、ある程度強い人でも気を失っちゃうのに。」
声は柔らかいのに、そのたびに空気がぎゅっと押し潰されるみたいだった。
(なに?なんで攻撃してこないの?普通、こういう場面じゃない?攻撃されるのって。)
そう、考えていると―――
暗闇の奥から”何か”が矢のように飛んできた。生き物ではない、冷たく硬質な何か。
私は、ただただ動けなかった。
息をすることさえ、恐ろしく感じる。
だんだんと――命の危機が、肌のすぐそばに迫ってくる。
(動け……動け……動け……!)
心の中で叫びながら、必死に体に力を込めた。
「いった!」
理沙ちゃんの声が響いた瞬間、
左腕に鋭い痛みが走る。
「きゃっ!」
思わず叫んで、体の支えを失う。
床に崩れ落ち、息が詰まった。
「だいじょ――」
天ちゃんが駆け寄ろうとする。
けれど途中で、動きを止めた。
その視線の先に、あの女の人が立っていた。
私は、ゆっくりと顔を上げる。
女の人は――クツクツと笑っていた。
まるで、私たちを見下ろして楽しんでいるみたいに。
私たちは、あの人の動きを一瞬たりとも見逃さないようにしていた。
空気が張り詰め、呼吸の音さえ邪魔に感じる。
「理沙ちゃん!」
天ちゃんの声が響いた。
はっと振り向いた瞬間――矢が、目の前に迫っていた。
逃げる暇なんてなかった。
体が凍りついたまま、ただ、痛みを受け入れる覚悟だけが残る。
直後、鋭い衝撃が胸を貫いた気がして、
ドサリと、地面の感触が背中に広がった。
「うそ……?」
天ちゃんが立ち尽くしているのが見えた。
世界が遠のいていく。
視界の端がぼやけ、音が水の底みたいにゆっくりと沈んでいく。
(これで……終わりなのかな)
そう思った瞬間、まぶたがふっと重くなり、私は静かに目を閉じた。
過去①の前書きの部分を少し直しました。




