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恐怖の目

できるだけ和らげているつもりですが、少し描写が残虐です。苦手な人はバックしてください。

『天花!』


天音の声が、鋭く頭の奥に響いた。

その瞬間、暗闇に沈んでいた意識が一気に浮上する。


まぶたを開けると――目の前には、地面に倒れた女の人。

その額から、赤い血がゆっくりと流れ落ちていた。


「え……なにが、起きたの……?」


喉の奥がひりつく。声がかすれて、自分でも驚くほど弱い。

(まさか、私が……?)


背筋が冷たくなる。

罪悪感が、胸の奥からこみ上げてくる。

頬の血の気がすうっと引いていくのがわかった。


誰が――そう問いかけようとして、口を閉じた。

(もし“私が”って言われたら、どうすればいいの……?)

頭の中を、恐怖と後悔がぐるぐると回る。


『大丈夫。まだ息はある。』


天音が、そっと私の肩に手を置く。

その温もりに、ようやく息が漏れた。

ほっとして、私は周囲を見渡す。

ぱちり、と理沙ちゃんと目が合った。


その一瞬、時間が止まったように感じた。

理沙ちゃんの瞳が、かすかに揺れる。

そして――恐怖の色を帯びて、ふいっと私から目をそらした。


(え……?)


胸の奥が、ひどく冷たくなった。

自分が今どんな顔をしているのか、わからない。

でも、きっと、絶望した目をしている。


(やっぱり……私が、やったの……?)


『違うよ。大丈夫。』


天音の声が、やさしく耳に届く。

けれど、その言葉は私の心をすり抜けていった。

全部が夢の中みたいに、輪郭だけが妙にくっきりしている。

天音の声が、遠くでこだまする。


『違うから。ね?』


もう一度、天音が言う。

でも、何も響かない。


ただ、頭の中に焼きついて離れないのは――

理沙ちゃんの、あの“恐怖の目”だけだった。

そんな私に、唯一届いたのは――


「大丈夫?」


という、お姉ちゃんの声だった。


その声を聞いた瞬間、張りつめていたものがふっと切れて、

私はゆっくりと振り向いた。


そこには、お姉ちゃんが立っていた。

ぼんやりと滲んだ光の中で、微笑んでいた。


「よかった。無事だった。」


そう言って、私を強く抱きしめる。

その温もりに触れた途端、胸の奥で何かがほどけていった。


「治れ。」


お姉ちゃんが小さくつぶやく。

その声に呼応するように、私たちの傷も――あの女の人の傷までも――

淡い光に包まれて、ゆっくりと癒えていく。


「妹を、人殺しにさせるわけにはいかないもの。」


にっこりと笑って、私を見つめながら言った。

その笑顔はやさしいのに、どこかぞくりとするような力を帯びていた。

それでも、その言葉に、私は少し救われた気がした。


「あなたが理沙ちゃん?大丈夫?」


お姉ちゃんは理沙ちゃんのほうへ歩み寄り、しゃがみこんで声をかける。

理沙ちゃんの腕をそっと取って、表情を曇らせた。


「あなた、運がよかったね。腕はもう動かないけれど……。

最悪なら、傷が広がって、体じゅうが動かなくなっていたかもしれない。」


理沙ちゃんは、少し悲しそうにうつむいて、

それでも小さく笑って言った。


「利き腕じゃなかったので、よかったです。」


私は、驚いて理沙ちゃんを見た。

けれど、理沙ちゃんは目を合わせてくれない。

その顔は、まるで何かを諦めたように静かだった。


「あ、理沙ちゃん……?」


声をかけようとしたけれど、喉の奥で言葉が止まった。

(私なんかが、話しかけても……大丈夫なのかな。)

そう思った瞬間、声が小さくしぼんでいった。


そのとき、天音が悲しそうに私を見ていたことに、

私は気づかなかった。

――気づけるほどの余裕が、もうなかったのかもしれない。


「じゃあ、帰ろう。あなたも一度、私の家においで。

いろいろ事情があるから。」


お姉ちゃんが静かに指を鳴らすと、空気が一瞬だけ震えた。

光が広がり、視界が白に染まる。

その瞬間、景色がゆがんだ。

気づいたときには、もう私の家のリビングに立っていた。


「天花は、部屋で寝てる? 一緒にいる?」


お姉ちゃんの声が優しく響く。

私は少し迷ってから、


「……一緒にいる」


と答えた。


「……」


理沙ちゃんは、何かを言いかけて、唇を閉ざした。

視線は私のほうを向いているのに、目は合わない。

その距離が、さっきまでの出来事よりも重く感じた。


私はため息をひとつついて、ソファに腰を下ろす。

理沙ちゃんも、少し間をおいて隣に座った。


「お茶とお菓子、持ってくるね。」


お姉ちゃんは、いつもの柔らかい声でそう言い、

足音を立てずにキッチンへ向かっていった。


静かだった。

時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。

私も理沙ちゃんも、何も言わない。

息をひそめたまま、ただ、沈黙が流れた。


「はい。」


お姉ちゃんが戻ってきて、湯気の立つお茶をテーブルに置いた。

その香りだけが、この部屋で唯一あたたかいもののように感じた。


「これから言うことは、誰にも言わないでね。というか――言えないけど。」


お姉ちゃんの声が少しだけ低くなった。

理沙ちゃんが、背筋をのばす。


「いろいろあって、あの人は“悪い人”だとだけ覚えておけばいいわ。

それで、あなたの怪我は……魔法だって知られないように、“事故”ってことにしておく。」


そう言って、お姉ちゃんはお茶を一口飲む。

湯気が、彼女の表情を少しだけ隠した。


「私が治癒魔法を使ったけど、全部は治らなかった。

そう言えば、恨まれはするけど、納得はするでしょう?」


「……はい。わかりました。」


理沙ちゃんは、真剣な顔でうなずいた。

その顔を見て、私は胸の奥がチクリと痛んだ。


「今日は泊まっていって。

あなたの両親には、私が連絡しておく。連絡先を教えてくれる?」


理沙ちゃんは素直にうなずき、スマホを取り出した。

私は、その光景を見ているのが苦しくなって、

立ち上がって自分の部屋へと向かった。


扉を閉めると、ようやく息ができた気がした。


「あ〜……理沙ちゃんとは、もうお別れかな。」


小さくつぶやきながら、手のひらの上のミサンガを見つめた。

指先でその糸をなぞるたび、理沙ちゃんの笑顔が頭の中に浮かぶ。


その瞬間、胸の奥がじわりと熱くなった。

こらえようとしても、目の奥がにじむ。


ぽたり――ひとつ涙がこぼれたら、もう止まらなかった。

頬を伝うたび、あの日の言葉や笑い声が、溶けていくように消えていく。


「う……っ」


息を飲み、私はベッドに飛び込んだ。

まくらに顔を押しつけて、声を殺して泣く。

嗚咽の音が、小さく部屋に響いた。


やがて、涙のかわりに、眠気がゆっくりと体を包み込む。

重くなっていくまぶたの奥で、理沙ちゃんの姿がゆらめいて、

それが、夢の中に溶けていった。

もしかしたら、もう一話投稿できるかもしれません。

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