56
「えっ!? あの!?」
いきなり引き寄せられ、つんのめってアリアは姿勢を崩した。体を入れ替えるようにしてエセルバートが強引にアリアを抱き込む。
甘い雰囲気など微塵もない。切羽詰まった性急な動作に、アリアはされるがままになっていた。
何が起こったのか、本当に分からなかった。エセルバートの体を通して衝撃が伝わり、彼が崩れ落ちるのを見てようやく、何かとんでもないことが起きたのだと悟る。
「エセルバート様……!?」
彼の背中に、矢が突き立っていた。直前まで、ちょうどアリアがいた位置だ。
(私を庇ってくださったんだわ……!)
全身の血の気が引いていくようだった。傷はどのくらい深いのだろうか? 致命傷なんてことになったら絶対に嫌だ、どうやって手当をすればいいのだろうか?
慌てるアリアの前で、エセルバートの息が荒くなっていく。喋れもせず、立ち上がれない。
「これって……! 矢を抜きます、お妃様は体を押さえていてください!」
コゼットが青くなり、素早く指示を出した。アリアは訳が分からないまま、抱きつくようにしてエセルバートの体を押さえた。力は無いが、体が重石になってくれるはずだ。
アリアがこちら側へ引っ張り、コゼットが矢を反対側に引き抜いた。エセルバートが大きく震え、きつく歯を噛み締める気配がした。無理やり抜いたのだから痛みは相当なものだろう。だが、アリアもエセルバートもコゼットを信じた。
そのコゼットが叫んだ。
「毒です! なるべく体外に出させたいですが、血を失いすぎるのも危険なので押さえます! 早く医師を!」
周りの人々がざわつき、誰かが医師を呼びにやる声がする。
(毒……!?)
アリアは全身に冷や水を浴びせられたかのような心地を味わった。
対照的にエセルバートの体は熱を持っており、息が荒い。
頑健なエセルバートが苦しむ様子を見るに、アリアがこの毒矢を受けたら、きっとひとたまりもなかった。
(でも、矢は私を狙っていた……いったい誰が!?)
アリアはエセルバートの様子に後ろ髪をひかれながらも立ち上がり、あたりを見回した。医術の心得のないアリアが下手に手を出すことはできないから、そちらはコゼットたちに任せるしかない。
「リーチェ様、よくご無事で……!」
立ち上がったアリアに、顔色を悪くしたジルが走り寄ってくる。
その後ろからついてくる見慣れない少年は、コゼットの弟のアルトだろう。雰囲気でなんとなく分かる。
その彼がエセルバートの側近たちの手を借りて、引きずるようにして誰かを連れてきた。蔦でぐるぐる巻きにされているところから察するに、下手人をジルが見つけて拘束してくれたようだ。
その人物の顔を見て、アリアは息を呑んだ。
兄、などとは呼びたくない。思いたくもない。トーリアの王太子ハロルドだった。
「なぜ……」
「……それはこちらが聞きたい。なぜお前は死んでいないんだ? しぶとく生きているんだ」
縛られているというのにふてぶてしく言い、ハロルドは近くにいたコゼットの方に視線を向ける。コゼットはその視線を受けて唇を噛み締め、俯いた。
(……そういうことね……)
アリアは察した。彼の視線は、コゼットを咎めるものだ。アリアを殺すのに失敗した彼女を。
コゼットにアリアを殺すようにと直接的に命じたのは彼だったのだ。そして間違いなく、それ以前からハロルドはコゼットをいいように使ってきたのだ。そうでなければどうして、コゼットが矢毒に心当たりがあったというのか。おそらくは使わされたことがあったのだろう。
「……でも、どうして……? 私の死が必要だったのは、戦争を再開させるためだったはず。どうしてこの、戦争が終わりそうになった今、私を殺す必要があるの……?」
「戦争が終わったら困るからだよ」
憎々しげにハロルドは答えた。
「このまま終わってしまえばトーリアは大損だ。俺が引き継ぐ国が、王座が、旨みの少ないものになってしまう。お前たちを片付けて、即位前に懸念を晴らしたいと思って当然だろう?」
(…………!)
お前たち、の含みに目を見開く。ハロルドはここで……自身の父であるジョザイアも「片付ける」つもりだったのだ。実権をその手に握るために。
そうした後ろ暗い意図がなければどうして、王太子がこっそりと戦場に来ていたりするだろうか。来ていて、機をうかがって辺りに気を配っていたからこそ、アルトの動向から姉弟の離反に気付けたのだろう。
アリアの母ライラほどではないが、国王ジョザイアも王妃や王子王女たちから恨みを買っていた。どこの者とも知れない歌い手ばかりを寵愛し、身分正しい正妃たちをないがしろにする王。王位に就いていて権力があったからこそ目を瞑られてきたが、その権力が息子に奪い取られそうになっている。




