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アリアは一心に歌った。
いつしか、兵たちの足が止まっていた。トーリア側も、ノナーキー側も。
アリアの歌は、戦記の中でもよく知られた場面の一つ、戦いやんだ兵たちが望郷の念に駆られる部分に差し掛かっていた。
歌が、風に乗る。伝播する。精霊の力の籠った歌声は人々の心を震わせ、いつしか、兵たちの間からすすり泣きが漏れていた。
異国の曲調は哀切さを帯び、戦記は佳境に入る。
戦記の中で兵たちが恋うのは、緑あふれる故郷だ。旋律は再び明るさを帯び……
……戦場に、花が咲き出した。
トーリアとノナーキーがぶつかり、兵たちが踏み荒らして傷ついた大地が、まるで微笑んだかのように花々が咲く。
アリアはその高揚感をそのまま歌に乗せた。意識の片隅では、これはおそらくジルの助力だろうことが分かっていた。コゼットの弟を迎えに行くために別行動をしていた彼女が戻ってきて、その力で助力してくれているのだ。植物を操って伸ばすことのできる彼女が、力をこの戦場に注いでくれている。そこにアリアの力が乗ることで、戦場とは思えない楽園のような光景が広がった。
「まるで夢の城のようだ……」
誰かがぽつりと呟き、同意する雰囲気が周りに広がる。
花々が色褪せて枯れ落ちた夢の城。同時期にトーリアからノナーキーへ移った姫君。そしてノナーキーの城が今度は活気づいて……
……人々の知る断片的な情報が、縒り合されて共通理解になっていく。目の前で明らかに尋常ではないことが起こっている、歌声によって起こされている、そんなことが可能なのは……一人しかいない。精霊信仰の中心たるトーリア王家に生まれ、歌姫の母を持ち、ノナーキーに嫁いだ王女。
亡くなったとされ、戦争の口実に使われていたトーリア王女が――ノナーキー王妃が――自分のことなど何一つ語らないまま、身の証を立てていた。
(これで……よかったのかしら……)
両軍が動きを止め、戦意が霧散したのを見て取り、アリアはきりのいいところで歌い止めた。
戦争の犠牲者を少なくするために、もっとうまいやり方があったのではないか。うまくやれば戦争再開を止められたのではないか。後悔は尽きない。
だが、これがアリアの精一杯だ。トーリア国王は何としてでも戦争の再開を望んでおり、それはアリアがノナーキーに嫁ぐ前から決定事項だった。アリアの死の知らせをきっかけに戦いが再開したのだが、自分は生きていると叫んだところで世間が信じてくれるかどうかは怪しかった。むしろ死を確実なものにするためにコゼット以外の刺客を送り込んでこられたかもしれず、エセルバートにも危険が及ぶ可能性すらあった。エセルバートがアリアの生存を言い立てたところで、トーリア側の情報操作の前には分が悪かった。なにせアリアの顔が一般に知られていない。
八方塞がりの状況のなか、逆転の手を打つために、アリアは死を偽装した。そして要人たちの前で――ではなく、結果的にこの戦場にいるすべての人たちの前で――特別な力が込められた歌を歌った。
目的の半分は、果たせたと思う。この場で行われている戦闘は、いったん終わるだろう。戦いに大義がなかったことを明らかにし、戦意を挫いたのだから。
だが、アリアの目的はそれだけではない。後の半分は――トーリア国王だ。彼が何を思い、何のために戦いを望んできたのか。状況をここまで動かしたのだから、彼は何らかの対応をするはずだ。どう出るか、出方を見極めなければ。そこから意図を推察しなくては。
待ち受けるアリアのもとへ、トーリア国王ジョザイアが馬を走らせた。
当然その場にはエセルバートもおり、がむしゃらにアリアの元へ向かおうとするジョザイアを警戒し、自らも馬を駆ってジョザイアを追いかけた。アリアに何か危害を加えようとするつもりなら、その前に止めなければならない。
交渉の場で、その場で引き留めなかったのは、エセルバートもアリアの考えを共有しているからだ。ジョザイアが何を意図しているか、それを知る機会を得たいという考えだ。
(ろくなことではないだろうがな……)
そうは思いつつも、彼を止めることをせず、エセルバートはジョザイアの後を追う。小高い丘のようなところから二頭の馬が駆け下りていった。
ジョザイアは手に弓などの飛び道具を持ってはいない。剣を帯びてはいるが、それを抜くそぶりを見せるならこちらも剣を抜く。卑怯となじられようが構うものか、背後から斬り付けるくらいの心づもりはできている。
だが、ジョザイアは腰の剣のことなどまるで忘れているかのように、ひたすら馬を走らせた。邪魔だからと剣を捨てていきかねない勢いだ。
(何をそんなに慌てている……? そんなに急ぐことがあるのか……?)
訳が分からずにいるエセルバートの視線の先で、ジョザイアは大声で呼ばわった。
「ライラ!!!!!」




