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この戦場には、二人の王がいる。トーリア国王ジョザイアと、ノナーキー国王エセルバートだ。
エセルバートは国王でありながら、前々から率先して戦場に出ていた。武人王、などと呼ばれるくらいだ。
だがジョザイアの方は戦の心得もなく、言ってしまえばこれが初陣だ。指揮はとれど、部下の進言を自分の言葉のように大声で述べるだけだ。
立場はあるが素人に等しいジョザイアがどうして前線に出てきたのか、トーリア側の兵たちの間にも戸惑う声が多かった。
それでも、おおむね歓迎されてはいた。理由が何であれ下っ端の兵たちと同じ戦場に出ていること、要人がいるのだから激戦にはならないだろうと思えること、なかなか拝めないトーリア国王の姿を遠目でも拝めること、などが理由だ。もちろん反感を持つ者もいたが、特に問題なくジョザイアは形ばかりの指揮をとっていた。
もしかして、戦争は再開する前に終わるのではないか……国王がじきじきに国境地帯まで出てきたのは、戦に備えてほぼ確実に出てくるだろうノナーキー国王を待ち受け、ある程度の武力を背景に交渉を行うつもりなのだろう、などという推測もされていた。
だが、トーリア王女が亡くなったという衝撃的な知らせがもたらされたことで、状況は一変した。
王女の夫たるノナーキー国王は、なぜか王女の死を隠蔽しようとしたらしい。それを暴いたのは王女につけられていたトーリア人侍女で、ノナーキー王の目を盗んで知らせをトーリアに届けたのだという。
知らせに驚いたトーリア側が追及すると、ノナーキー王はしぶしぶと王女の死を認め、しかしノナーキー側に非はないと言い張った。
しかし、その言い分を覆したのもトーリア人侍女で、王女の遺体には明らかに人為的とみられる刺傷があった、王女はノナーキー王の警備の甘さによって殺されたのだ、と暴いた。
そうでないなら王女の遺体を検分させろ、そもそも結婚式のときからノナーキー人たちは王女に敵意を向けていたではないか、人々の統制も取れなくてなにが国王だ、などとトーリア王族たちは苛烈に責め立てた。王女の遺体を見せることもできずにノナーキー国王は防戦一方になり、ついには堪忍袋の緒を切らしたトーリア国王が自ら率先して、国境を踏み越えた。
ノナーキー側に不利をもたらすこととなった重要な証言をしたトーリア人侍女のことを、トーリア王族は感謝しつつ案じ、ノナーキーにいたら身が危うくなるからと呼び戻した。
それに応じた侍女はトーリアに戻ろうとし、しかし途中で行方が知れなくなったが、王女の死と戦争の再開といった衝撃的な出来事に沸いていた世間は些末事に関心を向けることはなかった。
――というのが、表向きの筋書きだ。
(あまりにも私を虚仮にした内容で、はらわたが煮えくり返ってならないが……それ以上にアリアのことだ。死を偽装してやっただけで、ここまで徹底的に利用し尽くそうとするなど……鬼畜にも劣る所業ではないか)
もしも本当にアリアが殺されていたら。トーリア王族の描いた筋書きが事実であったら。エセルバートは自分を抑える自信がなかった。兵力があるのをいいことに派手に戦火を上げ、あたり一帯を焼き払ってなお気が収まらなかっただろう。
アリアがエセルバートの知らないところで殺されかけていたという事実を知ったとき、エセルバートは全身に冷や水を浴びたような悪寒が収まらなかった。アリアを殺そうとしたのも守ったのもトーリアから来た侍女たちで、どう気持ちの収拾をつけていいか分からなかったが、殺そうとした侍女の側にも斟酌すべき事情があったこと、そしてアリアやもう一人の侍女が彼女を庇ったことで、エセルバートは何とか気持ちに整理をつけた。諸悪の根源はやはりと言うべきかトーリア王族で、そちらに向けて積もり積もった悪感情がさらに膨れ上がる結果となったが。
しかもトーリア王族は、愛する家族を失ったかわいそうな被害者という仮面をつけて――分厚い面の皮の間違いだろうと思うのだが――徹底的にこちらの非を鳴らした。
(賭けてもいいが、王族の誰ひとりとしてアリアを愛してなどいないし、悼んでもいない。敵国にひとり送り出したあとに手紙すら出さず、形見を欲しいとすら言わず、亡骸を故国に引き取ってやりたいとも言わない家族など、あってたまるものか)
特にトーリア王家は精霊信仰ゆえか森に墓地を持っており、死後はそこで眠ることで安らぎを得るのだという。敵国で敵国人によって殺されたとされる王女なのだから、せめて死後は安らかにあって欲しいと願うのなら、髪の一筋だけでも返してほしいと願うのが当然ではないか。
(……乞われたとて、何一つやらないが)
これ以上、彼女をトーリア王族たちの好きにはさせない。髪の一筋たりとも許さない。万が一そんな必要が出てきたとしても、手ずから墓地に髪を収めてくる。奴らの汚らしい手になど渡してたまるものか。
王族たちのいささか以上に問題のある気質が行動にも表れているのだろうか、最近とみに、トーリア王族たちの国内への求心力が落ちていると報告を受けている。
「夢の城」も色褪せ、何かを感じ取ったらしい要人たちが徐々に王族と距離を置いているとも聞く。
そんなトーリア王族にとって、今回のことは絶好の起爆剤だったのだ。
自分たちの存在感を高め、否応なく注目を集め、かわいそうな善なる被害者、の立場を得るために。




